ここに記載してる車イベント関連の多くが日産自動車のショールーム「日産ギャラリー」の話題になりますが それは自分の愛車が日産車なのと大きく関係してたりします。 前に乗ってた「S13シルビア」から2019年で日産車に乗り続け約30年、長いような短いような…長いか。 以前つきあってた彼女が語学留学へ出たのをきっかけに自由な時間が増え、たまたまタイミングよく旧車 展示イベントの告知を知りフラッと出向いた先が「日産ギャラリー」。途中で本社が東銀座から横浜へ移転 したりと大きく変化してた所にぶつかってたりします。
車好きの自由時間が増えた時に出向く場として今思えば必然みたいな感じですけど、仮に自分がその時点 でトヨタ車乗りだったらお台場メガウェブ、ホンダ車ならウエルカムプラザ青山、三菱車だったら田町にある 三菱本社ショールーム、スバルならスタースクエアを中心に訪問するようになってたのかもしれません。
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行ってたイベントは旧車に関する物が一番多かった訳ですが、とりあえず自分が普段乗ってる愛車も完全な旧車。週に数回は走り 回ってるので日常の感覚が強まり希少性が増すのと裏腹に普段ここでもあまり話題にしなくなってますけど近況としては十数回目の 車検を先月無事に通し持ち主共々元気。 因みに先週は旧車あるあるの製造廃止部品をスペアパーツとして中古で手に入れ、支店止めの商品を足立区のトラックターミナル まで受け取りに行ってきました。 任意保険の更新料を納付完了、2023年の年明けより一足早く自動車生活の新年度が始まります。 (2022.12.) |
到着後、シーマが展示されてる2階へ上がり最初に撮った4枚がこちら。芸能人の方の愛車という事を差し引いても 座間記念庫に収蔵された車以外の個人所有車がステージ上で展示されるのは極めて稀なケースかと思います。 メーカーが本気で旧車をレストアした際の完成度をマジマジと見せられました。 交換前の各パーツも一緒に展示。 1988年デビューのシーマとほぼ同じ時代の車に乗ってる自分ですが旧車の維持はこれら製廃 (製造廃止)の パーツに大きく左右される事が多いのも事実です。幸い今の若い世代にも人気があり同じ時代に誕生した車 の中では比較的残存台数が多い愛車の同型車ですけど道ですれ違う数がここ何年かで一気に減りました。 とりあえず現存してる同型車を街で見かけて思わず「ドナーが走ってる」とその車のオーナーに対し失礼な 事を思い浮かべたのはヤバい…(てか相手側もこっちを見てそう思ってたりして) しかしヤフオク等で旧車の部品が高額で取引される独自な市場は正に臓器売買的な…(以下自粛) 街での偶然でも無い限り、二度とお目にかかれない車だと思って写真を撮りまくり…。 落ち着いたところで2021–2022日本カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた新型ノート (ノートオーラ)を撮影。今の 車では普及してきたみたいですけど計器パネル全体がグラフィック表示なのを斬新に感じる旧車オーナーです。 1階に下りフラッグシップカーのGT-Rともうすぐ発売の新型EV車アリアを撮影して帰路に着きました。 最後にパーキングから自分の車が出てくるところを撮ってみました。右の2枚は車に乗ってからの出庫前と銀座 交差点での信号待ちで撮影。余談として前も書きましたが1989年デビューの愛車は外装デザイン担当のチーフ デザイナーがシーマと同じ方です。 (2021.12.) |
観覧後はコロナ前お約束だったヘリテージカー展示エリアでの休息。 新型フェアレディZの登場に向け前回展示と同じく 歴代フェアレディが勢揃いしてました。余談として休息はヘリテージゾーンの居心地が良すぎて爆睡するまでがセットです。 (これもコロナ前と同じ) (2021.11.) |
大好物のヘリテージカーも展示されギャラリー内は前と変わらずでしたが半年以上行かなかったからか何となく浦島太郎的な 感覚になりました。 帰り際に自分の愛車を撮影。既に歴代日産車を集めた座間記念庫に収蔵されてる車種ですけどまだ現役。
そして今回値段を調べたら…状態の良い車は軒並み当時の価格以上、中には500万以上の車があるという凄い状況になってました。 少し前までは工業製品である自動車が年月を経る事で価格が上昇する例は限定販売されたスーパーカーくらいしかありませんでした から驚きです。ついでにここでひとつ種明かし。自分は四半世紀この車を乗り続けてますが実は新車で買ってません。 きっかけはこの1996年11月16日付け新聞広告でした。イチロー選手のイチロ・ニッサンが懐かしい。 1990年からS13型シルビアに 乗って6年、シルビアを買うきっかけとなったデートカーブームも去ってしまったのでそろそろ他の車をと物色を始め、そこで白羽の矢 を立てたのがやはり前から欲しいと思ってたシルビアの兄弟車180SXです。 同年180SXはマイナーチェンジで後期型となり、当時の走り屋ブームに日産が乗ったかどうかは不明ながらも純正リアウィングが 大型化。更にサイドフェンダーの形状も走りに徹するスポーツカー的なスタイルに変化し、バブル期のスペシャリティカー的テイストを 残した中期型以前のデザインが好みだった自分はこの時点で中古車しか選択肢がなくなっていました。 こちらが見積り詳細と注文書。1994年型を2年後の1996年に買った訳ですが車両本体は上記通り143万円。そこに諸費用16万7670円と 当時の3%消費税44202円で総額164万1872円。 1872円と130万を切る大特価。しかも車検2年分の費用込み。 そんな経緯で最大級のお買い得価格にて購入した愛車はガソリン代や法定点検等を除く車自体の維持費、四半世紀の間にかかった 全ての修理費用 (走行15万キロで実施したエンジン交換費含む)を購入本体価格と合計しても新車時の販売価格をまだ下回ってます。 結果的に安全基準の変化から新車での登場が絶望的になってる低いノーズやリトラクタブルライト、そしてフルノーマルの車体など お金をいくら積んでもなかなか手に入らない個体となった愛車を直せるうちは直して乗るつもりです。(幸い人気車になった事で修理用 リビルト部品の流通は豊富) 好きな車だし愛着のある車なので走れるうちは手放しませんけど本当に部品が出なくなりどうしても修理出来なくなったらその時は 新型のBMWを買おうと考えてます。 (因みに今の車が乗れなくなった際の代替で一番欲しい車は前も書いたとおりA70型スープラですけど、トヨタが発表した歴代スープラ ヘリテージパーツ復活事業で維持は楽になるものの今の愛車より現行だった時代が昔のため状態が良い車本体を探すのが困難と いうのが現実です) (2021.10.) |
という事でいつもはギャラリーで実車の見学…からの資料公開という流れですが今回は当時もらったカタログを先にアップ。 そして非売品だったセフィーロ販促用のビデオです。現行機材で再生できるようブルーレイディスクに保存済みですけど写真のように 当時モノは1985年東京モーターショーと同じテープに入れてありました。
若過ぎない」でした。 |
到着早々シルビアの所へ向かいました。おそらくS13型がメインステージ上に展示されるのは初めてです。昔乗ってた車が壇上 にあるのは何か不思議な気分。 1988年5月下旬、池袋の日産販売店に発売されたばかりの新車を見に行って散々弄りまくったのが今回と同じライムグリーンの 展示車でした。ライムグリーンはS13のメインカラーでカタログでも主役です。 そしてシルビアを購入。もう30年以上前の話ですが自宅に約5年シルビアが置かれてた事を感慨深く…てか乗り換えた今の愛車 はシルビアとエンジンや内装、そしてドアとフロントガラスが一緒の180SX。兄弟車はまだ現役で街を走り回ってます。 余談ですが上記のカタログは後日別件で入手した物です。クラシック音楽のレコードを1000枚以上収集してた大学教授の親父から DNAを引き継いだからなのか自分も物を集める癖があり自動車カタログもその一つ。とりあえず何年経過しても新品同様に保管 するよう心がけてるんですが、シルビアのカタログは最初から購入を検討する目的で貰ったため読み込み過ぎてボロボロ。そして こちらがそのリアルタイムに販売店で貰った方のボロボロになったカタログです。セロテープで補修した跡が痛々しい… だというのも自分がデートカーブームをド真ん中で過ごした世代だという証。プレリュードのカタログもコレクター意識発動できれいな 物を後日追加入手しました。 再び載せるシルビアを見に行ってきた1ヵ月後の1988年6月に撮った自分写真。上記デートカーブームを調べて頂ければわかると思い ますがこの時代は車が孔雀の羽のごとく異性にアピールする最大の武器でもありました。 「シルビアの時代が来た」「この車の時代がやって来た」のキャッチコピーが大々的に流れる事となります。その半年前となるこの写真 を撮った頃、巷ではジャニーズ事務所のアイドルグループ「少年隊」の東山紀之氏の人気に端を発した「しょうゆ顔」という女性にモテる 男顔のブームが起きました。 それまでは少し上の世代の郷ひろみや草刈正雄に代表される二重で彫りが深い「ソース顔」が女性モテの中心でしたがこの頃から 真逆のあっさりした東洋顔が流行りの核へとシフト。(近年BTS等韓国アイドルが若い女性に人気だとか更に「塩顔」という新語が登場 したとかの話を聞くとあっさり顔の流行はどんどん加速してるみたいですね) そして典型的な「しょうゆ顔」だった自分は当時、シルビア のCMキャッチコピーのごとく「遂に俺の時代がやってきた」と裏で傲慢な発言を繰り返しながら目当ての女の子達相手に大暴れして しまったのでありました。良い思い出にはなってますが泣かせた子も結構いるし下世話で不埒な事であったのは確かかも。まあ結局は その中の一人だった当時17歳の女子高生に本気になり、そのあげく操り人形のように翻弄されて最後に泣きを見たのは自分です。 余談として「しょうゆ顔、ソース顔」は1988年の流行語大衆賞を受賞しました。 (尚、久々に昔の愛車と対面し若かりし日の事を思い出して内容が暴走気味になった事をお詫びします) そして再びステージ上のシルビアの写真を追加で撮りまくったあと帰宅。 とここで話は終わりません。実はAmazonで注文しコンビニ受取を指定した本が届いてると連絡が入ってたので帰る途中店舗に寄って 受け取ってきました。 (2021. 3.) |
一番のお目当てはこちらの1985年型サファリ。当初展示期間が11月上旬までと告知されてたので 今回は観られないかなと思ったら(てか本当に観たいなら電車で行けよって話でもあるんですけど)、 その後に展示期間が延長されたので見学する事が出来ました。 (2020.11.) |
インフィニティ系の新旧展示車を見学した後に帰路へ着いたのですが… 新橋付近から愛車の水温計が急上昇、この時点では原因不明でしたがオーバーヒートの症状 を起こし神田駅を過ぎた所で水温が限界に達したので路肩に寄せ緊急停車。間もなくボンネット から白煙が立ち昇り動けなくなったのでJAFに連絡しました。(入会してて良かったです) その後販売店が閉店してる時間帯なのでロードサービスで自宅へ運搬し、係員の方に手伝って 頂きながら手押しで車庫に戻すという大事態に。 翌日月曜に入庫したらラジエーターにヒビが入って冷却水が漏れてる事が判明 (冷却水不足で エンジン加熱、白煙は漏れた冷却水が熱で気化した物でした)、という事で愛車は入院へ。 (2020.10.) |
今回は観たい車の展示場所が2ヶ所に分散してたのでハシゴです。まずは新型フェアレディZが置いてある 日産パビリオンへ。元々は「密」を避けるため今週中の平日に時間を作って来る予定でしたが、連休明け 直後から台風による天候悪化の予報を聞き「豪雨での移動」を避けようと急遽この日に出向く事を決定。 まずは入り口で新型EV車のアリアが出迎えてくれます。 こちらには歴代のフェアレディZが勢揃い。 中でも注目の1台がヘリテージゾーンに置かれてたZ33試作検討車。1997年にS14型シルビアを基に 2400ccのエンジンを搭載して作られた試作車という事なので… ついでにZ31型フェアレディZと愛車180SXのテールランプ比較。Z31の登場から約5年後に2400cc のエンジン (上記のZ33試作検討車と同じKA24DE型です)を積み240SXの名で北米デビューした際、 トランクを持つシルビアよりもZに近いハッチバックのデザインから「240Zの再来」と言われたのが 日本ではCA18系エンジン (後にSR20系)に換装され市場投入された180SXでした。 前回訪問時と同じく館内照明が点いた時間の方が綺麗に撮れるので一度撮った車を再び撮影して 帰路に着きました。 (2020. 9.) |
旧車枠のヘリテージゾーンには「たま電気自動車」「初代ムラーノ」「スカイラインGT-R」の3台。 中でもたま電気自動車とムラーノは電気自動車でありSUVでもある新型アリアを意識した展示車種 の選択なのかなと思いました。 余談ですが自分の後輩はムラーノを作ったのが村野さんだからこの名前になったと本気で信じて ました。(因みに吹き込んだのは自分です。当時も今も罪の意識はありません) そして1986年登場の初代「テラノ」が目立つ位置に鎮座。実は自分のド真ん中な時代に刺さるこの 車が今回一番の目当てでした。 9代目「D21型ダットサントラック」を基に作られたのでテラノは「WD21」型と型番の後半が共通。 自分の愛車180SXがS13シルビアを基に作られた兄弟車が故にRS13なのと同じです。 この日はSUPER GTのパブリックビューイング観戦も含め訪問。いつもの事ながらレース終了後 の館内照明が点いた時間の方が綺麗に撮れるので一度撮った車を再び撮影。 余談ですが今回のように日産ギャラリーを含め各イベント等にしばらく行かなかった時期が過去 にもありました。それは2011年3月11日に東関東大震災が起きた時。 地震で原発が爆発した影響で東関東全域が大きく混乱。東北から関東にかけての大気中放射線 濃度が今のコロナ感染者数発表のように毎日報道されてたのを懐かしく思います。そして原因は 違うものの今回と同じ自粛の流れが出来て様々なイベントが中止になってました。因みにこの時 は地震前最後のギャラリー訪問が3月2日、そして地震後の再訪問は6月5日と約3ヵ月のブランク だったので今回は2倍以上の空白です。 ということで何故この話題を出したかと言うとブランク期間メインの話ではなく…この時の再訪問 で展示の目玉だったのもムラーノ (初代じゃなく2代目のZ51型ですが)だったからなのでした。 (2020. 9.) |
1週間前に撮った写真をやっとスマホからパソコンへ放出。 一休みしてから帰宅するのがギャラリー訪問時のお約束になりつつあります。 当然のごとく今週はパシフィコ横浜で開催された旧車イベント「ノスタルジック2デイズ」に行ってるはず でしたが…観たい車は沢山あったものの今回は自粛。 多分読んでる方の大半が想像すると思われる通り例の「コロナ」絡みですけど、何故先週の日産は 出向いて今週のパシフィコは控えたか? それは旧車イベントの場合ただ展示車を観たり写真を撮る だけじゃなくフリーマーケットに持ち寄られた旧車カタログや絶版ミニカー等のレア商品を買い漁る事 がもう一つの目的で、毎回の事ですが自分も含め不特定多数のお客さんが欲しい物を見つける為に 箱に詰められた品物を一つ一つ丹念に触りまくる訳でして… 行ったら間違いなく欲望に負け接触感染のリスクを棚上げにしてでも欲しい品を探してしまう確率が 高く「一番の回避策は行かない事」という結論になりました。 (2020. 2.) |
今回の目玉はこちらのプリンスグロリアスーパー6完成披露会イベント。フルレストアが完了した初披露は 快晴に恵まれ堂々の屋外展示。レース仕様のオリジナルが作られた1964年は自分が生まれた年という事 で特別な思いも湧いてくる車です。 ボンネット、左右ドア、トランクの開放。エンジンもトランク内部も新車かと思うほどの仕上がりで驚き。 更に室内の布地が西陣織だと聞いて再度驚きました。 写真を撮ってる時に関係者の方と少しお話させていただきましたが、当時の資料が少なくて再生に大変な 苦労があったそうです。市販車は1967年まで製造されてた2代目グロリア、50も半ばのオヤジが幼稚園に 通ってたくらいの時代に街で見かけてたであろう車が目の前にあるというのはやはり感慨深い。実際この 車が青春のド真ん中であったと思われる自分よりもっと年上の方々が嬉しそうに思い出話をされてました。 余談というか脱線した話として5年前の2015年、同じくヘリテージカー展示イベントでギャラリーへ出向いた 際に可愛いショールームレディからお声掛けを頂いて束の間の時間の車談義。会話の中で「今何にお乗り ですか?」と聞かれたのでスマホに入ってる愛車写真を見せながら「手放せない車でね…1994年型です」と 言ったら「生まれた年です」という答えが。時系列で捉えれば当たり前の話ですけど今の若い世代にとって (自分の)愛車は自分にとっての今回見学したグロリアと同じ立場…時間は流れています。 (2020. 2.) |
日産に関しては昨年末の波乱万丈な展開 (例の日本脱出劇)に驚きましたがとりあえずショールーム、 特にヘリテージゾーンはそれらと関係なく自分的にリラックス出来るオアシスであってほしいかなと… というか一昨年秋の衝撃的な案件もそうでしたが展示車の変更間隔が空いたり用事が重なったりして 自分がショールームへしばらく出向かない時期に合わせるかのごとく大きな出来事が起きてる気が。 (完全に偶然のタイミングですけど) こちらは東京オートサロン2020に出展されてたコンセプトカー達。オートサロンに行かなかったので 観るのは初めて。 例の脱出劇は約30年に及ぶ日産車乗りとして非常にコメントしづらい為、とりあえずニュースを見た際 1980年代のMTVブームに乗り当時大量録画してた音楽PVで一番最後に保存した曲がオーストラリア 出身のアーティスト、リック・スプリングフィールドの「ハネムーン・イン・ベイルート」だったのを 思い出した事を洒落として書いときます。 (2020. 1.) |
パブリック・ビューイング観戦後にフェアレディZの展示車を撮影。 余談ですがZの人気が凄く運転席へ 乗る方が途切れず、一番右のバックショット写真を撮る為10分近く待機。待ってる間にスマホをポケット へ入れてしまった為、自分自身も「Zが好きで10分同じ場所で見てる人」状態になってました。 を踏まないままギアチェンジしようとしてる方を時々見かけます。AT限定の免許が無い時代にMTでギア を動かす際は必ずクラッチをきっちり踏まないと車によくないと教えられた自分の世代は展示車ながら 余計な心配をしてしまったり… と書きながら免許取得後に親父のMT車を半年借りたあと自分で買った 車はAT車でした。1980年代の東京23区内、特に山手線の内側は交通量が今より多く外出しても渋滞で クラッチを踏んでる時間が大半。遠出して悠々と車を走らせても結局は都内に戻るので最後に渋滞する 地域を通らないと家に帰れません。ギアを操作し運転を楽しむ事を覚える前にギアチェンジ自体が面倒 になってしまったんですな… 因みに「三菱スタリオン」という攻撃的なスタイルのクーペを選んだ為、「なぜマニュアル (当時のMT車 の呼び名)買わんのよ」と時々問われその度「東京人の悲劇」としてギアチェンジが面倒になった事を 話してたんですけど、高い確率で上京組の友人には「都心に自宅がある自慢」にとられてしまったので 後にアメリカのAT車比率を引き合いに出しイージードライブ志向を強調するようになりました。 そして時代はバブル期を迎え、更にデートカーブームも起きた事でスポーツカーやクーペもAT車全盛 となり自分にとっては都合良くありがたい世の中が到来します。 S13型シルビアを購入。 話をギャラリーへ戻しますが、ヘリテージゾーンの展示車も変更され歴代のフェアレディZに。 パブリック・ビューイング訪問と兼ねて同時に見学する事が出来ました。 そして自分的に感慨深さと驚きが入り混じるのはオレンジ色のZ33型フェアレディZがヘリテージゾーン の展示車に入ってるという事実。 で貰ったり買ったりした物だから。自分が25年前の車に乗ってるからもあるのか年月経過の捉え方が 少しおかしくなってるかもしれません。 (補足. Z33型の登場は2002年で2008年はZ34にモデルチェンジする直前の年。17年前の車という事では Z33のヘリテージカー扱いは当然かも) (2019.11.) |
日産ギャラリーに代表される自動車ショールームのイベント見学へ行き始めてからもうすぐ 干支が一回り以上の13年目に突入です。長年に亘った同棲の解消で自由な時間が増加… 要は特定の彼女がいなくなった年数とイコールなのでありました。 (2019.11.) |
休日の混雑を考え早い時間に家を出たら道路がガラガラで予定時刻前に横浜へ着いてしまったので、 ギャラリーへ行く前にドラマ「あぶない刑事」のロケ地だったバーへ寄り時間調整しながらの愛車撮影。 現行車には搭載できない「リトラクタブルヘッドライト」を装備してるが故に手放せない愛車です。因みに この車が世に出た1989年当時は今OKの「流れるウインカー」が許可されてませんでした。 してるケースが多かったりします。かくなる自分も月日の流れでオヤジとなりました。
(2019.11.) |
今回一番の目当てであり十数年のギャラリー訪問歴でも初見学となるブレジデントのオープンカー、 しかもEV仕様。 そしてこちらの「たまトラック」も初見学。 記念庫に追加された車種なのかなと現地で思ったものの…一応見落としがあるかもと帰宅後に自分 が所有してる同じ本で再確認したら最後の最後、商用車&特装車のページに載ってました。 ついでに余談としてヘリテージゾーンに置いてあった他の本ではこちらの「1960年代の東京」に注目。 置かれてたのは新装版で自分が所有してるのは以前のバージョンです。新装版は初めて見ましたが 記載されてる写真が若干変更になってました。 そして更に大注目はこちらの「都電が消えた街」。今「都バス」が走ってる殆どの路線をかつて網羅 してた王子電車 (北区王子が発祥の地である都電の昔の呼名です)は東京の下町にルーツを持つ ネイティブ東京人にとって馴染み深い存在。しかも自分の先祖は代々王子の人間なので馴染み深い を超えた原点のような存在かもしれません。(祖父の代で今の地に移転してますが公園デビューは 祖母に連れられ行った王子駅前の飛鳥山公園でした) 一番右の写真、自分が所有する「都電が走った街今昔シリーズ」はヘリテージゾーンに置かれてた 「都電が消えた街」より後に発売されてます。目を通すまでは別物かと思ってたんですが写真と記事 本文の一部が同じだったので再編集された新装版の位置付けみたいですね。 予定が直前になり存続決定となりました。細かい経緯は知りませんが、交通量増加で次々と廃止 され都バスに代わった他の路線と違い線路の殆んどが車と一緒に走らない専用軌道だったから だと自分は考えてます。 (2019.10.) |
木目を基調としたヘリテージゾーンは自分にとって新たなオアシス空間の誕生かもです。 Be-1、PAO、フィガロのパイクカー3台がギャラリーに勢揃いしたのも今回が初。 のを2019年のこの日初めて知りました。 屋外では走行展示も行われました。こちらは動画で録ってますが他のお客さんのボカシ入れ等、 動いてる映像に対する加工への根気が続かなかったため恐縮ながら動画のキャプチャー画像 になってます。 帰宅して確認したら東京ビックサイトやお台場等で開かれる自動車イベントを1日歩いて撮るのと 同じ枚数に匹敵する150枚近くの写真を撮ってました。 (2019.10.) |
上から5代目C210型、3代目C10型、6代目R30型の歴代スカイライン。 滞在してました。 こちらは5代目C210型の1980年12月版カタログ。 また余談として以前に6代目R30型が別のイベントで展示された際、自分はどうしてもテレビ ドラマの「西部警察」に出演してた覆面パトカーを思い出してしまうと書きましたが… 実はある邦楽のPVも同時に思い出します。それは安全地帯の楽曲「恋の予感」のPV。 自分が免許を取って半年も経ってない1984年の秋、マイケルジャクソンの「スリラー」から 火が付いた空前のMTVブームで音楽PVを紹介するテレビ番組が数多く誕生しました。 その中で50曲近いPVを3時間以上ノーカットで流すテレビ神奈川の「SONY MUSIC TV」 を都内から遠方受信して録画、洋楽中心の番組内で毎回数曲だけ含まれてた邦楽PV の1曲です。 する車がR30型スカイラインでした。 もう一つ余談として先に書いたように当時の自分は免許を取ってから半年足らずで 車にまだ詳しくなかった為、実はリアルタイムでPV登場の車種がわからずルーフの 真ん中に飛び出したアンテナを目印に後日R30型だと知ったというオチがあります。 (2019. 9.) |
8月最初の日曜日、5回目の「SUPER GT 2019」パブリック・ビューイングを観に横浜の日産ギャラリーへ。 今回のレースは富士スピードウェイを170周以上回る長丁場だったので、ギャラリーの開館直後から閉館 まで久々に滞在してました。 (2019. 8.) |
因みに新型スカイライン最大のセールスポイントはこちらの進化した自動運転「ProPILOT 2.0」ですが、 に興味が。これ航空機の「フライ・バイ・ワイヤ」と同様の仕組みだと考えてOKなのでしょうか。 そして歴代スカイラインのヘリテージカー展示スペースへ。 当時の自動車雑誌には堂々の見開き広告。7代目を表す「セブンス」のキャッチフレーズも有名 でしたが自分的には「都市工学」のほうが強く印象に残ってます。 (2019. 7.) |
今回の目当てはこちらのZ32型フェアレディZ「2by2」、Zとして最後の4人乗り仕様車です。この後 登場するZ33型以降、フェアレディZは2シーターのみの硬派なピュアスポーツカーになりました。 言葉ながら人の行動にも当てはめられ今で言うところの「チャラい」に近い感じ)が若者の中で良し とされ、更にネアカとネクラ (根が明るい暗い、今の「陽キャ陰キャ」に相当)という言葉も時を前後 して流行。硬派より軟派が全てにおいて善な時代でした。 若者文化も「オシャレな車で女の子とデート」のデートカーブームが台頭した事により走りを極める スポーツカー路線は今と違う意味で流行の中心から外れ、スポーティな2ドアクーペも大半がAT車 主役のイージードライブ時代に突入。 そしてデートカーとして使われるスペシャリティカーはカッコイイ外観も大切ながら最低限の利便性、 人が長時間座るのには適さないサイズであっても荷物が沢山置けるリアシートは必須なアイテム だったので2by2、4シーターという選択肢はかかせない存在でもあったのです。
(2019. 7.) |
6月の最終日、4回目の「SUPER GT 2019」パブリック・ビューイングが日産ギャラリーで開催されたので 横浜へ行ってきました。ここ数週間予定が立て込み少し疲れ気味でしたが、現地到着後にまもなく回復。 車好きのオアシス空間効果は絶大です。 (2019. 6.) |
まずはR33型スカイラインGT-R。解説ボードを見て知りましたがドイツ「ニュルブルクリンク」サーキットコース のタイムアタック車だそうです。 ラップタイムを1994年に記録しました。キャッチフレーズの「マイナス21秒ロマン」は、先代R32型が同コース で過去に記録した最速タイムを21秒短縮したという意味。 自分的に今回一番の目玉だったのはギャラリーでの展示が実に2009年秋以来となるZ31型フェアレディZ。 後の1989年に登場したZ32型と共に自分が「Z」という名前で真っ先に思い浮かぶのがこの車です。 格納型ヘッドランプとして完全格納のリトラクタブルに対し半目状態の「パラレルライジング」型ヘッドライト を採用したZ31型は1983年に登場。翌年の1984年に自分が免許を取った際、教習所へ通い出す直前に 買った道交法学科試験問題集の表紙を飾ってたのがこのZ31でした。 美しいショールームレディの方がボンネットを開けてくださり、V型6気筒のVG30型エンジンを久々に観る 事が出来ました(何と32年ぶり)。 余談ですが子供の頃一旦終息したプラモデル熱が一時的ながら教習所へ通ってる最中に蘇り、真っ先 に作ったのがZ31でした。隣室の資料庫兼倉庫にその模型が現存してるので出してこようとしたものの、 長年の間に様々な物をショーケースの前へ置いてしまい扉が開けられず断念。(片づけなきゃマズい…) 典型になりました。 Z31型のカタログと価格表。1983年9月版です。 もう一つ余談として2009年にZ31が展示された時は「フェアレディZ誕生40周年」の記念イベントでした。 そして10年後となる2019年は当然ながらフェアレディZ誕生から50年。という事で現行Z34型の50周年 記念車がメインステージにGT-Rと並び威風堂々と置かれてます。 思い入れの大きいZ31にかなりスペースを使ってしまいましたが、他にもハコスカやケンメリなど貴重な ヘリテージカーが今回はてんこ盛り。 会場ではフルレストアされたハコスカが3500万、ケンメリは9800万という凄い価格で販売されてました。 最後にS130型フェアレディZのエピソード。 ついでに書くとシルベスター・スタローンの代表作「ロッキー」シリーズの4作目「ロッキー4/炎の友情」で ロッキーの妻、エイドリアンの愛車だったのがZ31型フェアレディZでした。因みに出演場面は約5秒ほど、 かなりの車好きじゃないと気づかないかもです。 (2019. 6.) |
レースは午後2時半スタートでしたが今回は周回数が少ないので5時前後に終了。メインステージの中継が 以前の画面サイズ (左の写真)から4Kの巨大スクリーンに変わったので観戦の途中に飲み物休憩でホール を出た後そのまま最後までメインステージスクリーンで観てました。 余談として当日はアメリカのトランプ大統領が来日中だったので、それに伴う都内の通行規制と帰宅時間が 重なると大変だと思い何時にギャラリーを出るかしばらく考えましたが…答えが出ないので運を天に(大げさ) まかせて帰路へ。結局は渋滞にまったくハマらず取り越し苦労でした。 (2019. 5.) |
ヘリテージカーの展示車変更は今回の訪問では無し。とりあえずホール開場までの待ち時間 に先日デビューした新型デイズへ乗り込んだら… 何故かこちらのタッチパネル式エアコン風量切り替えボタンにハマってしまいました。 (2019. 4.) |
オーテック仕様のR32型スカイライン。ホイールやフロントグリルから一瞬4ドアのR32GT-Rかと勘違い してしまいそう。実際積んでたエンジンはGT-R搭載のRB26型からターボチャージャーを外した物です。 S130型フェアレディZ、排気量2800ccのエンジンを積んだ「280Z」です。 対歩行者の衝突安全基準強化で新しく作る車はボンネットとエンジンの間に一定のクリアランスを 設けなければいけなくなった為、ここまで先端が低く尖った車はもう登場する事はないでしょう。 (2019. 3.) |
発表会の数日前にリーフニスモRCの見学で日産ギャラリーを訪問した際、満席時に入場制限 がある事をイベント予告の場内アナウンスで知りました。 (それによって当日の昼に着いて見学が空振りになるという流れが回避され助かりました) 訪問日のメインステージには新旧の電気自動車、最新のリーフと「たま電気自動車」が鎮座。 こちらは2008年度のSUPER GT XANAVI NISMO GT-R。やはり何度見ても凄い迫力。 アメリカ基準のデカさ、インフィニティQX80の2019年モデル。 (2019. 2.) |
イベントに絡めた展示ではないものの、オープン仕様のZ32型フェアレディZとオーテック特注R33型 4ドアGT-Rという魅力的なヘリテージカーラインナップ。 特にZ32型フェアレディZは自分が20代半ばの時に登場したド真ん中な車。実車を目の前にすると Z32が衝撃的なデビューを飾った当時の記憶が鮮明に蘇ります。 旧車天国で撮った写真の整理を優先してた為スマホに入りっ放しになってた昨年12月のZ32展示。 こちらはサーキットのペースカー仕様です。このZ32ペースカーが登場する直前に一旦レース観戦 から離れた為、実のところリアルタイムではその存在を知らなかった車でした。 再び今回の展示車から。後にランボルギーニ・ディアブロに流用される事となる特徴的なZ32の ヘッドライト、自分の小学校からの同級生だった悪友はこのライトの事を「猫目」と呼んでました。 見ようによれば確かに猫っぽい顔立ちのフロントマスクかもです。 あと余談ですがこちらのZ32コンパーチブルは座間記念庫保管車の中でも定番な名車なので イベントに絡め何度かギャラリーヘ展示されてます。そしてその度に見学してきましたが、実は この車を最初に観たのは日産ギャラリーではありません。 初対面は環八沿いにある日産販売店でした。普段御世話になってる地元の販売店じゃない店に Z32見たさで遠征したんですね。 この頃ギャラリーのイベント展示へ出向くようになってから約2年が経っていましたが、座間記念庫 の保管車が通常の販売店でも展示される事があるのを訪問時に初めて知りました。 1月24日、偶然ですが10年前の今日です。 (2019. 1.) |
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