2019年~2021年 |
2017年~2018年 |
今回の展示はチェリーX-1とプレーリーJW。 というかミニバンの元祖的な存在。 大ヒットを飛ばしてる「ノートe-POWER」は電気自動車の走行特性とガソリン車の航続距離を両立した 本当に画期的な車です。ノートのエンジンをそのままレンジエクステンダーとして使うため発電量が大きく 動力源は「発電機としての」エンジンに従来通りガソリンスタンドで給油するだけなのでEVでありながら 電気の充電口を持ちません。現時点で普及してるインフラを最大限に活用しながら電気自動車特有の 最先端な加速も「電欠の心配をせず」楽しめるという、正に「美味しい所だけ切り取った」ような新型車 になってます。 毎年恒例のクリスマスツリー点灯式。2016年もあと少し。 (2016.12.) |
「日産・プリンス合併50年特別展示」の展示車が入れ替わりました。 そして同時進行するように「スカイライン生誕60周年イベント」がスタート。またまた余談になりますがスカイライン 生誕イベントは自分にとって本当に感慨深いイベントです。 何故ならちょうど10年前、当時東銀座にあった日産ギャラリーへ初めて行ったのがスカイラインの生誕50周年 (と銘打ってたかは記憶が曖昧ですけど)イベントだったからなんですね。 こちらが2006年12月4日、初めてギャラリーで撮った歴代スカイラインです。この訪問がきっかけで観たいイベント があると各自動車ショールームへ出向くようになりました。 今回と同じ初代プリンススカイラインも展示されてましたが、この時撮影に使ってたデジカメと今のスマホを比較す ると解像度が2倍以上の高画質に。サイトへ載せるため画像縮小するとあまり判りませんけど元の写真では一目 瞭然、10年間の技術進歩は本当に凄いです。 (2016.11.) |
今自分が乗ってる車は1989年登場で愛車はマイナーチェンジ後の1994年型。時系列的に捉えれば20代の若い お兄ちゃんお姉ちゃんが自分の愛車を見た時ちょうどこれらの展示車を自分が見るのと同じという事になるので、 そうやって考えたらある意味凄い話かも。 無い事が多いんですね。なので斜め後ろから車を見た時タイヤ前方の地面が丸見えになってフェンダーに厚みが 感じられないという結果に。実は唯一この部分だけ旧車が好きな自分でもちょっとだけ興醒めしてしまう所。 こちらの写真は自分自身が若い兄ちゃんだった1985年頃で写ってるのは1980年登場の日産F30型レパード。 タイヤ前方の地面が丸見え。 因みに愛車は旧車となりつつある世代の車ながらもカバーがあります。S13系が登場した1988~89年はバブル景気 真っ只中だった為、その好景気の波に乗りながら車のこういう細部に亘った造り込みも一気に進化していったのかも しれません。 (2016.10.) |
余談として当たり前ですけどショールームのメインは新型車なので試乗車のお誘いを受ける事も時々あるのですが、 展示車の運転席へ座るだけじゃなく動いてる車に乗ってしまう、走らせてしまうと本当に欲しくなってしまう可能性が 高いため恐縮ながら御遠慮させていただいてます。 例えるならお店で話す際に「可愛いなあ」と時々思うだけだった魅力的なショールームレディと何かのきっかけで 個人的なデートへ出かける機会を得たとしたら…そこで終わってる感情がその若さと圧倒的なスペックに魅了され 家に帰れば長年連れ添った古女房 (手放せない今の愛車)が居るのに新しい子と恋に堕ちてしまうのではないか、 という恐れみたいな感じ? とりあえず例えが無理やり感と飛躍し過ぎ感ハンパないですが、歳とってからの激しい情動は現状の満足で静かな 日常に狂いを生じさせかねない物でもあるのです。君子危うきに近寄らず… (ちょっと違う、いやかなり違う) (2016.10.) |
前のビルの時はドライブ帰りに時々立ち寄り、1階ショールームを見渡せる2階の窓からステージ上で回転 してる展示車をボーっと眺めてるのが好きでした。 (2016. 9.) |
こちらのスカイラインスポーツを初めて見たのは8年前の2008年秋。普通に日産販売店で展示になった 事がありそれを観に行きました。てかフロントグリルのエンブレム色が違う…別の同型車? (2016. 9.) |
スカイラインの商用バンに当たるスカイウェイですけど、実は今回観るまで車名を知らなかったという車好きに あってはならない不覚… そしてこの日は昼から新型セレナの発売記念イベントが開催されてたのでショールームがセレナ一色でした。 久々にミニカーを購入しました。2枚目の写真は6年前買った先代セレナのミニカーとツーショット、また3枚目の 写真のようにネジを取れば台座から外せます。 歴代セレナも展示されてました。(展示を)まったく知らないまま出向いたので何か得した気分でした。 (2016. 8.) |
第一弾の展示は「たま電気自動車」と「プリンスセダン」。 歴代GT-Rで一番人気を誇るR32スカイラインGT-R。1989年登場のR32型GT-Rは日本専用車で当時 アメリカでは販売されなかったのですが北米にある25年ルール (アメリカ国内で直販されない車種は 製造から25年が経過しないと輸入出来ない国内産業の保護政策)から外れる車が出てきた為、現存の R32が凄い勢いでアメリカへ渡り日本から無くなってたりします。 (2016. 8.) |
街中を今これらの車で走ったら目立つだろうなあ… そしてR35GT-Rの2017年度モデルが遂にデビュー、運転席へ座れる展示車も登場。 最大トルク65キロは殆んどスーパーカーの領域。 エンジン型式末尾「T」二つのツインターボという事でカタツムリ (ターボ剥出しの渦巻き形状がカタツムリに 似てたのでそう呼んでました)は何処にあるんだろうとエンジンの隙間に首を突っ込んで探してたのは自分です。 (2016. 6.) |
完璧なまでの「クラシックカー」という風貌…てか本当の (本物の)クラシックカーですね。 ウサギを模したエンブレムの通り「脱兎」のごとく…の「ダット」サンです。 こちらはランボルギーニ・カウンタックやランチア・ストラトスをデザインしたカーデザイナー、 マルチェロ・ガンディーニが作ったスーパーカー世代を直撃するスタイルを持つ「AP-X」の ミニチュアカー。前に光の反射等で真横から撮るのを諦めてた撮影に再挑戦…しましたが やっぱり難しい。 からルーフへの曲線…あらためて車を「見た目」の好みで選んでたのを再確認。 (2016. 6.) |
そして爆睡から目覚めたあと若干寝起きでボーっとしてたら…先日から展示中だった歴代GT-Rのボンネットとドアが 開放されたとのアナウンスが。すぐさまソファーからすっ飛んでって写真を撮りました。 メインステージ上の新型GT-Rは少し遠い位置に展示されてたので腕をいっぱいに伸ばしたりズームを使って撮影。 余談ですがR33型GT-Rのリアウイングは専用工具で角度の調整が出来ます。 (2016. 5.) |
今回はレースカー仕様の2台。サニーが現役でレースを戦ってた時代はさすがに自分も知りません。 (2016. 5.) |
展示されるという情報を知らず現地で見て驚いた歴代GT-R。パブリックビューイング観戦後、祝日だったので 他のお客さんが少なくなるまで写真撮影を待機。 こちらはドライバーの脳波を読み取り言語化して地面に投影するリーフ。はっきり言ってこれは実用化を考えたら ダメですよ…何故なら運転中にエロい事を考えたら周囲にバレバレになるからです。「立ち振る舞いは真面目そう だけど実は不真面目」なデートカー世代からの提言でした。 (2016. 5.) |
歴代サニーを観ながら思うのは懐かしさと共に車の色。その当時その当時で流行った車のボディカラー はそのまま街の色でもあったわけで正に時代の鏡、サニーの前に立つと束の間の「昭和」を味わえます。 「サニーvsカローラ」戦争の結果生まれた存在です。 上記のB10型初代サニーが排気量1000ccで登場したのが1966年4月、そして約半年後の同年11月 に初代カローラが排気量1100ccで登場します。CMキャッチコピーは「プラス100ccの余裕」、これは 明らかにサニーを意識したもの。 その後1970年にフルモデルチェンジして登場したのが2代目サニーのB110型で排気量はカローラの 「プラス100cc」となる1200cc。CMキャッチコピーは明らかにカローラをターゲットにした「隣のクルマ が小さく見えます」でした。こちらは日本の元祖比較広告としても有名です。 (2016. 4.) |
車の名前で初めて覚えたのがトヨタ「コロナ」と日産「サニー」でした。自分の親父の愛車がコロナだったわけですけど 実質的にサニーに乗ってた時間のほうが長く記憶に鮮明に残ってたりします。 余談としてイベント第1弾で展示されてたこのサニーは本社が東銀座にあった2007年のイベントで観た車と同じです。 (この時はフォグランプ装着、てかもしかして同型な別の保存車…?) ついでですが外に自分の車が写ってます。この頃はショールーム歩道前のコインパーキングに愛車を停めて滞在時間 が長くなり駐車制限の1時間に近づいた際には一旦外へ出て車を前後に動かしメーターをリセット、その後追加料金を 入れ延長してました。 そして大幅なフェイスリフトや性能アップが施された新型R35 GT-Rが初代「ハコスカ」GT-Rと一緒にメインステージで展示 されていました。 ハコスカは大人しい外観なのにアクセルを本気で踏むと暴力的な加速をする事から「羊の皮を被った狼」と呼ばれたりして ましたけどR35は一目で速い車と判るので「狼そのもの」は言い過ぎながら少なくとも「羊」の姿ではない…かな。 海外専用車のパトロール。先日見学したタイタンもそうでしたがグローバル規格、特にこのタイプの海外仕様車はとにかく デカい。うちの近所は東京都内の山手線内側という地域的には「都心」と言われる場所ですが、下町風情そのままの狭い 私道が一部残ってる為このサイズだと「物理的に通れない」道路が若干あったりします。あまり大きい車だと自宅ガレージ へ帰れない事態が発生する…これもある意味で地域限定「ネイティブな」東京の特色かもですね。 (2016. 4.) |
このダットサントラック「通称ダットラ」ですけど以前には映画「波の数だけ抱きしめて」で活躍してたりと日本でも昔は 結構メジャーな存在だったような気が。(地元の後輩が乗ってたりしたので自分的には、かもですけど)
余談として前回Y31シーマの話から脱線しまくったあげく資料庫から出してきた薬師丸ひろ子出演映画プログラム でしたが、この中の1984年に制作された作品「メイン・テーマ」でも「波の数だけ抱きしめて」と同じ720型ダットサン トラックが映画の中で重要な役割を務めてたりします。 (2016. 3.) |
を買ったのはかなり前になります。 余談ですがこのY31型にVG30系エンジンを載せボディを3ナンバー専用にして登場したのがFY31型、 後にビッグカーのシーマ現象というムーブメントを起こす「セドリック&グロリアシーマ」です。 先日このY31型シーマを女優の伊藤かずえが約25年乗り続けてるという記事が車関連サイトで話題 になりました。自分の180SXも所有年数20年超えですが更に上を行ってて凄い。 少し話題が脱線しますけど伊藤かずえさんの本格的な映画デビュー作は真田広之 (今はハリウッドの 大物スターですね)主演の「燃える勇者」という作品。 で同時上映されていました。 ついでに今回資料庫で発掘? した薬師丸ひろ子出演映画プログラムの数々。一番好きだったのは 「ねらわれた学園」の頃で今風に言うと「神的に」可愛かった…て、おっさんの昔話がY31から外れて 本当に脱線してきたのでこの辺で。 (2016. 3.) |
お客さんが空く時間まで待って当日限りだった展示車を撮影。 (2016. 3.) |
前期後期の2期に亘って展示され今回は前期の332セドリックと230グロリア。質実剛健という言葉がぴったりの正統派セダンです。 そして「あぶない刑事」公開記念の「R35GT-R」、「F31レパード」他が引続き展示中。 あと余談ですがF31効果で先日リリースされたブルーレイソフト「あぶない刑事」シリーズを買ってきました。 十数年ぶりに初期の「あぶ刑事」を観ましたけど、懐かしいというよりこの時代が昨日の事のように頭の中 へ蘇ります。 (2016. 2.) |
まず主役の覆面パトカー、舘ひろしと柴田恭兵が演じるタカ&ユージの乗る「R35 GT-R 」。 NV200タクシー。映画の中だけじゃなく街中でも見かけるようになりました。 そして発売から約30年の新作にも登場するF31型レパード。どうしても自分の世代はこの車に視線が釘付けに。 「あぶない刑事」シリーズの映画プログラム。 左から1987年公開の「あぶない刑事」と翌1988年公開の「またまたあぶない刑事」、その後何作か空いてしまってますが 1996年公開の「あぶない刑事リターンズ」。みんな若い…そして俺も若かった。 余談ですけど過去の「あぶない刑事」シリーズをまた観たくなったものの友人に譲ったり他の番組を上書き録画したりして 現在ビデオが手元に無いところ、何と1月5日に新作公開記念でブルーレイが発売されたというニュース…買おうかどうか 検討中です。 に若手刑事だった仲村トオル演じる町田が捜査課の課長に出世してタカ&ユージの上司になってる事。 仲村トオルは自分と同世代でデビューは「ビーバップハイスクール」という不良 (当時はツッパリと言ってました)学園モノ の映画。当時ヒロイン役の中山美穂が可愛くてこの映画を観に行ってるが故、その主人公だった不良学生が捜査課の トップへという役回りに「こりゃ俺も歳とるわけだ…」という感じで物凄く歳月の流れを感じてしまったわけです。 ついでに鷹山役の舘ひろし映画デビュー作も「暴力教室」という学園不良モノです。「蘇える金狼」「野獣死すべし」の 故・松田優作が元ボクサーの転任教師役で、不良グループリーダーの舘ひろしと対決するという後の「GTO」みたいな ストーリー展開とも言える内容ですが…非常に重い作品。 因みに自分はこの映画の公開当時まだ小学生。写真のテープは後に松田優作出演作品を探してて茗荷谷駅前に あったかなりマニアックな品揃えのレンタルビデオで見つけ保存したもの。
(2016. 1.) |
まさか綺麗にレストアされた240RSを年末に観れるとは… (2015.12.) |
富士スピードウェイ会場の熱気が伝わってくるような迫力、自分が自動車レースを観戦するようになったきっかけ は1980年代の「グループA」でその後レース観戦から一旦遠のき「SUPER GT」から再び観るようになりました。 当時の名車が走ります。星野さんや長谷見さん他「グループA」時代現役だった方々が現在レース界の大御所に。 芸能人に例えると自分は当時レーサーの方を石原裕次郎や美空ひばりのような「雲の上の存在」という感じで 捉えてた為、今年も優勝され2年連続制覇の松田選手をはじめ現役レーサー全員が自分より若い方々になられた 今もその感覚が抜けずイベントその他で御見かけする機会があっても恐れ多く気軽に近づく事は出来なかったり します。なのでこれまた今のレースファンが選手の方とフレンドリーに接してられるのを見て若干うらやましく思うと 同時に、レースの現場と観戦するファンの距離感が自分の頃よりも近くなり更に親しみやすくなった事でレースを 楽しむ裾野も広がったんだなと思ったりもしてます。 イベントを楽しむ事が出来ました。 (2015.11.) |
本当にありがたいです。
今回ドアやエンジンフードが開放され室内やエンジンが観れる大サービス状態に。 (2015.11.) |
R380シリーズの誕生50周年という事でAI型とAII型(改)が2台揃って展示されてました。R380も含めたGT-Rまで続く「プリンス 自動車」系列の歴代車を、その前身の「たま電気自動車」まで遡るならまだしも「立川飛行機」まで遡ってしまうのは軍用機 マニア特有の捉え方。 (2015.11.) |
CMで一番強調されてるポイントのキャッチコピーは「加速の常識をくつがえせ」です。 これはつまり車を詳しく知らない人がCMを見た時、車をなんとなく全体のデザインだけで判断する一般的な人が「180SXらしき形」 の車を見た場合、「電気自動車 =リーフの登場までは加速が一番速かった車」だと思うんじゃないかと… そう、フェアレディZでもGT-Rでもなく本来「なんちゃってスポーツカー」の180が今までで一番速い車だったと勘違いされる可能性 が出てきたという事。 CMはリーフ主役で技術革新により古い車より新しい車の方が高性能なのは当然という前提がある中、登場後26年が経ち車好き 以外には殆んど忘れ去られた存在に再び光が当てられ、しかもリーフの登場までの「加速の常識」みたいな流れはオイシイかも しれないぞと考えてしまいました。 そして所有の180SXも「車を見た目で選び」速さは二の次でAT車を選択したユルい人間で、いつも自分のペースでダラダラ走って たいのに走り屋系の車種からあらぬ挑発を受ける事もあった為、「車好きから見られたイメージとして速い車の世代交代」が行わ れるのは案外好都合だったり… 一部で凄い騒ぎになってたのでメールをくれた友人とまた話してたんですが結論が出ました。とりあえず180SXと兄弟車のS13 シルビアは各世代に色々な使われ方や愛され方をされた歴史を持つ車で、まずは自分や連絡をくれた同世代の友人みたい にスペシャリティカーとして認識し主にドライブデートで使ってたバブル世代。 (この頃はクーペが一番おねーちゃんにモテたので車を買う目的が根本的に違ってました。実際S13系は当時流行したデートカー 市場に投入された車で厳密に言うとスポーツカーではありません。先代S12前や後継S14以降と大きく違うのはこの点で、それ故 S13だけは公式なモータースポーツに現役時代は殆んどエントリーしてないのです) あとは本当に走りを楽しむ為に買った方々。 S13がこのクラスでは珍しくFRで発売されたのでサーキットや峠などで走る際、速さを極める目的でエンジンや足回りへ改造を 施しそれを楽しんだ世代。そして憤りを示してるのは後者の180SXを「スポーツカーとして」速さを重視し走りを楽しむため所有 してる人、楽しんだ事を思い出にしてる人が中心なんじゃないか…という結論に至りました。(多分それで正解だと思います)
(2015.10.) |
パブリックビューイングの前に神奈川県警とJAFによるイベントがありました。夏休みという事で小さなお子さんへの交通ルールレクチャー と親御さんへのチャイルドシート装着喚起が主な内容でしたが、直径30cmある本物の信号機電球を見れたりとかなり興味深い事柄も。
アメリカのパトカーみたいな感じ |
(2015. 8.) |
恒例の「日産ホール」会場。ここがまた観戦会場として居心地が良すぎて…前にも書きましたが「背もたれが頭まで ある椅子」に座るとリラックスし過ぎて眠くなりいつの間にか爆睡してる事があり、度が過ぎると観戦できなくなるという 事態に陥ったりでここが難しいところ。 水以外の飲み物は一旦外で…という事で長丁場のなかスターバックス休憩のためショールーム側へ。そしたら ショールームの方でもメインステージのスクリーンでレースを同時中継してたので、コーヒーを飲み終わった後も 「寝ないように」そのままショールーム側で最後まで観てました。 でもこちらはこちらで時々前方視界を横切る可愛いショールームレディが緊張の続く観戦で一瞬の癒しと休息に。 (何を言ってんだ…てこれも前に書きましたが) 夜10時のレース終了後も会場では11時頃までイベントが続くみたいでしたが、車を入れたパーキングが11時を 過ぎると翌朝7時まで出庫が出来なくなるため10時半に帰宅の途へ着きました。 (2015. 6.) |
初代CSP311型シルビア、シルビア生誕50周年イベントなのでこちらが主役です。 車好きの若い人、特に近年マンガ等を通じて車に興味を持った方の中にS13を初代だと思ってる人が一定数 いらっしゃるようですけど初代CSP311の後にS10、S110、S12と経てS13は5代目に当たります。 S13シルビアが発売された1988年の自分です。肖像権やら何やら考え他の人が映ってる所をカットし周りの音声 も消したら自分の短いアップだけになってしまい近年のSNSに投稿される一部の動画のようになってしまいました。 この後しばらくしてS13を購入。 この後1989年にピークとなる本格的なバブル景気にぶつかってくわけで、その頃が一番楽しかったのはまぎれ もない事実。ただ今の方が生活は便利になり楽な日常を過ごせる環境も整ってる訳ですから当時を懐かしむ 事があれどやっぱり今が一番です。 *尚、四半世紀以上前の動画なので映像の中の人を街で探してもおっさんになってるため見つかりません* |
ひとつはどちらの車も「日本国内専用車」として市場投入された事。ソアラもシルビアも海外では販売されて なかったのです。 あります。 もうひとつの共通点は海外の輸出向け同型車または兄弟車がハッチバックボディでリトラクタブルヘッドランプ を搭載してたという事。 ソアラと基本のコンポーネンツを共有してたのは初代Z10がA60型「セリカXX (海外名スープラ)」、2代目Z20が 国内「スープラ」初デビューのA70型でした。 ソアラについては海外で発売されなかった理由を知りませんが、S13シルビアは低くスラントしたノーズ先端 に着いたヘッドライト位置が北米の最低高さ基準を満たさず、その対処として点灯時にライト位置が上がる リトラクタブルライトを採用し北米基準をクリア。 後に日本へ投入された「180SX」と同じリトラクタブルのフロントマスクをノッチバックとハッチバック共に与え られ240SX (欧州では200SX)の共通名称で発売されました。
当時の「240SX」海外CM。国内車S13型シルビアと同じトランク有のノッチバッククーペ (黒い車)もハッチバック と同じリトラクタブルヘッドランプです。 (2015. 5.) |
ちょうどこの日から2週間前、いきなり見舞われた自室の電源トラブル復旧に時間をとられ前回パブリック ビューイングに行けなかったのでこれが今年初となります。 あと今回ショールームにとても珍しい「変わり種な車」が展示してあったので思わず見入ってしまいました。 それは横浜市にある児童施設「こどもの国」の園内で昔走ってた子供用自動車「ダットサン・ベビイ」。 (恐縮ながら「こどもの国」を今回の訪問まで知りませんでした) みたいな資格を取得すると小学校高学年から中学生まで施設内のコースを一人で走れたという事で知ってたら 絶対行って乗ってました…てか調べたら自分が運転可の対象年齢になる前に無くなっちゃってましたけど。 この写真はオマケのページの「その他雑記」2011年記載分から引っぱってきた1970年頃の後楽園ゆうえんち (現ラクーア東京ドームシティ)ですが、本当に子供の頃から遊園地へ行くと「自分で運転するクルマ」関連系の アトラクションばかり乗ってましたね。 そしてこちらは12~13歳くらいの頃のドライビング写真。場所は伊豆韮山に昔あったアトラクション施設とホテル付 の遊園地リゾート「伊豆富士見ランド」で、これは「ソープカー」という、現在ならエロいネーミングになってしまうかも なエンジン無しのゴーカート。 ペダルはブレーキだけの「下り坂のコースを惰性と加速度で走る」という何とも乱暴なカートでして、最初から最後 までノーブレーキで走るとスリル満点。埼玉に住んでた幼馴染みの家族と毎年行ってましたがここへ遊びに行った 時も毎回このソープカーに真っ先に、そして何回も乗ってました。 現存する「伊豆富士見ランド」の各資料。当時は運送大手「日本通運」の関連会社運営で、今は閉鎖され同じく 日通の研修センターになってます。 コース走行は全部子供まかせで、カーブ手前にブレーキ踏んで速度を緩めろ (ガードレールの外はマジで崖みたい になってる所も)とのサインが道路にひかれてましたがそんな事はお構いなし。幼馴染みの友人とノーブレーキ競争 したりと今考えればよく事故を起こさなかったとも思います。ある意味大らかというか、今よりも自己責任的な世の中 だったのかも。 (2015. 3.) |
(2015. 2.) |
ヘリテージカーのセドリック&グロリア展示初日です。 そして大きくマイナーチェンジされたフーガも展示の初日でした。 スカイラインの足を変える室内のこのスイッチは思わず撮影。 操縦系統そのものな雰囲気。
(2015. 2.) |
ヘリテージカーとして展示中の「4ドア仕様のR33GT-R」はレアな個体です。 展示車が「4ドア仕様」だったのに因んでGT-Rじゃない通常パッケージの「R33スカイライン」カタログ。発行日は 1993年8月、販売店で貰ったのを昨日の事のように思い出せますがもう22年前です。 同じく1993年の11月版カタログ。4WD仕様の「GTS-4」が追加。 1995年1月版カタログ。 そして1996年の1月版カタログ。マイナーチェンジのフェイスリフトでバンパーが少し厳つい感じに。 (2015. 1.) |
自分にとってこの時期のこの車の展示は最高のクリスマスプレゼントです。 いつも入庫してる地下パーキングが満車だったので同駐車場の通常スペースへ初めて停めました。この車は 「RPS13」で展示されてたシルビアの兄弟車、S13からRPS13へ「S13系」を乗り継ぎ四半世紀…普段乗ってると 意識しませんが改めて考えれば年式的にこいつがステージに展示されててもおかしくないのかもですね。 車関係のサイトを巡ってると「シルビア&180SXの復活を」というリクエストの話を時々見かけますが、実のところ 自分はそんなに望んでなかったりします。理由は2つ、ひとつはリトラクタブルヘッドランプでの再登場が絶対 ありえないという事。そしてもう一つは極めて不埒な内容でして… シルビアはS15までモデルチェンジされましたが180SXはRPS13が最後。つまり復活が無ければ最終型絶版車 の位置付けのまま永遠に「型落ち」にはならないという、「現行所有の既得権」に基づくいやらしい考えだったり するんですね…大変失礼しました。 追記ですが自動車ショールームへ出向くと魅力的な新旧展示車の他に可愛いショールームレディが車に 関する専門的な内容のプレゼンテーションでいつも楽しませてくれます。 それと絡めた余談としてS13シルビアデビュー当時のコピーが「アートフォース」だったのは有名ですけど… 少ないんじゃないでしょうか? (2014.12.) |
メインステージでは最新セダンコンセプトと79年前 (1935年)のダットサン14型がコラボ。 自分も含めた そして今回のド真ん中、というかこの車の展示を約8年待ってました。かつての愛車「S13シルビア」。本当に 懐かしいというか、展示車をただ眺めてるだけで色んな思い出が甦ってくる車です。当時流行ったデートカー として誕生し、後に走り屋系の代名詞的存在に変わった2つの顔を持つ車。故にフルノーマル個体が殆んど 皆無となった車体でこれはとても貴重な一台。 以前も書きましたがS13がドリフト専用車になる前…80年代後半から90年代にかけての元々の歴史を知る には検索ワードに「S13」のみじゃなく「S13 デートカー」と入れないと出てこなかったりします。 2006年12月のショールーム初訪問から約8年…遂にかつての愛車を間近で観る事が出来ました。 こちらは昔撮った愛車の写真。この4枚は「オマケのページ→自動車関連全般」に記載済みですが… 新しく4枚を追加。1枚目はカーナビを取り付ける前に撮った写真でセンターコンソール上にモニターがまだ ありません。 余談ですが最初に装着したナビはSONYの「NVX-F15」という機種。カーナビの登場初期はジャイロセンサー や車速センサー等の自律航法装置を持たずGPS衛星の受信電波のみに頼る方式だった為、自車の位置 が地図からズレまくってました。(電波の届かないトンネルや屋内の駐車場に入ると自車のマークが真っ黒 になり即マップ上で停止) その為1年程で初のジャイロセンサー付カーナビ「NVX-B50」に交換 (2枚目のトランク写真)。大きな銀色の 箱が10枚のCDチェンジャー付カーナビ本体、赤い丸のやつがジャイロセンサーです。しかしこのカーナビは あまり使う事がないまま兄弟車の180SXへ… 久々にシルビアのカタログを引っぱり出しました。まずは1988年の発売当初、排気量1800ccのCA18系 エンジンを積んだS13前期型シルビアのカタログ。ライムグリーンツートンがメインカラーでした。 グレード名はトランプのキング、クイーン、ジャックから最上位の(K's)を筆頭に(Q's)、(J's)。余談ですが 1989年に登場した兄弟車の180SXと外装で共通なのはフロントガラスとドアだけです。 こちらは1991年の後期型カタログ。2000ccのSR20系エンジンに換装されターボ付K'sでシルビア初の 200馬力超え。コアな話になりますがターボチャージャー付「SR20DET」エンジンはS13シルビア搭載時 に205馬力だったのがS14で220馬力になりS15では何と250馬力になってます。 そして「T30型」初代エクストレイルに積まれた最終型の「SR20VET」に至っては当時国内の馬力自主 規制枠ギリギリで2000ccの排気量としても最大級の280馬力にまで出力アップしてました。 (馬力自主規制 =2004年の規制緩和まで国産車は280馬力以上だと運輸省 (現国土交通省)の型式 認定が下りませんでした) 後期型1992年版カタログ、特別仕様のクラブセレクション追加。あと後期型からK's、Q'sにはオプション で本革シートが選択可能になりました。CMのキャッチコピーは前期型の「アートフォース」から「悦楽の マテリアル」に変更。 後期型カタログ1993年版。キング(K's)、クイーン(Q's)、ジャック(J's)に加えてエース(名前はA'sじゃなく ALMIGHTY =オールマイティ)が追加。そしてこの年の秋シルビアはS14型へフルモデルチェンジ。
そしてS14シルビアのカタログ。 デートカーコンセプトをキープし甘いマスクを持ち、上記のような宣材でモデルチェンジを大きくアピール したS14型でしたが…バブル経済の崩壊と時を同じくして訪れたデートカーブームの終焉に発売時期が ぶつかった事も絡み残念ながら先代の人気を超える事は出来ませんでした。 走りを純粋に楽しむユーザーへアピールの方向性で大きく舵を切り、マイナーチェンジの際に「甘い マスク」から「精悍な顔立ち」へと大幅変更。先代S13のラグジュアリー&スペシャリティーカー志向から S14は完全なピュアスポーツカー路線へ向かう事となります。 この後その路線は「S15型」にも引き継がれました。余談ですがS15にポップアップ方式の純正カーナビ がオプション設定されてたのを今回カタログを改めて見た事で初めて知りました。 (2014.12.) |
このうち2車種は昔買ったダイキャストミニカーを所有。実車を見たのはダットサン12型フェートンが2回目、 ダットサン17T型は今回初めて。
(2014.11.) |
今回自分的にド真ん中であり見学の目玉だったのは1989年型「サニーRZ-1」ニスモ仕様。いやもう懐かしすぎ。 サニーのシリーズ車種として1986年に登場したのでサニーの冠を付けてますが載せてる箱はまったくの別物。 余談としてRZ-1は自分の愛車「180SX」と二つ共通するところがあり、一つは乗用車に「スポーツカーっぽい形」 の箱を載せてる点。もうひとつは今ではもう車名の「正式な読み方」を知らない方が多いのでは…という事。 180SXもリアルタイムでこの車を知る世代以外は180を「ワンエイティ」エスエックスじゃなく「イチハチマル」や 「ヒャクハチジュウ」と読んでしまう事が多々あります。 こちらは自動車雑誌「カー・アンド・ドライバー1986年3月26日号」のサニーRZ-1発売特集記事。 (2014. 9.) |
何回か前のパブリックビューイングから観戦場所が「日産ホール」という素晴らしい環境になったので前より更に リラックスしながら観る事が出来てますが今回は「鈴鹿1000km」という長丁場であまりにリラックスし過ぎてしまい、 レースの変化が少なくなると「寝てしまう」という事が頻繁に発生…(元々「頭まで背もたれがある」椅子に座ると すぐ眠くなってしまう悪癖があるんですナ) また当日は日テレの「24時間テレビ」も同時にメインステージで開催されてたのでレース観戦後そちらも番組終了 まで楽しんできました。 癒しと休息(ピットイン)でもある前方視界を時々横切る可愛いショールームレディ (この時高精度なフォーカス カメラのように眼のピントが画面から自動的にそちらへ)が見れなくなっちゃった事かな (何を言ってんだ) 前回のパブリックビューイング観戦時に撮影してきた写真からR35 GT-R NISMO。リアウイングの形状が凄い…。 (2014. 8.) |
夏休みに入ったからなのか展示車のラインナップが子供達に人気の「はたらくクルマ」特集になってました。 こちらは約8年のギャラリー訪問歴のなか観るのが初めてとなるフェアレディZのパトカー。映画用ステージカー とかじゃなく本物です。 (2014. 7.) |
一緒のバージョン。 (2014. 5.) |
そしてこの青いR34「スカイラインGT-R"V-スペックII"」は約8年の日産ギャラリー訪問暦のなか観るのは今回が初めて。 帰り際に撮影したニスモ仕様のGT-R。昨年のモーターショーで人混みが凄すぎ写真がなかなか撮れなかった車です。 ただ今回撮影できた事に満足してしまった上に閉館時間が近づいて自分も帰宅モードに入ってたため肉眼でじっくりと 観察するのを忘れました。 (2014. 4.) |
当時撮ったこの写真のデジカメ画素数は720万 (撮影時の設定解像度1600×1200)、そして現在のスマホは 画素数が2070万 (解像度は3840×2160)。
ヘリテージーカタログのコーナー 「西部警察」で活躍したサファリの特殊車輌を今回もじっくり見学。
(2014. 4.) |
日産の本社ギャラリーショールームが東銀座にあった頃、自由な時間が増え出向くようになったのが2006年12月。 それから1年以上が経過した2008年2月に初めて銀座4丁目の銀座ギャラリーへ訪問。
展示パネルで綴る銀座ギャラリーの歴史。 ですが、やはり感慨深いものを感じます。 (2014. 3.) |
実はこの車を観るのはちょうど15年ぶり。1999年に北海道小樽へ旅行した際、当時オープン直後だった マイカル小樽という施設内の石原プロワールドでスカイライン「マシンRS」やフェアレディ「スーパーZ」等、 他のステージカーと一緒に観て以来です。石原プロワールドは2001年に閉園、西部警察のステージカー は後にマイカル小樽向い側にある「石原裕次郎記念館」へ再展示されましたがサファリはラインナップに 含まれませんでした。 (2014. 3.) |
レース好きにとってはスターのような有名レーサーや監督の方々もトークショーとサイン会のゲストでいらしてました。 (2014. 2.) |
本当に見る角度によって色が変化します。 この「ミッドナイトパープル」という指定色、自分が知る限りではR33からR34のスカイラインGT-RやZ32型フェアレディZ、 後期型の180SXにかつて存在してましたが…
こちらはダットサンブランドの「GO」。 そして自分がダットサンで即思い出すのは地元の後輩が乗ってたD21型ダットサントラック、通称「ダットラ」。 ダットラは歴史がありD21型は9代目となります。因みにホイチョイ・プロダクション作品の中で自分が一番 好きな映画、「波の数だけ抱きしめて」に登場するダットラはこのひとつ前の8代目(720型)。
(2014. 2.) |
新しく購入したスマホの高解像度が実力発揮。ウェブへ載せるのに圧縮や縮小かけると差があまり 判らなくなる事もありますが (自分が下手でピンボケなのは別)、今まで何度となく撮影した事がある 車も再展示された際には全部撮りなおしたいと思うほどオリジナル写真の鮮明度が高くなりました。 (2014. 1.) |
まずは銀座ギャラリーに再展示の3人乗りEV、ブレイドグライダー。 そして横浜のグローバル本社ギャラリーにはIDxフリーフローとIDxニスモの2台が。 IDxフリーフローはレトロな雰囲気も併せ持ってて正に「ハコスカの再来」。
(2013.12.) |
当日店頭販売が開始されたダイキャストカーを購入。1/43という小型サイズながら細かく作られてます。 とりあえずミニカー収集歴も約15年になりましたが、まさか自分が昔流行ったチョコエッグのオマケ食玩 のごとく大人買いやフルコンプリートを目指すような方向性に向かうとは思いませんでした。 展示中だったコンセプトカーの「TeRRA」、側面ドアは観音開きです。 そして「TeRRA」の強烈で個性的なスタイルですぐ連想したのは市販車のジューク。そういえば2009年 の東京モーターショーで展示されてたジュークの原型コンセプトカー「QAZANA」もドアが観音開きでした。 (2009年の東京モーターショーに行ってないので「QAZANA」の実車は友人が撮ってきた写真を拝借) (2013. 7.) |
約2年ぶりにBe-1と御対面、銀座で観るのは初めて。 けど、次にいつ観れるか分からないのでデジカメ写真と共に自分の目 (記憶)にも毎回しっかり焼き付けます。 Be-1でしたが2年後の1987年にそのままの姿で1万台を限定販売され「パイクカー」というジャンルを確立しました。 こちらは第26回東京モーターショーのカタログ。 しまい、Be-1をモーターショー会場で撮りはぐった事。 ついでに超激レアなグッズ。1975年、自分が小学校の社会科見学で行った日産座間工場(当時)でもらった 子供向け解説パンフレット。この頃は丸目のZやケンメリスカイラインが現行生産車だったんですね。 |
ショールームにR34型GT-Rの懐かしいレースカーが展示されてました。 (2013. 4.) |
インフィニティ「エマージ」 (正確にはブランドでの市場投入じゃなく、インフィニティも車名の一部で日産"インフィニティQ45"としての発売でした) (2013. 3.) |
こちらは昔のスカイラインですがボンネットを開けてる所に丁度ぶつかりヘリテージカーのエンジンを初めて見学。
(2013. 2.) |
車の展示が2011年暮れから2012年にかけて年をまたいだセダンとクーペの2部構成になってたので、 年末のセダン展示の時に撮った写真を今回分と揃うまで寝かせておきました。 なかでもR30~R32型にかけてはド真ん中時代のスカイラインです。 ギャラリーでは始めてのR32スカイライン、どっかで見たことあるアルミホイールだなと思ったら自分の車と同じ。 今回のイベントで久々に実車を見るまでR32がこのアルミを標準指定で着けてたのを忘れ…というか当時から 気づいてませんでした。
(2012. 1.) |
昔は(寝なくても)平気だったゆえの過信もあってまた極端な寝不足のまま出掛けてしまいました。寝ないと出向く際の運転 でエネルギーの半分以上を使い果たしてしまうようで、到着当初は上記のような写真撮ったりして活発に動いてるのが徐々 にパワーダウン。座れば休息の域を超えた爆睡モード入ったりまさに「電池が切れかかった」ような状態に。好きなものに 囲まれてる楽しい場所なのに活動が低下して動きが鈍くなってくるというのはマズいですな… (行く前日はちゃんと寝とけってだけの話ですけど)。
(2011.12.) |
プレス発表の会見みたいなイベントを予想してたら何ともほのぼのとした雰囲気。 休日で混んでた中、いい構図で写真を撮ろうとして逆にタイミング逃がしたりしながら何とか数枚撮影。 普段タバコも酒もやらず (酒は飲めますけど)持病で薬を常用してるわけでもなく、健康診断では同世代の平均 以上な数値を出すにもかかわらず近年時々具合が悪いのは一にも二にも不摂生… (2011.11.) |
急に決めたので写真を撮る為のデジカメに使うバッテリー充電が間に合わず初めてXperia搭載カメラを使用。 しかしこれがまたデジカメいらないんじゃないかってほど高画質でビックリ。今の携帯はホントに「具がすべて 入ってる幕の内弁当」みたいな感じです。 (2011.10.) |
1988年登場のシーマはバブル景気で大ヒット。更に翌年1989年4月に実施された3ナンバー車 (幅170cm以上、 エンジン排気量2001cc以上) の大規模な自動車税減税も追い風になり「新しいビッグ・カーの時代が来る」の キャッチコピーが現実の物となりました。 今では普通になった177cmというシーマの車幅は国産車にとって一種のブレイクスルーだったのです。 今でこそ一般的になった3ナンバー車の自動車税は下限が年間45000円ですが減税前は81500円。 5ナンバー (車幅170cm未満、排気量2000cc以下)の上限額である年39500円から一気に跳ね上がっていたので、 昔は路上を走ってた車の殆んどが維持費の安い5ナンバー車で占められていました。 減税が3ナンバーの敷居を低くしたと言えなくもないですけど、施行されたタイミングとシーマのヒットが後に車内 が広い居住性の高い車を日本で身近な存在にするきっかけにもなりました。 余談として今考えれば馬鹿な話かもですけど当時は高い維持費が払える経済力を表す「3ナンバーステータス」 なるものが存在して、トヨタの初代ソアラやセリカXX、日産の初代レパードなど登場時に2000ccと上級グレードの 2800~3000ccが同時ラインナップされた車は大排気量の3ナンバー側に価値が置かれてたりしました。
(2011.11.) |
ムラーノのカブリオレ。大型SUVのオープンカーという発想にビックリしました。 (2011. 6.) |
実は「さあ行こう」と決断して家を出たものの、運転中あまりに眠いので引き返そうかと悩み… でも当日しか行ける日がないしと思いながら途中恵比寿のコンビニへ立ち寄り濃縮カフェイン の「眠眠打破」を買って飲んだら少し回復、そのまま横浜へ。 到着後、現地のリラックスできるギャラリー環境が逆に災いして眠気再発。睡魔と闘いながら滅多に 拝めない車たちを写真に収め、未所有だったZのミニカーを購入し帰宅。因みに帰路は「メガシャキ」 を飲んで第一京浜(国道15号)。 |
帰りに駐車場で愛車と日産本社ビルのツーショット写真を撮影しました。 (2011. 1.) |
するのに30分ほど定位置で待つ事に。約1年間コンセプトカーの水色だけを目にしてイメージが固定化してた ので量産車の各ボディカラーがすごい新鮮でした。 (2010.12.) |
ここで無駄な知識かものトリビア的な内容を少々。このセレナという車、現在のNV200という車種と同じくバネット という車に源流があります。(バネットの正統な直系は写真のNV200) デビューしたバネットラルゴと共に1994年「セレナ」「ラルゴ」へ独立します。(写真のカタログは独立後のラルゴ、 その後ラルゴはセレナに統合されてなくなりました) とプレーリージョイのカタログ。 (2010. 7.) |
今回展示中の車で自分的にド真ん中だったのは1987年発売のBe-1。この車やフィガロ、パオ等をまとめて パイクカーと呼んでました。 その他参考出展デザインほぼそのままの市販車例。1983年第25回モーターショーのトヨタSV-3 (初代MR-2) は翌年1984年に市販化。 (2010. 1.) |
中でもZ31型は免許取得当時に欲しかった1台。しばらく車の前にしゃがみこみ眺めていました。このZですが 何故か道路ですれ違う以外近くで見る機会になかなか恵まれず約25年が経過。今回の展示で初めて間近で 観る事が実現しました。 (2009.10.) |
(2009. 9.) |
2005年のモーターショーに展示された生物みたいなコンセプトカーPIVO。 (2009. 8.) |
(2009.11.)
(2009. 7.) |
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