先日隣室からカセットテープと明治村の写真を引っ張り出した時にある事を考えました。それは当時
自分が旅行で泊まった宿泊施設は今どうなってるのかという事。前に一度P3Dの静岡空港シーナリー
を買った際、静岡の山奥にある秘境の地「梅ヶ島コンヤ温泉郷」の旅行を思い出しグーグルマップを
使って2012年の状態を見つけた事がありましたが、とりあえず今回も同様の探索です。

とはいえ経てきた年月が長く自分の子供時代まで遡って当時行った場所を特定するのは結構難易度が高く、
上記の泊まった旅館を見つけるのもある程度の時間を要しました。という事でまずは不精して上記と同じ
旅館の今をグーグルマップで検索。結果昨年8月に更新された画像には木に覆いつくされてる建物の姿が…
左から1977年、2012年、2021年。建物はそのままで段々ジャングルのようになってきてます。

パジャマのまま早朝自分が外に出た際に旅館の窓から撮影された場所が今どうなってるかも確認。
関係ないですが当時の自分を拡大したら解像度の低さで両手が寄生獣のミギーみたいな状態に。
こちらは前回探索した2012年の状態からあまり変わってませんでした。

探索を思いついたものの写真と宿泊した宿の名前以外残ってる資料が少なく難航し段々と面倒
になってしまい…ダラダラと進めながらとりあえずもう1ヵ所見つけました。スキーへ行った際に
泊まった山小屋風の民宿です。ハツカ石というスキー場のド真ん中に建ってて宿を出ると目の前
がゲレンデ。しかも3基あったリフトの1基めを登った先にあったので板を履きそのまま滑り降りる
ロケーションは最高でした。1977年から1982年にかけ複数回宿泊してます。

探し始めたら何とリフトが撤去されスキー場自体がかなり前に無くなってたという驚きからスタート。
しかし夏のストリートビューで山道を登ってくと建物を発見、約40年前に泊まった宿が現存してます。
かなり建物が痛んでて「食堂」の看板の「堂」の上部分だけ残ってる状態。
ゲレンデが消えた周辺は空き家になり朽ち果ててる建物やリフォームやリノベーションされ現在
も使われてる建物など様々。なんだかんだで建物自体は結構残ってるものですね。
後のバブル崩壊やスノボに主流が変わる等の過程でゲレンデの世代交代が行われたのを再確認
しました。
余談として後から調べたら現在ハツカ石スキー場は無くなったもののこの一帯すべてが石打丸山
スキー場の敷地内 (というか当時から石打丸山の一部だったみたいです)として扱われてました。
今もハツカ石ファミリーゲレンデという名前のゲレンデがありますが昔のハツカ石ゲレンデとは
別の場所、今回写真を載せてる自分が当時滑ってたゲレンデがあった場所は冬場立ち入り禁止
区域になってます。

2016年夏、日産自動車の公式Facebookを久々に訪ねたら「乗鞍高原スカイライン」を電気自動車のリーフで走る記事がありました。
そしてこれを読んで驚いた事が…
それは2003年から乗鞍スカイラインで通行規制が始まり、今は一般車が走れなくなってるという事。まったく知りませんでした。

という事で一般車で走った昔の乗鞍スカイライン動画 (撮影日は1983年7月31日)をキャプチャーしてみました。ただ上記のFacebook先
にある動画の対極のような天候最悪な映像です。高校在学時から教習所に通い18歳ですぐ自動車免許を取得した友人と車2台体制で
行った時の録画ビデオで、本当に凄まじい悪天候動画ですけど「乗鞍を自家用車で走ってる映像」そのものが今は貴重かもという事で
とりあえず… (飛騨高山から乗鞍高原を抜け上高地へ…というグループ旅行でしたが自分はこの時まだ免許を取ってなかったため
運転は担当してません)

"濃霧"
道路に滝 (その1)
道路に滝 (その2)
山頂、暴風雨に耐えてます。
山を越えたら天候回復、そして「牛」
冬に豪雪で閉まるゲート。
晴れるのが遅い…
宿で「傘ぶっ壊れ記念」の写真。

余談ですがこの時使ってたビデオカメラはカメラ部と録画機が別れた2体式。家庭用でありながら重さはカメラ約2.7キロで録画機が
バッテリーも含めると4.8キロ。スマホでフルハイビジョンや4K動画が録れる今となっては信じられないような重量級の機材を旅行に
持っていかないと動画が残せない時代でした。
 

2012年11月14日、ケアンズで皆既日食が観測され脚光を浴びたのを機にオーストラリアで買った土産物を久々に出してみました。

まずは「道路を横断するカンガルーとウォンバットに注意」の標識レプリカ。オーストラリアならでは、というかオーストラリアにしかない標識です。

もうひとつは約120年前となる1891年に開通したケアンズとキュランダを結ぶ「キュランダ観光鉄道」のポスター、泊まったホテルの売店で
購入しました。この鉄道で一番のビューポイントとなる大鉄橋の写真です。

そしてこちらが「キュランダ観光鉄道」動画。ケアンズ駅から
鉄橋の手前までを約3分半にまとめた前編です。


同じく3分に編集した後編。大鉄橋を渡りキュランダ駅に着くまで。


こちらは上のビデオの翌年また行って録った同じ鉄橋。 前年うまく掴めなかった
「車内で左右に移動しながら鉄橋と滝を録るタイミング」の教訓をこの時は活かしたつもり…? です。


横須賀港沖合いにある猿島要塞、2002年夏に行った時の写真です。

幕末に砲台が始めて設置されたあと1877(明治10)年海軍省管轄、同1881(明治14)年陸軍省管轄になり1884(明治17)年要塞が完成。
後に再び海軍省の管轄に戻り1941(昭和14)年、戦争の空襲に備え首都防衛の高射砲が配備されました。
現在は海水浴場があったり一部リゾート化が進んでるものの、島の奥に入ると写真のような要塞司令部につながる壕や対空監視哨など
がそのまま残っています。尚1993年~95年まで一時渡航が禁止されてたみたいですが詳しい理由は知りません。
実はこの島デートコースとして有名です。
上の写真の要塞壕が暗く不気味なためカップルが思わず手をつなぐ事から"愛のトンネル"と呼ばれてたりします。しかし自分は彼女を
連れながら訪れつつもそういう情緒的なロケーションとは関係なく、故・松田優作の映画「蘇る金狼」の撮影地に使われた場所という事
でワクワクしながら島へ上陸したのでした。

猿島島内ビデオ


帰路の船&横須賀三笠公園「戦艦三笠」


1999年3月、子供の頃「太陽に吠えろ!」や「西部警察」を見て以来の憧れの人物、石原裕次郎の小樽記念館前で撮った写真。

「西部警察」絡みではいまだに大門団長 =渡哲也のマネをしたまま習慣化した一人称で自らを「自分」と呼ぶクセが抜けません。
ただ飲酒運転検問中のおまわりさんには、さり気なくウケが良かったです。
「石原プロワールド」と「石原裕次郎記念館」のチケット&パンフレット。

当時の動画です。(「石原裕次郎記念館」と「石原プロワールド」両館内は撮影不可だったので外観のみ)、すごく風の強い日でした。
映像後半は帰路で寄った土産店の「何故かANAの水槽に入ってるカニ」と新千歳空港。



ラスベガス (1999. 5.~2000.3.)
動画の撮影日は1999年5~9月。金色に輝くマンダレイベイホテル (上層35~39階はフォーシーズンホテル)が同年3月にオープン。
同じくベネチアンホテルも完成直後でプラネットハリウッドは(当時はアラジンホテル)建築中という、ベガスが「カジノ中心の街から
総合テーマパークへ」変貌してる真っ最中の頃です。

ニューヨークニューヨークホテルのジェットコースター。


ストラトスフィアタワーからの夜景。


ミラージュホテル前の火を噴く火山。


地上約300mの高さにあるストラトスフィアタワーのジェットコースター、「ハイローラー」。動画の1分50秒あたり
でヘリコプターがやや下を横切ります。残念ながら2005年12月31日に閉鎖・撤去されました。


ラスベガス"カジノ"エピソード
ルーレットをゲーミングした時の話。ルーレットで一番当たりがでかいのは数字をダイレクトにヒットさせ賭け金を36倍にする事ですが
あまりに確立が低い。そこで一緒のテーブルで賭けてる他の大口客が一番チップを積み上げた「数字」の逆の色、赤か黒のどちらか
に毎回10~15枚づつ賭けていました。
カジノディーラーがルーレットに球を投げ込む際、数字はともかく少なくとも色は振り分けられるテクニックがあるという事を前提にして、
球が投げ込まれる直前まで他の客を観察しその中から36倍を狙ってヤマを張る客が「一番チップを積み上げた数字」、つまりそこに
当たると「店側が一番損をする数字」の「反対の色」のスペースに賭けてたわけです。
赤か黒、2/1の確立なので倍率も2倍ですがそれを繰り返して11連勝 (ボールが投げ込まれた後に制限時間ギリギリでチップを追加
したり変更する人もいるので偶然もあるかもですけど)、元金を2倍強に増やしたところで降りました。


追記.
その時本当はもう少し続けたかったんですけど、カジノディーラーの後にいたガードマンっぽい黒スーツの人が自分の顔を見ながら
手元で小さな拍手をされたんですね。何となく手の内というか何かを見抜かれたような気がしたと同時に、自分が毎回ダシにしてた
「チップを1人で積み上げヤマを張る客」と仲間だと思われてもまずいと思いそのテーブルは降りてしまいました。
例えばプレイ中芝居的リアクションで感情を隠し様々な策を練りながら綿密に計算したり、周辺視野を使いながら周囲の人や物の
動きを観察して分析してたり、運まかせのスロットマシン以外のカジノゲームは奥が深い心理戦要素タップリの世界なのです。

ラスベガスマッカラン空港のロビー。
いきなり空港からスロット全開。このスロットマシンはジャックポッドと呼ばれベガス全域の同系列スロットとオンラインで接続、すべての
掛け金が電光掲示版に表示されながらプールされて(これがすごい勢いで増えていく) 大当たりした人の所へ瞬時に全額落ちる仕組み。
この時当ててれば日本円で"13億円"くらい手に入ったのに…ダメでした。

持ち帰ったスロットマシンのコイン、1ドルコインと同じ大きさです。アメリカで1ドルがほとんど紙幣になりコインが日常であまり使われない
ものの大きいコインが大量に落下する"音の魅力"を1ドルスロットに残すため使われるようになったと添乗員の方に聞きました。
このコインをギャンブル運の御守りとして友人に1個あげたらその週競馬で大当たり。これがあれば日本では一切ギャンブルをやらない
自分もイケるかな…

フレモントストリートのアーケードアトラクション。ローテーションで上映の度に毎回内容が変わります。この時に初ラスベガスで
フレモントストリートも初の訪問でしたが、「ミッション・インポッシプル & 007」というシークレットエージェント映画好きな自分の
ド真ん中なテーマと偶然当たり勝手に喜んでました。
有名な「007/ゴールドフィンガー」のレーザー光線シーンやボンドがマティーニを注文する際の決め台詞「ステアじゃなくシェイク
で(ボンドガールが代弁)」が出てきた時は思わずニヤリ。


こちらは昼間のフレモントストリート。上のアトラクション動画の2年後です。


ラスベガスのアウトレットモールで購入した1/18スケールのリムジン。2度目の訪問時に宿泊したMGMグラントホテルの送迎車は
これと同型で車体がなんと金色に塗られてました。

MGMの金色リムジン動画

ラスベガスの各カジノホテル客室カードキー。今回久々に写真撮るのに出してきて初めて裏側に
「チェックアウトの際フロントに返して」と書いてあるのに気づきました。(実際は宿泊客変わるごと
にキーコード変えちゃうから大丈夫でしょうけど)

デスバレー (2000 .3 .8.)

カリフォルニア州とネバダ州の州境。
海抜マイナス85m。
矢印のところが海の高さです。
かなりコンディション悪い日でした、
風も強かった。

ロサンゼルス (1999. 9.)

ロサンゼルス郊外のヴァン・ナイズ空港 (Van Nuys Airport)にて

ロサンゼルス中心部

LAユニバーサルスタジオ。この後メキシコとの国境に近い街サンディエゴへ。

サンディエゴ湾に停泊中の空母を背に。この後徒歩で国境を越えメキシコのティファナへ。

ティファナの観光バス。50年前の車だそう。

(参考までに「リトル・ニキータ」という映画のラストでサンディエゴからティファナの国境風景が見れます)

アメリカからメキシコへは所定時間内 (72時間)の限定入国が特例で許されてて、そのツアーに参加したわけですが
当然メキシコ入国の判は押されない。
そしたらティファナの銀製品みやげ店で店長さんが「せっかくメキシコ来たのに証拠ないと日本で自慢できないでしょ、
うちの特製入国スタンプを押してって下さい」とアドバイス。パスポートなのにいいのか? と思いつつ「大丈夫、大丈夫」
のかけ声でツアー参加者全員が自分のパスポートに店特製入国スタンプを自分でペタペタ、中には複数押してる人も。

…で結果はというと、帰国時とその後の成田空港出入国は問題なし。ただパスポート更新時に「関係ないスタンプは
まぎらわしいので押さないようにしてくださいね」と係員の女性にやさしく注意されてしまいました。一緒のツアーだった
他の人たち大丈夫か? (更新前のパスポート髪の毛まっ茶で全体サビまくり)
髪の毛がサビてた頃、シャツより髪の色が薄いス

サンフランシスコ (1999. 5.)

アメリカ・ヨセミテ国立公園。(1999. 5.25.)


ヨセミテ国立公園続き。エル・キャピタンからハーフドームへ。リスが鳴いてます。(1999. 5.25.)


サンフランシスコ沖、アル・カポネが収監されてた事で有名なアルカトラズ島刑務所

坂の街サンフランシスコの名所ランバードストリートのビデオ、街中に「日光いろは坂」があるような感じです。
観光客でごった返す前の早朝に出向き撮影しました。


韓国ソウル(1998.11.)

焼肉を食べに1泊2日で。


オーストラリア・ケアンズ(1998.9.)
毎度お世話になってたカンタスオーストラリア航空。
前年に続き原生林探検ツアー。



ケアンズ郊外バロン川ラフティング(急流下り)。他の人の肖像権絡みでなかなか写真が…
この時ボートの日本人インストラクターの方と仲良くなり、その方のアパートに彼女&友人カップル&一緒に参加した女の子2人
と夜なだれ込み。インストラクターの方が名古屋出身で、名物の「味噌カツ」を晩御飯に作っていただき皆で食べました。
こちらは乗馬体験オプション。
パドックを周回するのではなく自然の山や川の中を馬の走らせ方、曲げ方、止め方を習って自分で操りながらまわります。
最初の研修を受けてる中で「今までに乗馬経験のある方は」と聞かれ、那須高原と北海道でパドック経験があった自分は
何も考えず1人手を上げたら一番の暴れ馬に乗せられてしまい…
列を作って歩いてるなか一頭だけ急に走り出したり、川を渡れば勝手に深いほうに向かって膝までびしょ濡れにされたり
と散々な状態。一応その後に途中の休憩でコミュニケーションとった後は何とかおとなしくなってくれましたが、とりあえず
大変な馬だったよブランドン君。

オーストラリア・ケアンズ(1997.10.)

グリーン島パラセーリング。セスナフロートの水上着陸も撮影してます。


ビデオカメラを持ったまま乗れなかったので上空からは連続写真で。

カンタスオーストラリア航空。
ケアンズ市内。

原生林探検ツアーで乗ったハマーH1。
屋根に登って記念写真。

担当ドライバーの方と。
これ自分はリポビタンDのCMのマネして撮ったつもり。

グリーンアイランドリゾート

ケアンズ市内、リーフホテルカジノ前

ハワイ(1997.9.)

ハワイで録ったVTRからのキャプチャ映像。当時日本でのブームがピークだったプリクラが既に進出しててビックリしました。

そして日本では法律上不可能なピストルの実弾射撃、「チラシ持参の方は実弾20発無料」ってありえないようなクレジットが。
(隣の両替所、1ドル約125円)

伊豆七島の新島「写真①~②」、神津島「③~④」、式根島「⑤~⑥」です。

1980年代中盤に3島合計で8回遊びに行きました。







新島と神津島へは調布飛行場から直行便が出ています (所要時間45分~50分)

自分は毎回竹芝桟橋から東海汽船で約8時間の船旅…。

島へ上陸前夜に船で知りあった女の子たちと徹夜で騒いで、翌朝島へ到着後はそのままレンタカーを借りて走りまわったり
今では考えられない勢いで動いてました。
写真の石像はコーガ石という珍しい石で作られてる新島名物モヤイ像、渋谷駅南口のモヤイ像も新島原産です。

こちらは神津島のレンタカー。3日間借り続けて夜は宿の前にそのまま駐車。

式根島港。

こちらは新島の高台から見た風景。手前の平らな島が式根島、左の奥にうっすら見えるのが神津島です。

神津島。

数十年経った今でもあの浜松町駅から竹芝桟橋に向かう人々の熱気は忘れられません。自分含めてみんな若かったから
良い意味でも悪い意味でも真夏の暑さを超えて全体がギラギラしてたんですよね。是非は別にしてオヤジになり昔より地味
な日常になっても、人生若いうちに悔いなく楽しんでおけば思い出だけで飯が食えたりします…てかあんな機動力もうないわ。
1986年夏の新島羽伏浦海岸。