「VIVANT」のブルーレイBOXを2024年初の週末に購入。昨年末の発売直後すぐ売切れになり買えなかった待望の商品です。

先日公開されたゴジラ映画最新作「ゴジラ -1.0」が国内だけじゃなくアメリカでも大ヒットというニュース。
今回はそれに便乗し「ゴジラの見た日本」という昔保存した特番を久々に引っ張り出し鑑賞したので御紹介。
こちらは28年前となる1995年に戦後50年特別企画として放送された約2時間のテレビ番組です。

各時代に制作されたゴジラ作品と戦後近代史を組み合わせながら世相を切るという斬新な内容でした。

まずはお約束としてゴジラ映画が誕生するきっかけとなった1954年の「第5福竜丸事件」から考察が始まり…

貴重な資料と共にどうやってゴジラが生まれたかを詳しく解説。自分も今回久々に番組を見るまで恐竜イグアノドン
の胴体にティラノサウルスの頭とステゴサウルスの背びれを合成しモデル化したという裏話をすっかり忘れてました。
上記の第5福竜丸事件と関連した内容ですがゴジラの最初のデザイン画に書かれた頭部は「核爆発のキノコ雲」を
モデルにして作られたというエピソードは今じゃ放送できないかも。

こうして1954年に公開されたゴジラから始まる歴代シリーズと近代史の検証を組み合わせながら分析していくという
バラエティー番組としては非常に内容が濃い展開に。

ゴジラが当時流行った「シェー」のポーズをとったり加山雄三「若大将シリーズ」のマネで鼻をこするポーズを
したりなど一時期いろんな意味でエスカレートというか迷走状態に入ってた事も特集されてます。

更には精神病理学の先生も登場。ゴジラがウケる背景の一つに人々の潜在的な「破壊願望」があり、街を破壊する
ゴジラにカタルシスを感じる事で社会に対する鬱憤を発散してるという凄い話も飛び出し…

そして時代は高度成長期。ちょうど自分が幼稚園から小学生になる頃でゴジラをリアルタイムで映画館に観に行き
始める頃です。余談ですが公害問題を扱った「ゴジラ対ヘドラ」は自分が初めて映画館で観たゴジラ映画でした。

その後、対ガイガン、メガロ、メカゴジラと、今思えばシリーズが一番子供向けに作られてた時代にゴジラ作品
を子供視点で楽しみ、その後シリーズが途切れたタイミングで自分は一旦怪獣映画から離れました。
因みに番組では中東戦争勃発からの石油ショックから映画の制作費も高騰、シリーズが停止し休眠状態に入った
と分析されてます。

時代は流れ冷戦の激化からレーガン大統領がソ連のミサイルを宇宙で迎撃する「スターウォーズ構想」をぶち上げ
たのが1983年。その翌年の1984年にゴジラはスクリーンにカムバックしました。
これもまた当時の時代を反映しゴジラが原発を襲い原子炉を取り出して放射線を吸収するとか、ソ連の原潜がゴジラ
に襲われアメリカが犯人と疑われて全面核戦争になりかけたりとか、更には東京都心にいるゴジラに向けて誤発射
されたソ連の核ミサイルを撃墜する為のミサイルが沖縄嘉手納基地から発射されたりとか今だとやや危ないネタも。

その数年後に世界は大転換期を迎えます。1989年11月にベルリンの壁が崩壊、同じく1989年12月に地中海マルタで
東西冷戦終結宣言のマルタ会談が行われそこから約1年後の1990年10月には東西ドイツが統一。そして1991年12月
遂にソ連崩壊…と書いてますけど実はこれら近代史の詳細部分は自分が後から知った歴史です。
20代前半だったリアルタイム時は遊びまくってた為に殆ど関心なかったんですね。とりあえず一番記憶してる当時の
東欧諸国における混乱の映像が (飲み会で女の子を口説いてた最中チラッと見た居酒屋設置のテレビで偶然流れてた
ニュース) だというのは、還暦も間近に迫った身としてあまりシャレで語ってはいけない内容かも。

ゴジラのカムバックから数年で日本にバブル景気が到来したのもあり番組では過去の景気上昇と並べながら分析
されてますが数年でこちらも大転換期を迎え1990年にバブルは崩壊。日本も失われた数十年へ突入していきます。
ただ1990年代に入ってからゴジラシリーズは毎年のように作られてたみたいですね。因みに「作られてたみたい」
と書くのは自分が1989年の「ゴジラ対ビオランテ」以降の作品を観てないだけでなく公開されてた事も当時この
番組を見るまで知らなかったからです。

長くなってしまったのでゴジラとは関係ないですが1992年の湾岸戦争勃発と1994年の1ドルが初めて100円を切った
ニュース映像で終わります。

先週初めて日曜の夜に「VIVANT」というドラマが放送されてるのを知りました。知るのが遅れて物語も佳境に入ってしまい、
かなりの部分を見逃してしまいましたが…作品のテーマや内容が結構濃いのでDVDかブルーレイが発売されたら買おうかなと
考えてます。余談として「公の秘密」みたいな位置付けだったVIVANTの語源、このドラマがきっかけで有名になるのかな…

2年半程前に複数の知人とやりとりしたメール。コロナ関連の話題の際にも書きましたけど一応ですが自分は「中の人」では
ありません。(誰もそんな事思わねーよと突っ込まないように)

2021年度に改訂された国語辞典で既に現代語じゃなくなったと判断され「ミニディスク (MD)」や「テレカ」等の
言葉が辞書から消えるという自分的に衝撃的なニュースが入ってきました。
とりあえず家ではMDがまだ現役…というか年末に復活させたところてした。もう来てしまいましたがコロナ第6波
のオミクロン流行に備えたインドア生活充実の為、MD内蔵のミニコンポをパソコンモニター横に設置したのと時を
同じくして上記のニュースが飛びこんできたという感じです。
昔録音したmp3に変換してない音源を再生し聞いたら自室が昭和か平成にタイムスリップしたかのような空間に。
余談として久々に動かしましたが故障無しというのがまた凄い。2005年に買った製品で実に17年の歳月が経過
してる訳ですけど昔の機材は本当に頑丈です。

そしてもうひとつ。昨年国語辞典から「コギャル」という言葉も消えました。過去にない感性を持つ1990年代に登場
した女子高生の総称です。
という事で自分がまだ20代、ギラギラ感も残ってた1993年に録画したあるテレビ番組を御紹介。当時のVHSテープ
からブルーレイディスクに移行したものの長らく再生してなかったこの番組を辞典から単語が消えた令和の時代に
蘇らせます。

番組名はそのものずばりのコギャルナイト。

まずはコギャルの生息地、渋谷センター街での街頭インタビューに始まって、

その後通販番組の寸劇が始まります。モテないと嘆く幸の薄い女の子が通りかかり…

コギャル変身セットで大変身を遂げます。

そこへバブル世代のパーティー君登場。夜な夜なディスコで盛り上がる今で言うウェーイ系です(因みに
自分もバブル世代ド真ん中)。しかしコギャルにフラれてしまう。何故だろう…
それはコギャルがバブル世代と一線を介す年代故に、コギャルと同世代の男の側で流行り出してたロン毛
(長髪)が好みのタイプだから。

という事で今度はロンゲ変身セット登場。パーティー君はコギャル受けの良いサーファー系ロン毛に変身。

今度はパーティー君、コギャルの好みにばっちりキマってナンパ成功めでたしめでたしという展開。
余談としてラチるはさらうを意味する拉致が語源です。

同じく現代用語から消えたポケベルの特集等を挟み、

終盤は六本木AREAでディスコタイム。お立ち台で踊ってたバブル世代女性を大ギャルと称し、コギャル達
が世代交代を迫るというシュールな展開。

しかし最後はみんな仲良くパラパラを踊ってハッピーエンド。六本木に再び平和が訪れたというナレーション
で締めくくりです。今見ると何じゃそりゃって内容ですがアナログ時代の地上波放送は今では考えられない
ユルユルな状態。1993年は既にバブル崩壊から数年が経ってますけど巷にはまだ勢いがあったんですね。
最後になりますがここに出てる方々…今現在全員が45~55歳になってる事を考えたら少し冷静になりました。

先日「傷だらけの天使」のブルーレイBOXを購入した事をきっかけにドラマの舞台だった代々木会館ビル、通称「エンジェルビル」
を久々に訪問してきましたが…

8月1日からビルの取り壊しが始まる事になり年内にその姿を消します。5月に訪問した時点で今年中に取り壊される事を自分は
知っていましたけど遂に日程が決まりました。


余談としてエンジェルビル関連のTwitter画像を追ってた中で知った話をひとつ。7月19日から公開になる「天気の子」というアニメ
映画の中にエンジェルビルが登場します。

映画の公式ページからTRAILERへ進み、2つある予告編のうち右側の予告バージョンへ進むと…

まさしくこれはエンジェルビル。

実際には無いビル壁面の非常階段、そして屋上にあるのはオサムとアキラが住んでたペントハウスじゃなく鳥居を持つ祠なので
架空の建物という設定ですけど (映画公開から間もなく取り壊しが始まり本当に幻の建物になります)、後にあるNTTドコモビルや
屋上からの風景などエンジェルビルがモデルなのは間違いありません。

そして7月初旬、エンジェルビルに再び出向いたら取り壊しに向け完全閉鎖されてました。

因みに自分以外にもビルの写真を撮りに来てる人が何人かいましたが従来からの「傷天」ファンなのか映画「天気の子」の関係
なのか (聖地巡礼と呼ぶそうです)よくわからなくなってます。

(2019. 7.)

週末所用で外出した帰りにヨドバシカメラへ立ち寄り「傷だらけの天使」のブルーレイを購入してきました。
往年の名作テレビドラマBOXです。

という事でドラマの舞台だった代々木会館ビル、通称「エンジェルビル」を久々に訪問。放送がスタートした
1974年から45年が経った2019年の今も現存してます。


このビルの屋上に主人公のオサムとアキラが住んでる「ペントハウス」があった…てか今現在もあります。

ペントハウスは廃墟化が進みつつも建物としてそこそこな状態を維持してましたが、2011年の東関東大震災
で大きく半壊。その後修復される事なくそのままです。ビルの上層階が立ち入り禁止で入れない為どうなって
るかは分かりませんけど、見上げる限りペントハウスが結構ヤバい状況になってるのは確か。

こちらは2015年秋に撮ったエンジェルビルと屋上ペントハウス。

そして翌2016年に撮った写真。ここだけずっと時間が止まったような空間となってます。

先日ヨドバシカメラのウェブページでDVDとブルーレイディスクの新作リリースをチェックをしてたら昔のテレビシリーズを
収録したDVDボックスを偶然見つけ速攻で購入しました。それは30数年前に放送された「大激闘 マッドポリス80」という作品。

実はこの番組は自分が子供の頃、あの「西部警察」よりも前に初めてハマった刑事モノのドラマです。毎週が楽しみで楽しみで
全話リアルタイムで観ました。ストーリーはというと…まあとりあえずゴールデンタイムの時間帯にオンエアする番組として現在の
放送コードでは絶対に作れない過激な内容です。(興味を持たれた方がいましたら作品名でググってみて下さい)
そして規制がユルかった当時でもクレームがかなり入ったため後半は「特命刑事」と番組名を変え少しだけ穏健な路線になった
というエピソード付き、DVDはその「特命刑事」も収録されたコンプリートBOXになってます。

歌手の安室奈美恵さんが1年後に引退するというニュースが流れましたが自分はこのニュースを見て昔テレビから
録ったひとつの番組を思い出しました。それは「グラフィティ96」という番組で録画日は21年前となる1996年9月5日。

「アムラー」と呼ばれる女の子達の登場など当時社会現象にまでなった「安室ちゃん」を、同年8月31日に行われた
千葉マリンスタジアムでのコンサートまで追いかけたドキュメンタリー番組です。
VHSテープで録画した物をDVD (後にブルーレイディスク)へ変換した時以来なのでフル再生は約10年ぶり。

デビュー前の沖縄時代まで遡った同級生へのインタビュー、素人のど自慢番組参加の映像記録、ブレイクする前に
スーパーで行ってた営業活動のVTR等々と、二度と放送されないかもなお宝映像の数々も入ってます。
当時自分は30歳を少し過ぎたところで当初はいわゆる安室ファンではなくその頃知り合いだった女性の殆どが10歳程
年下だった関係から話題作りの勉強の為に録画した(いろいろとマメだったんですよこの頃は…)意味合いが強かった
んですが、後に自分も感化され新曲が出る度に買ったり借りたりして聞くようになってました。

余談として1996年はどんな時代だったか象徴的に分かる映像が番組中に挟まってました。それは京セラPHS携帯のCM。
詳細はというと、デート中のカップルが乾杯した直後彼氏の胸ポケットに入ってた携帯が急に鳴って驚いた彼はグラスを
落とし大騒ぎに。周りの客から注目され彼女はウンザリ…

今度は彼女のPHSが鳴ります。でも新しく登場したバイブレーション機能により振動で着信を教えてくれるので私はビックリ
しませんよ、というコテコテな展開。
平成生まれの方とか知らない世代も増えてきてるんじゃないかと思いますがPHSは現在「ガラケー」と呼ばれてる携帯電話
が市場を席巻した事で約10年前に消滅 (沖縄に唯一現存)した無線電話規格です。先にインフラが普及して何処でも繋がり
やすかった事と通信料金がガラケーより割安だった事で「ピッチ」と呼ばれながら若い女の子を中心に普及しました。そして
そのPHSを駆逐して勝者になったガラケーが今度はスマホにという…時代が流れてるなあとしみじみ思います。因みにこの
京セラPS-601は当時の価格が48000円、1996年度のグッドデザイン賞を受賞しました。
(追記. 2017年時点でソフトバンクのみ回線自体を停波してない為ワイモバイル系PHSに限り今も全国で使えるみたいです)

地元の後輩を介してVHSビデオデッキを入手しました。2016年にすべての国内メーカーが生産を中止したのでVHSデッキは
これから先どんどん手に入れる事が困難になってくハードウェア機材です。

貰ったのはファミリーユース (リモコンに貼られたシールに御家族で使用されてた名残りが) のベーシック機。実はこれが逆に
メリットでベーシック機はレンタルビデオ等の傷んだテープへの対応も絡みトラッキング制御がかなり強力。それもあって記録
帯域幅が狭くテープが疲れてくると再生が困難になる長時間モードのテープでも実力を発揮、自分が所有してる機材では再生
不可能になってた2本のテープを多少ノイズは出ますが見事にトレースしてくれました。
ちょうど30年前となる1987年に録画したこれらのテープ、音楽関連番組が中心に入ってたのは覚えてたもののラベルを貼って
ない事もあり詳細が不明となってましたが…再生したら正にカオスな状態だったので少し御紹介。当時を知ってる人は懐かしく
知らない人は驚く内容もあるかも。

まずはフジテレビの「てれび夢組」という番組。
因みに河島英五「酒と泪と男と女」は自分がカラオケスナック (まだカラオケボックスが無い時代です)で初めて歌った曲。
途中に挟まる当時足立区にあった「東京マリン」というプール施設のスポンサーCMが印象的。

こちらはTBSの歌番組(冒頭が切れててタイトル不明)。右側の画像で一番右の女の子は何とデビュー直後だった森高千里さん。
今でもお綺麗な方です。
JR東海の新幹線「シンデレラ・エクスプレス」のCMも入ってました。

米米CLUBや小比類巻かほる他、アーティスト数組の屋外ライブ番組「Music Wave 87」。

「ザ・ベストテン」はツイスト、長渕剛、徳永英明の3アーティストの映像が。収録されてる曲すべてが当時自分のカラオケナンバー。

そして極め付けがこちら。80年代洋楽ブームのなか究極のMTV番組だった「SONY MUSIC TV」を録る為UHFアンテナを設置して
都内からTVK (テレビ神奈川)とCTC (千葉テレビ)を同時遠方受信した際、その延長線上で知った番組…

千葉テレビで放送されてた「ハロー・ジャガー」。
今は全国区で有名になられてる"千葉のジャガー"ことジャガーさんの自主制作番組でライブハウス「ジャガーカフェ」からの中継。
とにかく当時東京では誰も知らなかったし初めて観た時は強烈なショックを受けました。とにかくいろんな意味で凄かった。

昔録画したSONY MUSIC TVをサラウンド導入後のホームシアターシステムで初めて再生。
1984年~1989年にかけて録画したベータマックステープからブルーレイへという、とてつもない経緯を経た映像は当初耐え難いほど強烈な
解像度の甘さでしたが数分で適応というか何とか目が慣れて…まあとりあえず1番組40数曲に及ぶ音楽PVの集合体なので音に注目。
こちらはバッチリ。元々がアナログとはいえHi-Fiという当時の高音質記録で録ってるのでテープノイズも目立たなく、ステレオ2チャンネルを
5チャンネルDSPサラウンドに変換した音響は現役で楽しめる音質、保存状態でした。
現在ほぼ入手不可能と思われるPVも混じってるのでビデオテープの寿命等、再生出来なくなる前に全部変換しといて正解でしたです。

そして途中はさまるCMの数々が懐かしい…番組名のとおりソニー1社のスポンサー体制だったので全部ソニーのCMです。
その中で24年前となる1988年の録画分に入ってたこのコマーシャルが今回あらためて印象に残りました。

俳優の小林稔侍がサラリーマン役で電車に揺られ、そこに「仕事に追われ~この頃やっと"ゆとり"が出来た~」という井上陽水の歌声が
流れるというもの。当時のソニートリニトロンテレビのコマーシャルで商品名「ゆとりにとろん」にかけてある訳ですが、このCMの意図する
「今までガムシャラにやってきたけどやっとゆっくり過ごす余裕が出来たから(テレビのCMなので)新しいテレビを買おう」の意味合い、その
真髄が今になってヒシヒシとわかるように。
これらを録画してた20代前半のその時は、後でまた観ようとMTVとか録りながらも一旦外出すれば数日は家に帰らずの日々だったりで、
「余裕ある時間を在宅にてゆったり過ごす生活様式」なんて夢にも考えたりする事はなかったんですから当然といえば当然かもですね。

別バージョン「オフィス編」。
余談ですがCMの挿入曲をこの24年間ずっとCM専用オリジナルだと思ってて、今回Googleであらためて検索したら実は1972年に発売
された「人生が二度あれば」という歌の一節だったのを初めて知りました。40年以上生きててもまだまだ知らない事だらけで恐縮です。
そしてもうひとつ…このCM撮影当時の稔侍さんの歳を今の自分がわずかに越えてるのを今回知ってちょいため息。

全国放送のテレビ番組じゃなかったのでちょいローカルネタになるかもですけど「オールナイトフジ最終回」をVHSからBDに移しかえました。
1984年頃に起きた「女子大生ブーム」の火付け役がこの番組です。

自分はこの頃から何年かの間、友人や後輩のコネであちこちの学園祭に出向いたりしていましたがこちらはその当時の学祭パンフレットのひとつ。
(これらも震災後の倉庫整理で発掘、表紙デザイン等で関係者の方見たらわかるかもですけど一応大学名は伏せときます)
オールナイトフジに出演してた普通の女子大生が「おかわりシスターズ」なるユニットを組み歌手デビューして芸能人並みの人気になって、他の
大学の学祭に呼ばれコンサートを開くという今考えるとワケがわからない状態でしたが、何ともお気楽で楽しい時代でした。

オールナイトフジから少し話ズレてきますが、やっぱりいつの時代も若者のお楽しみは「新しい出会い」。自分も学祭の後夜祭はいろんな思い出が
ちらほらと…。いわゆる"合コン系"の集まりにはなぜかあまり呼ばれなかったので、仲良かった友人数人とこういう場でそれぞれ一匹狼的に行動、
てよく考えれば出会いというよりほとんど"ナンパまがい"な状況だったんですけど。

そして女性へのアプローチでも不精な性格が表面化します。でどうするかというと…、普段は男子禁制の場なのが関係してるのか共学にくらべ比較的
"逆ナン"が多い女子大の学園祭へコネ無しで出向くように。
(童顔にみられてたんで30近くまで行ってました。何をもってなのか後輩に"悪党"呼ばわりされながら)
ただコレ今のお兄ちゃんたちにはあまりお奨めはしません、なぜなら逆ナンに慣れると少しづつ出会いに対して「受け身」な体質になってってしまうから
なんですね。なんていうか野生動物の狩猟本能が失われてくような感じ? 
なのでミョーな危機感を感じて「自分から声かけないとダメな場所」へ戻っていったりとか、で不精だからまた楽なほうへとか…書いてて自分の事なのに
ホントしょうがねー奴だったんだなとか。
自分今は歳とったことで当時のようなガツガツ感なくなってると思いますが(多分)、とりあえず草食系とかの言葉が流行るのはあんまりよくないんじゃ
ないかなと勝手に思ってます。若いうちはガッツンガッツンいかないと…基本受け身なのは女性側だから。

最新メディアであるブルーレイとソニーベータマックスHF3000のコラボ。このHF3000というビデオデッキの新品当時価格は288000円、
実はリサイクル・ショップにて約11万で買った中古品です。1度自分でヒューズ交換しただけで後は故障無し。

マイケル・ジャクソンやデュラン・デュラン、マドンナやシンディ・ローパーなど80年代洋楽MTVの洗礼をモロに浴び、テレビ神奈川・
テレビ埼玉・千葉テレビで同時放送してた「SONY MUSIC TV」を録画するためスタンバった機材。
その1984~88年にかけて録画した自分にとっては貴重なPVをブルーレイやDVDに移植してみようかと物置から引っ張り出しました。

1983年秋、都内からこれらの番組を録るためUHF帯遠方受信アンテナを近所の電気屋から購入し設置しましたが電波弱過ぎでザラザラ。
仕方なくテレビ電波増幅用ブースターを2基買い足し直列に接続、利得調整した後やっとクリアな画像を手に入れました。
しかも放送局と自宅との位置関係で千葉と神奈川が一本のアンテナから受信可となるオマケつき。
テスト段階でザラザラながら入ってきた初映像が、マドンナの「ラッキースター」という曲のプロモーションビデオだったのは鮮烈な記憶です。
なにしろ「ライク・ア・ヴァージン」でメジャーヒットする前、自分がマドンナを知らなかったんですから。
録画したビデオ、今のようにネット動画配信とかも無く、それほど放送権利がうるさくなかった (そもそも当時そこまで考えてない)のもあって、
大学でイベントサークルやってた友達から学園祭の店舗で流したいと要望を受けデッキごと貸し出し、バーターでいろんな便宜をはかって
もらったりしてました。懐かしいです。

3時間20分におよぶ番組のエンディング。
午前3時近くなのでその後すぐテレビ放送自体も終了します、これはテレビ神奈川の終了ロゴ。

電波状態の関係で同時受信できた千葉テレビのほうが映像がきれいに入ったため、後にVHSでそちらから録画する事にしましたが
ココで問題が…テレビ神奈川は「ステレオ放送」でしたが千葉テレビが「モノラル放送」だったのです。なので苦肉の策としてデッキに
ついてたサイマルキャスト記録という機能を使い音声をテレビ神奈川、映像を千葉テレビから同時録画していました。
同時刻に放送してたのでMTVは見事にシンクロしましたが、テレビ局の終了ロゴになるとそのままTVKの音声なため最後は妙な感じに。

倉庫兼用の隣室に眠る他のベータデッキ2台、HF705ともう1台のHF3000。時々電源入れてテストしながら維持してる完動品です。
上段のHF705は上記のリサイクル・ショップで新品価格約20万円だった物を8万弱で購入。下段のHF3000は巻戻しがおかしくなり
何度修理出してもダメだから部品取りにでも使ってくれと知り合いから言われタダで引き取ったものです。10年近く寝かせ試しにと
5年ほど前動かしたら…なぜか直ってました。

2019年3月11日で東関東大震災発生から丸8年が経ちました。こちらは当日録画した生放送TV映像です。
地震直後は東北から情報がまったく入らない為、東京周辺の被害状況が生放送で伝えられてました。

お台場テレコムセンター隣のビルから出火。

千葉県ではコンビナート火災発生、夜になっても鎮火せず燃え続けていました。不謹慎かもしれませんけど
実は当時この映像を見ながら、子供の頃テレビのCMで見た「東京湾炎上」という映画を思い出してました。
因みに映画本編は見た事がなくストーリーを知らず、後日YouTubeの検索欄に映画タイトルを入れ予告編を
見てタンカーがテロリストにシージャックされる物語だと知りました。
そして燃えてた東京湾はタンカーの爆発による誘爆で、印象に残ってたコンビナート爆発の場面は水谷豊
演じるテロリストの要求で爆破された鹿児島県の石油施設だった事も判明。

自分の目と耳を疑ったのが「東京タワーの先端が曲がった」というニュース。このあと津波や原発の事故等、
規模の違う被害が次々にニュースで飛び込んできてこの一件は消し飛ぶ事に。
YouTubeで見る事ができる曲がった先端の修理映像も凄い。余震も収まらない震災翌日、確認できる限り4人の
方が作業されてます。コメント欄に書かれた関係者と思われる方の記述だと命綱無し (場所的に装着できない)
だそうです。

帰宅困難者という都心の2次災害を初めて認識した映像。そして夜遅くになって東北の膨大な被害が明らかに
なり東京周辺の被災報道はほぼ無くなりました。

80年代の洋楽MTVには日本で撮影ロケされた物がいくつかあります。その中からフィル・コリンズとINXSのPVを。
まずはフィル・コリンズ「Take Me Home」。フィル・コリンズ本人が世界を巡るという映像ストーリーになってますが…
日本でのロケシーンがかなり含まれています。新宿カメラのさくらや前の映像は許可なしのゲリラ撮影した雰囲気が満載。

オーストラリアのバンド、INXSのPVは2本、「Original Sin」と「I Send A Message」。
「Original Sin」のロケ地は豊海水産埠頭。
そして「I Send A Message」は東京文京区にある護国寺で撮影されました。

2010年9月、日産の新型エルグランドCM曲「AIN'T TALKIN' ' BOUT LOVE'」をきっかけにして久々にヴァン・ヘイレンを
聞きだした流れで昔録画したMTVのなかにそのPVが残ってるんじゃないかと久々に探しながらじっくり観てしまいました。

ヴァン・ヘイレンに関してはアルバム「1984」以降の「Jump」や「Panama」等の曲しか発見できませんでしたが、やはりよく
聞いてたボン・ジョヴィの珍しいデビュー直後映像を発見。
こちらは1984年のTVKテレビ「Funky Tomato」という番組での来日生ライブ。横浜そごう特設スタジオからの放送でした。

マドンナとマイケルジャクソンのPV集DVDを購入。
はるか昔の話になりますが洋楽MTVにハマって当時すべてのPVをノーカット放送してたテレビ神奈川の番組「SONY MUSIC TV」
を都内から遠方受信するため自分で設置した「UHFアンテナ&電波増幅器」から最初に映し出された思い出深いPV映像、マドンナ
の「ラッキースター」が買ったPV集に収録されてました。
余談ですがこの時必要不可欠だったため身につけた電波や通信機器に関連する知識は、以前請負ってた仕事の他に近年では
地デジ放送用アンテナを自分で設置する際などに役立っています。

そしてこちらはマイケル・ジャクソン日本公演のビデオで録画日は1987年10月31日 (公演内容は同年10月3日の横浜アリーナ)。
マイケルが他界した直後に二十歳代の女性とこの事について話す機会があり話題を振ってはみたもののやはりピンとこない様子。
確かに自分に置き換えると以前14歳年上の親戚が1966年のビートルズ来日と武道館公演の話をしてた際「なぜそこまで熱い!?」
と思った事があり、よく考えれば自分が生まれた頃の話として歴史の一部みたく客観的に聞いてたためだと…
四半世紀前の出来事、あれだけ流行した「Thriller」や「Beat It」もリアルタイムで見てない世代にとってはそんな感じかもしれません。

車のガレージ壁面に据付けられた収納棚を掃除した際、10年以上前に友人からもらった車載用CDボックスを久々に開けたら
行方不明となってたCD数枚を発見。
愛車のカーナビをHDDナビに換装し車にCDを積んでおく必要が無くなりボックスごと降ろした際そのままになってたんですね。

まずジャーニーやヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィと同じく80年代かなりハマってたサバイバーの「BEST COLLECTION OF SURVIVOR」。
映画「ロッキー3」主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」と「ロッキー4」主題歌「バーニング・ハート」の両方が収録されてるベストアルバムです。

こちらは邦楽で夏の定番、TUBEのアルバム3枚。
「湘南」の収録曲「はよつけ鎌倉」の歌詞"江ノ電でハコ乗り"は無理だろ…て当時ツッこんでました。そしてTUBEの曲で一番好きなのは
「浪漫の夏」に収録されたシングル曲「夏を待ちきれなくて」。昔行った新島や神津島の青い海と空を思い出します。
(実際は島に行ってた頃と曲の発売時期が重なってないので、曲のイメージを後から情景にオーバーラップさせてるんですけど)

自分がまだガキの頃の1981年、寺尾聰が歌う「ルビーの指環」という曲が空前の大ヒット。当時は流行ってたという安易な理由で
レコードを購入してましたが、歳を重ねて歌詞の意味がより深く理解できるようになると何故この曲がヒットしたのかよく解かるように。

そしてこの曲が入った「Reflections =リフレクションズ」というアルバムも買いました。そちらはカセットテープしか現存してませんが、
今回パソコンの音声入力に繋いだカセットデッキ等から「アナログ信号→mp3変換」できるフリーソフトを見つけたので録音してみました。

いやー懐かしい、実は昔かなり聴きこんでまして歌詞を全曲丸暗記しててカラオケあれば今でも歌えたりとか…
以前テレビで「カラオケの歌詞を見ずに最後まで歌えたら100万円」て企画をやってましたが、このアルバムからの出題なら100万円
すべていただきです。てか昔は気に入った曲は数回聞けば歌詞は丸暗記してました。記憶力よかったんだな…(しみじみ)
そして現在このアルバムの歌詞みたいな人生というか生活を送っとります。
例えば「ルビーの指環」とともに大ヒットしたシングル「出航 SASURAI」の
"自由だけを追いかける、孤独と引き替えにして" (孤独は感じないですけど特定の彼女がいないってのは孤独?)や、

アルバム曲「喜望峰」の
"いつも俺なりに生き方選ぶ、それを我が儘と笑いなよ" "遊ぶみたいに生きてる男が一人いても良い気がする"
などなど…

まあ気に入ってた部分を抜粋し、その歌詞に乗じて今現在の身勝手を自己正当化してるだけですね。どうもスミマセン。
(でも一度きりの人生、その人生が「自分にとって」楽しいのが一番。そしてそれは人の数だけ存在します)

かつてVHSテープで録画した多くのテレビ番組や映画等のDVD化を進め始め、その後DVDからのブルーレイディスク化もほぼ完了してますが、
唯一VHSからDVDへの録画止まりだったり本格的にBDを導入する前DVDディスクで録ったりしたドキュメンタリー系ジャンルの番組群をやっと
今回ブルーレイ化。

外交国際問題や有事に起こりうる事象に絡んだ危機管理関連の番組が多かったりします。

そして4年前の2009年に録画したアメリカとロシア、二大超大国に関するNHKの特集番組。録画時間とシリーズ物の関係から数枚に及んだ
DVDを別途購入した空ケースに収納。1991年の旧ソ連崩壊まで世界を包囲してた東西冷戦構造をリアルタイムで知ってる世代なのもあってか、
こういう番組への関心は強かったりします。

保管スペースを節約する目的で録画時間の長いBD (アナログからのコピーで使える最高画質のXPモードでDVD一枚1時間に対し、BDは25GB
ディスクで5時間半、50GBディスクなら11時間)に移し換える人が本来は大半な訳ですが、結局BDと元のDVD両方を保存してしまうため逆に物が
増えてるという本末転倒ぶり…恐縮です。

自分が初めて買った飛行機関連の雑誌、1977年発行「ミグ25とミグ23写真集」です。航空祭等で戦闘機に興味を持ち出してから古本屋で買いました。
この本が出る前年1976年9月6日、北海道の函館空港に旧ソ連空軍の最新鋭戦闘機「ミグ25フォックスバット」が突然飛来。あっというまに強行着陸し
パイロットが西側へ亡命を要請するという衝撃的な事件があり、その時函館で撮影されたミグ25と「ミグ23フロッガー」の写真を集めた本となってます。
事件当時の時点では飛行機全般に関心は薄かったものの強く印象に残った事で初めて買った航空雑誌がこの本になったのは間違いありません。

上記した東西冷戦時代の真っ只中で「鉄のカーテン」と呼ばれ神秘のベールに包まれた東側から、西側が殆ど情報を持ってなかった最新鋭戦闘機
の「実物」が日本へ飛来したという事でそれはもう大騒ぎでした。厳密には1989年「ベルリンの壁崩壊」時点で冷戦は終了しましたが、ずっと「アメリカ
対ソ連」の軸で冷戦を捉えていた自分はソ連がなくなったその時が東西冷戦が終わった瞬間とどうしても考えてしまいます。
そしてミグ25は主翼と尾翼を外され、アメリカ空軍の大型輸送機C-5ギャラクシーに載せられて茨城の航空自衛隊百里基地へ移送。日米共同で解体
されて"身体検査"された後、再度組み上げられ機体の持ち主であるソ連へ返却されました。

2014年11月10日(~物理的な壁の崩壊が10日で東西往来自由化の観点からは9日とされてます)は、東西冷戦の象徴だった
「ベルリンの壁」崩壊から25周年。それに因んで"超"がつく激レア物を御紹介。

旧ソビエト連邦 (現ロシア ~他)発行の風景写真集。1955年頃のソビエト内を撮影した写真集で詳細は不明、解説が英語なので西側への広報向けと
思われます。(入手元は失念)

昔テレビから録画した懐かしい自動車番組をご紹介、TVK(テレビ神奈川)系列で放送してた「新車情報シリーズ」です。洋楽MTVを録るため
都内からUHF帯を遠方受信できる高利得アンテナを買ってきて設置した事から見つけた副産物的な番組でしたが、東京のキー局で観られる
自動車関連番組すべてと比べてもダントツでこの番組が好きでした。
記念すべき初録画は1985年6月9日、「新車情報85」からのスバル・アルシオーネ (AX)。前衛的過ぎるデザインは当時少し早すぎたみたいです。
S13シルビア登場までデートカーの中心的存在だったホンダ・プレリュード (BA1)。(1985年8月19日録画)
"流面形"という新語を生み出したトヨタ・セリカ (ST162)、今の車の大半がもっと丸っこいですけど。(1985年9月22日録画)
マツダ・RX-7 (FC3S)。これを録った数週間後に第26回東京モーターショーで初めて実車を見ました。(1985年10月12日録画)
ページが下に長く伸びてますけども…
翌年には「新車情報86」でハイソカー (これもデートカーと同じく死語です) のトヨタ・ソアラ (Z20)や日産・レパード (F31)をチェックしたり。

…きりがないので時代とびますが、「新車情報93」から日産・シルビア (S14)とトヨタ・スープラ (A80)。

「新車情報94」日産・スカイラインGTS-4 (R33)。
同じく「新車情報94」からトヨタ・セリカGT-FOUR (ST205)。一目見たら忘れない面構えの車です。
そして「新車情報95」から大御所、日産・スカイラインGT-R (BCNR33)。