新たに増えた物でカオスな状態になってる資料庫兼隣室倉庫を片づけてる途中、懐かしい一品を久々に出して
きました。それは昔ニコンから発売されてたコンパクトデジタルカメラ「COOLPIX 3500」です。

発売直後だった2002年11月に買ったのでもうすぐ22年が経過する訳ですが、普通に電源入って撮影出来た事に
驚いてます。因みに撮像素子はCCDで有効画素数320万。ズームは光学3倍、デジタル4倍というスペックでした。

先日居眠り運転を防ぐ仕組みとして運転者の若かりし日々を思い出させる「懐メロ」を車内に流すと
効果があるという内容のニュース記事が出ました。自分はどこへ車で行くにも若かりし頃MTVで感化
された1980年代の洋楽をカーオーディオで聞いてるので鉄壁な構えという事でしょうか。

37年前自動車教習所へ電車で通学中、ウォークマンで聞いてた1984年ロサンゼルスオリンピックの
テーマソング、セルジオメンデス「オリンピア」をカセットテープからmp3変換。2021年東京オリンピック
の真っ最中に車で聞いてたのはおそらく自分だけかもしれないです。

カーオーディオ、カセットテープ繋がりで倉庫から引っ張り出してきたレア物を公開。こちらは1985年頃
友人から借りた音源で作った松田聖子シングル曲ベスト (一部アルバム)の編集テープです。

何故カセットテープだけじゃなくカーオーディオを繋がりに加えてるか…それはカセットテープの型番です。
初のカーオーディオ専用テープ、AXIA (FUJI) GT-1の型番がわかる方は間違いなく自分と同年代。

こちらはFS用にCGを制作した浜松町の世界貿易センタービル。1970年に竣工したこのビルですが、
もうすぐ解体され51年の歴史に幕を閉じます。

という事で世界貿易センタービルのパンフレットを資料庫から出してきました。竣工から5年も経たない
1974年に作られた物です。

建設当時は東京湾沿いに建つビルで一番の高さでした。この建物より高いビルが無かった為シーサイド・トップ
という名称だった展望台の見晴らしは素晴らしかったです。

としまえん遊園地が2020年8月31日で94年の歴史に幕を閉じ閉園するニュースを見た事を
きっかけにして倉庫兼資料庫から1985年発行の「としまえん乗り物回数券」を出してきました。

回数券の有効期間は無期限…という事は35年経った今も使えるのでしょうか?

お台場のトヨタメガウェブ内にある昭和博物館的空間の「ヒストリーガレージ」で撮った写真を
整理しながら、昔買った「昭和の東京」に関する写真集を資料庫から久々に出してきました。








上の写真にあるような街並みが実際の風景だった頃の写真集です。因みに1960年代となると実のところ
自分もよく知らない時代だったりするので、いわゆるノスタルジーに浸るのとは少し違う視点で見てる部分
があったりします。

ついでにこちらも昔買ったレトロの特集本。余談ですがバブル景気に向かう1987年にこの本を買った事で、
当時20代だった自分は「みゆき族」や「六本木族」等の自分が生まれた頃流行した若者カルチャーを言葉
も含めて初めて知りました。
そして自分がこの本を購入した「1987年」という時代が今現在レトロの対象になってるという事に時の流れ
を痛感。先に書いた「みゆき族」等に当てはめれば自分の世代が当然のように知ってる80年代前半に
流行った「竹の子族」や「ローラー族」を下の世代が知らないのは当たり前だったりとか…そういう不毛な
事を改めて考えてしまった2019年の夏でありました。

倉庫を兼ねた資料庫の一番奥に保管してた段ボール箱を開けたら小中学生の頃に作ったプラモデルが
出てきました。

色を塗ったりウェザリング (本物っぽく見える汚しや錆の表現等)を施したり、自画自賛とは違いますけど
「よくやってたなあ昔の俺」とつい思ってしまいました。今はこういう根気もマメさもありません。因みに
大きさはすべて72/1サイズです。

こちらは144/1というミニサイズの軍用機プラモデル。

右下の写真に写ってる大型輸送機C-5ギャラクシーとF-16戦闘機は同じスケール。144/1という大きさ故に
可能な比較です。因みにこちらの写真は2017年に撮った物ですけど、撮影時期の年月以上に時代を感じる
のは模型の大きさを示すため置いてたコンビーフの缶詰容器が金属製だからかもしれません。

そして強烈な一品がコレ。当時の東西冷戦時代を象徴するような実在する「ミサイル詰め合わせ」セット
のプラモデル。

アメリカ軍の代表的なICBM (大陸間弾道弾)3基。写真左から「タイタン」「アトラス」「ミニットマン」。
因みに今現在アメリカ本土に現行配備されてるのはミニットマンの最終型「ミニットマンⅢ」で1発に3個
の核弾頭を装着し射程距離は約13000キロ。余談としてミニットマンは航空機メーカーとしても有名な
ボーイング社で作られました。

すべてのミサイルが1/128スケールで統一されてるので、一番デカい「タイタン」に対し「サイドワインダー」
や「スパロー」、「フェニックス」等の空対空ミサイルがむちゃくちゃ小さい。

もうひとつ余談になりますがこの「ミサイル詰め合わせ」プラモデルはアメリカのモノグラム社から1969年
に発売されました。完成したミサイルを飾るディスプレイ用台座も付属。(箱と完成品の写真はネットで
見つけたものです)

そして自分が買ったのは1970年代に発売されたこちらの日本版。近所の店に売ってなかったので
雑誌の広告で見つけた吉祥寺の専門店まで行って買ったんですね。

資料倉庫で久々に面白い物を発見。それは29年前となる1987年にBMW日本代理店から届いた
「BMW専用特別運転免許証」という物。試乗の際お持ちくださいというユニークな宣材グッズです。
発行が昭和62年2月吉日で有効期限は同年の3月20日、免許の条件覧には「車に本物の価値を
求められる方」「個性的なライフスタイルを望まれる方」「豊かなモータリング経験をお持ちの方」
と書かれBMWを所有する事で得られる特別なステイタス感をそそられる仕様に。

昔の自分の免許(1989年)とツーショット、今より一回り大きかった当時の免許証サイズで作られて
たのが判ります。しかし俺が若い…

倉庫に保存してあった自動車雑誌2冊、月刊自家用車1985年2月号と5月号です。この頃の記事を見ると今では
信じられないような話がいくつも載ってたりします。

まずは2月号。この本を買った目的はスバルレオーネ・クーペ (後のスバルXT =初代アルシオーネ)発売前
公道テスト走行のスクープ。

昨年秋に恵比寿のスバル本社ショールームで実車と御対面、好きな車ながら当時から近くで見た事がなかった
ので本当に感激しました。

運転中のシートベルト着用と排気量50cc以下のバイク (原チャリ)のヘルメット着用が法制化の記事。逆に言うと
この時点ではシートベルトをしなくても原チャリにノーヘルで乗っても違反じゃなかったという事。本当に
今では信じられない大らかな時代です。(それ故にシートベルト法制化が良くない事のようなニュアンスで書かれてたりします。マジこの頃の方がある
側面では世の中自己責任でした)

そして「紫外線誘導回路内蔵で馬力アップ」というディストリビューター (各気筒の点火プラグに電流を送る
配電器)の広告。今見ると何だか怪しい雰囲気がしないでもないんですが…

オマケのページ「自動車関連全般」を見た事ある人は御存知かもしれませんけど…買ったばかりだった愛車
「三菱スタリオン」にこれを取り付けてました。通販で届いた製品を説明書見ながらいきなり装着してすぐ試験
走行に出発、んで肝心な純正との違いはというと…実は予備知識も無しにわけもわからずぶっつけ本番で
取り付けた状態のなか「ちゃんと走った」事自体に感動してしまい覚えてません。

次は5月号。こちらで注目なのは「マイカーグレードアップ術」という記事。

ある意味今より自由に車をいじれた時代だったので、(改造の)専門誌じゃなくても自分でドアミラーを付ける
のにドリルで車体へ穴あけ等かなり突っ込んだ内容が載ってたんですね。時代背景としてこの2年前となる
1983年に初めてドアミラーが認可になったのでフェンダーミラー車をドアミラーにする人が急増しました。

ここでまたオマケのページ「自動車関連全般」を見た事ある人は御存知かもしれませんけど…買ったばかり
だった愛車「三菱スタリオン」が1982年型で認可前のフェンダーミラー仕様だった為、店の社長がドアミラー
に無料で付け替えてくれました。

今はメーカー標準装備で当たり前となった後方障害物検知 (バックソナー)やキーレスエントリーもこの時代
が発祥です。

強烈なのがコレ。まだパワーウィンドウが高級車にしか普及してなかったので作られた「後付けパワー
ウィンドウ」。窓を開けるのにクルクル回してたハンドルの取っ手を外し歯車を装着、そこに電動モーター
を噛ませてスイッチで操作します。これで貴方の車も高級車の仲間入り。

最後にこちらの日産自動車の広告。

要するに「エアコンは純正品を選びましょう」という広告です。車のエアコンも後付け商品として確立してた
時代なのでした。

エアコン故障から自室の片付けが始まって部屋に隣接する資料倉庫の片付けまで波及した結果…倉庫の一番奥
に埋もれてたお宝に辿り着きました。それは子供の頃に数年かけ製作した鉄道模型用風景ジオラマ (レイアウト)。
昔自分で作った物ですけど本当に久々の御対面。






(写真2枚目下側の尖った黒い物体は「水牛の角」の置物です)

当時仲の良かった友人の影響で小学校高学年の頃にハマった鉄道模型でしたが、10代半ば~後半でマイブームも
過ぎてその後は数十年この状態。

2009年に昔撮った写真を一度載せた事がありました。余談ですがどうもこういう物を作ってたキャラクターに
見えないらしく、大人になってから出来た友人にこのジオラマの存在を話すと驚かれた事が多数。
特に20代の頃、大学の学園祭や一時期ですけど渋谷109前で一緒に女の子へ声かけ (要するにナンパです)
してた悪友は最初信じてくれませんでした。

上記の写真を入れたアルバムがこちら。

今回はアルバムから製作途中の写真を載せてみます。こんな感じで山はすべてボール紙と新聞紙の
ハリボテ構造。5枚目の写真は裏側からで、山のハリボテを支えてる柱は幼児期に遊んでた「積み木」
を流用した物です(保守点検用の豆電球まで中に付けてます)。当時この模型を自分の聖域みたいに
考えてて親どころか家に遊びに来る友人にさえ直接は触らせなかったため、結果として自分の部屋を
自分で掃除するようになったきっかけのアイテムでもあります。

建物は駅関連の市販品以外すべてボール紙にポスターカラーで着色した自作。内部には米粒電球と
呼ばれるとても小さな電球を仕込んで夜間照明も点くようにしてありました。
便利な配線キットも殆んど無い時代に今考えるとよくまあマメな事してたんだなと自分の事ながら感心。

















唯一この建物だけ「プラ板」と呼ばれた0.3mm厚工作用プラスチック板で製作。幼馴染みの家族に
連れてってもらった三陸旅行で泊まった志津川町の旅館を原型にしてるオブジェクトで、米粒電球を
複数使用し客室と廊下が個別に光るよう設定してありました。
因みに一番右の写真は旅館の建設前。最後に残ってた更地に旅館を建てるのが決まり製作中は
角材と重機を置いてありました。因みに角材は「頭をとったマッチ棒」です。


そしてその三陸旅行の写真、この頃勉強そっちのけで空き時間にせっせか作ってたんですね。
上記の模型を作るきっかけの泊まった旅館ですが、場所が2011年の東関東大震災で一番被害が
大きかった地域だったのでとても残念です。

















エアコン取り付けのため直下にあったAV機器やラックを一時的に隣接倉庫へ移動するのにそっちの
整理を先に始め、その際出てきた色々な物の中から久々に子供の頃書いた絵をゆっくりと見ました。

小学校に入って初めて学校で書いたのは富士山と新幹線。1年の時に担任だった先生がクラス全員
の絵を保管されてて、卒業の際パウチした状態でしかも絵の裏側に一人一人個別のコメント付きで
いただいた時は驚きましたね…

こちらも学校の課題で書いた絵です、小4だから9~10歳頃。


小学6年生の時に書いた物。、山手線の絵は「遠近法」っぽい書き方してます。
   

そして極めつけがこれ。仲が良かったクラスの友達と作った「探偵団」の団員証です。何にでも首を
つっこんでく「ヤジウマ探偵団」。

知ってる方は殆んどいないと思いますがちょうど40年前に自分と同世代だった子供達が主人公の
「少年探偵団」というテレビ番組をやってた事がありまして、その中のBD7という探偵団を真似して
ヤジウマ探偵団を作った際に自分が制作を担当し全員が持ってた団員証です。
所属団員の名簿の他に通信で使う暗号まで作ってましたが、自分も
含め変換と解読が面倒で誰も使いませんでした。





探偵はスパイみたいな物なのでリスクを補う団員専用の保険も完備。


生命保険→「もし団員の1人が死んだら10円やる」

火災保険→「もし団員の1人の家が燃えちゃったら10円やる」

くみとり保険→「もし団員の1人が汲み取りトイレに落ちたら10円やる」


しかし何だこの保険概要は…保険の「けん」漢字間違ってるし。

学園祭シーズンの真っ只中、この時期になると20代の終わりくらいまで雑誌「ぴあ」の学園祭特集を購入し
日程を網羅しながらあちこちの学園祭へ行きまくってたのを懐かしく思い出します。




倉庫に保管してあった1980年~
90年代初めの「ぴあ」学園祭
特集号。

因みに最後に学祭へ出向いたのは2007年。昔行ってた時、途中から女子大中心に出向くようになったという
何とも分かりやすい方向へシフトして都内の行ける所は大体行きつくした中、唯一行きはぐり心残りになってた
某女子大へ雰囲気だけ楽しみに約20年ぶりで出向いたら…女の子達との年齢差からか自分の立場を勝手に
父兄参観みたいに感じこれまた勝手にアウェー感を持ってしまい早々に撤収。

ついでに学園祭ネタでちょい自慢話系になりますけど友人のコネで神奈川の某大学へ24歳の時行った際、
引き金が付いた弓矢のボウガン (正式にはクロスボウ)を扱うクラブで生まれて初めてのボウガン射撃を体験。
20m先から5発撃って標的の黒丸へ全部当てたらリンゴ (ウィリアムテルに因んで)をくれるという内容だった
ので挑戦したら全弾 (矢)がほぼ黒丸へ入ってしまい「本当にやった事ない?」と驚かれた上、現役の学生に
間違われてボウガン部への入部を勧められました。
その後、実力を買われ一時期本職のスナイパーの道へ…それ以来ゴルゴ13みたく「背後に人に立たれる」
のが嫌で長く立ち止まる時には必ず壁を背にするようになりました。(嘘です)

てかこの時の記憶としては、この後に出逢う事となるデニムのミニスカが眩しかったあの子の思い出の方が…
(以下自粛)

先日終了したドラマ「続・最後から二番目の恋」の効果からロケ地だった神奈川県の鎌倉がブームになり観光客
が増えてるみたいです。
この番組パート1から観てましたが出演者の方々が殆んど自分と同世代なのも関係してるのかストーリー的に
「あるある」なものが多く結構面白かったです。

そして前も何回か書いてますが、鎌倉も含め湘南エリアは毎年夏になると親戚所有だった空き家へ滞在型
リゾートのように泊まりで遊びに行ってた思い出深い場所。親戚と一緒だった幼少の時代から友達と勝手に
行くようになった10代後半以後の数十年、今くらいの時期になると毎年出かける準備を始めてました。


鎌倉のレストランで撮った
写真。1976年の夏です。


江ノ電「長谷駅」、
同じく1976年。
書かないと何処か
分からない場所ですが
片瀬海岸に近い
「山本公園」という公園です。
撮影は1975年。
そして1985年夏。当時
大人気だったTV番組
「たけしの元気が出る
テレビ」の「江ノ島元気
が出るハウス」。

泊まってた家が江ノ電の線路際だったので就寝時間が早かった子供時代は通り過ぎる電車の音を心地よい
子守唄にしてました。(てか音だけじゃなく家全体が毎回地震のように揺れてました)
踏切の音が聞こえた後、レールを伝わりながら近づいてくる江ノ電の音と蚊取り線香の匂いが今も自分の中
では「夏の風物詩」です。










これは資料倉庫にて久々に見つけた「お宝」。上記の湘南へ出向いてたド真ん中時代の1977~78年にかけて
買った江ノ電記念切符。

そしてこちらは写真右から江ノ電の普通切符、小田急ロマンスカー特急券、ついでに東京の都電回数券。
自動改札が普及した今では切符自体が珍しい物になりつつあるのかも。

鎌倉・湘南から段々話がズレてきてますが…1970年代に大流行した「愛国から幸福」駅行き切符 (発行日が
昭和50年 =1975年1月1日というキリ番)もあります。

倉庫に置かれてる机を整理してて見つけた1987年当時のプールバー「ロサンゼルスクラブ」のマッチ。

こちらはバブル期よりちょい前の物。新宿歌舞伎町のディスコ(死語)、「B&B」のメンバーズカード。といっても
VIPとかではなく一度でも行けば皆もらってるはずなのでそれほど希少ではないかも。六本木「リージェンシー」
の金属製カードもありましたが腐蝕してとんでもないことになってました。

机の中、隅のカンケースから渋谷「スパジオ」の残ったドリンクチケットまで発見。

「ロサンゼルスクラブ茗荷谷店」オープン告知のチラシです。 当時休日の六本木店や原宿店は待ち時間が
3~5時間という過酷さを極め、自分はもっぱら茗荷谷店で遊んでました。
因みにブレイクナイン (最初のブレイクで9番ボールを落とす事) 経験は2度あります。

そしてロサンゼルスクラブ提供のビリヤード番組「POOL 1987」のキャプチャ画像。この前年に公開された映画
「ハスラー2」でナインボールゲームの人気に火がつき、ビリヤードしながら飲食も出来る「プールバー」の登場
で大ブレイク。

ロサンゼルスクラブ茗荷谷店ができるまでは新宿コマ劇場(当時)前、ジョイパックビル(現ヒューマックス)
の中にあったプールバーへよく行ってました。そこに後輩だった16歳の女の子2人を連れてった事があった
んですが年齢的に今は(厳密に言えば当時も)まずいのかな?
母校のサークルへ届け物した際にどうしても行きたいとせがまれ行ったわけですけど、頭数そろえる為
サークルOBの男の後輩に声をかけ同行させたら現場で人気の大半をもっていかれました。んーちょっと
失敗、(てなんの話や)







後輩の子にファンクラブ作られたりして一時期調子こいてた事があった
のは思えばこの頃。楽しかったですけど本気になった子とはうまく行かず
つらい事もありましたな…


80年代中盤、空前のビリヤードブームが
起きたきっかけの映画「ハスラー2」。
今思えば狂乱のバブル時代を知れる映画「バブルへGO!!」。当時を
知らない世代の人は信じられないかもしれませんが、この映画で
描かれてる風潮ほとんどが真実です。

隣室資料倉庫の片づけをやってる最中に紙の山からトンデモな物を見つけてしまいました。

それは昔彼女と一緒にやった「恋愛に関する心理テスト」の結果リポート。 この結果だけ見れば
ちょい自慢モード入っちゃってもいいくらいオレって凄いヤツなはずですが…今現在も独り者です。

倉庫で探し物の最中また副産物を発見。こちらは子供の頃、旅客機に初めて乗った際CAのお姉さん
にもらった記念の絵はがきです。






タイアップの広告、昔のテレビ
14インチが92800円て…

その中でこの二枚の飛行機写真。

10歳の時これを見ながら書いた絵です。そっくりに書いたつもりなんでしょうがこうやって比べると結構
違いますね。

ついでにレアかも? な資料。運輸省 (現国土交通省)航空局作成の1978年新東京国際空港 (RJAA/NRT)
開港時パンフレット。

倉庫の古いビデオを整理してると若かりし日の自分を見つけたりします。

時はバブル経済真っ只中の約20年前。遊びの誘惑満載東京の夜…当たり前の話として1日は24時間。当時の
自分も含め多忙な現代人 (死語)はどうしてたか? 答えは「寝ない」、とりあえず「寝ないで」遊ぶ。
今考えるとよく動いてました。遊びに出るたび終電逃がしては (実のところ乗る気は最初から無い)通勤する人と
飲んで帰る人が入り乱れた翌朝に帰宅の日々。
現在の部屋で映画DVD観たりパソコンいじったりミニカー集めたりが中心の生活も結構好きだったりしますが
あの頃からするとかなり地味な日常になりました。唯一夜行性の習慣が今も抜けないせいかオフが連日に
わたると夜何かにつけ活動して殆んど寝ないまま昼も起きてたりするので気づけば居眠り、というか所かまわず
爆睡してたりします。車でコンビニ駐車場を渡り歩き2晩寝ないで走っても平気だった頃の体力が懐かしい。
1988年

1996年






ちょい自画自賛ビデオ、1985年小豆島にて。この頃の身体能力よもう一度…
車中BGMは映画「ブレイクダンス」のサントラです。


1997~1998年、ケアンズにて。まだ何とかこの頃と同じくらいには動けまス。



ミニディスク(MD)も過去の録音メディアとなって久しいですが、カセットテープやレコードから移し換えながら
保存してたMDを倉庫から見つけました。
Hi-MDで長時間記録した物もあるのでデッキが壊れないうちにまた他へ移すかな…これらを聞くと気持ち
だけ一瞬10~20代に戻ります。

80年代は洋楽三昧、今考えるとマメにタイトル書いてました。

MDのタイトル"東亜会館"じゃ何だかわからない方が殆んどかもですね。どうしても気になるという方は
「東亜会館」でググってみて下さい。

倉庫から発掘した「杉山清貴&オメガトライブ」のカセットテープです。40代以上の方じゃないとわからない
かもですが…ユーミンと並び当時(1984~85年)のドライブデート必需品。

カセットデッキも倉庫でまだ生きてますが仮に音声信号
をパソコンに送ってデジタル化したらどのくらい聞くかな…
今はYouTubeもあるし。



ドライブデートに関連してカーステレオに関するエピソード。
まだ自分が車を買う前に親父のシビックを借りたらAMラジオしかついてなかったのでカセットを聞けるよう
市販のカーステレオを買ってきて接続しました。(承諾とらず勝手にでしたが返す時に装備グレードアップ
なのでいいかと…)
そして配線が終わってスイッチを入れました…が運転席側のスピーカーからしか音が出ません。説明書
どおりハーネス配線したのに右側からしか音楽が聞こえない。いくら確認しても何故かわからず最終的に
助手席側へ向かうスピーカーコードの断線を疑い生まれて初めての自動車ディーラー訪問し事情を説明
して診てもらったところ…何と最初についてたAMラジオがモノラルだったため助手席側にスピーカー自体
が入ってなかった事が判明。なのでその場で1個スピーカーを購入、やっと2スピーカーになりステレオで
聞けるようになった…という昔話でした。

子供時代の制作物が倉庫から出てきました。小学校の夏休みから着手して授業中もこっそり時間を使い
半年くらいかけ仕上げた手製の本。「恐竜大図鑑」

当時欲しいと言ってくれた複数の友達にあげようと細かい考えもなしに文具店のコピー機で大量生産
しようとしたら…1冊完成した時点で数ヶ月分の小遣いがパー。いわゆる"企画倒れ"ってやつですね。
自筆の原版も一緒に見つかりましたがコピー機で作った世界に一冊の「図鑑」のほうを公開。

こちらは小学校5年の時ウルトラマンシリーズに出てくる怪獣の図鑑を自分で作ろうとして書いた物。
(○の数字は番組の何話に登場とかだったかな…写真のとおり途中で面倒になって頓挫)

昔買ったマンガ本です。2011年3月の震災後に崩れた倉庫の荷物を片付けてた際、倉庫の奥へ収納したまま
忘れてた品々を次々と発見してきましたがこれもそのひとつ。マンガとは20年以上疎遠になってますけど昔は
読んでたんですね…

小学生の頃は普通に「ドラえもん」とか読んでたのが10代後半には劇画調の作品へシフトしていきます。

そして二十歳くらいの時マンガ本の購入最後にして全巻を揃えたのがコレ。いやはや何というか…

ネットで「さかつうギャラリー」という精密なスケール模型専門店を見つけました。映画「三丁目の夕日」
鈴木オートの精密模型も売ってます。とりあえずディスコだ海だナンパだとケーハク路線を歩んでた
頃も正直あった自分ですが実はジオラマ模型の世界とかも嫌いじゃない。
何しろ子供の頃鉄道模型に数年ハマって当時作った風景模型をコンテストに出品し、ありがたくも
賞をいただいた過去があるくらいなので。

12歳の終わりからコツコツ始めて14歳の春に完成した風景模型 (レイアウト)。

コンテスト入賞時の雑誌写真

こちらはマニア必見!? 約35年の歳月を経て再び蘇った(大げさ) 現存する鉄道模型車輌の数々。
今は趣味としてまったくやってませんが鉄道模型は当時仲の良かった友人の影響もあり子供時代の
一時期結構ハマりました。

当時作った上記の風景模型 (レイアウト)が未電化のローカル線だったので電線から動力をとらない
自走式のディーゼルエンジン車輌モデルが中心。記憶では「DD51」というディーゼル機関車が最後に
買った車輌だったと思います。

DD51のケース内に購入年月日入り「昭和55年(1980年)7月8日」の保証書が入ってました。テストする
環境が無いので分かりませんが果たしてこれらの車輌今でもちゃんと動くのか…? 

貨物車輌です。大半は購入後、右の車体のように
ウェザリング(本物っぽい汚し)を施してました。
こちらは唯一の自作車輌。他の車体を数台と
プラスチックの板材を継ぎ接ぎして作った代物です。
組み立てモデルの駅舎。
(当時なりに)中まで凝って仕上げましたがレイアウトには使いませんでした。

そして当時の年齢に絡み内密のバイトで模型店へ設置するディスプレイ用ジオラマを作ってたのもこの頃。

歳とったからもあるのか旅行も含め遠出するのが少しおっくうになってきてる面もあり、まだお店に一度も
行った事ないですけどこのホームページを見て身近というか近場でずっと地味に続けられる趣味を何か
作ってみようかなと少しだけ思ったりしました(そういえば既に精密なダイキャストカー集めをしてますね)。
人生の折り返し地点も過ぎましたし、たとえるなら親父が庭で盆栽を育てだす感覚に近いのかもです。

うちにある本で見たい記事があるからと先日地元の友人が久々に訪ねてきました (正確にはその友人から
以前借りてそのままになってた車関係の雑誌)。そこで雑誌を含めしまってあった隣室のダンボール箱を開け
探索したら、これまた懐かしい一冊を発見。

それはコレ「CAR and DRIVER」1985年11月26日号。
 
 第26回東京モーターショーの特集で買った本です。
  
そして当時、記事の目当てだった
のは日産MID4。
この本を見つけた後、雑誌は友人
本人に探させて見入ってました。
MID4のコクピット。コンセプトカーと
いうよりほとんど市販車ですね。

その他、マツダRX-7(FC3S)やいすゞピアッツァ"イルムシャー仕様"、日産フェアレディZ(Z31)などその頃
欲しかった車が新車として目白押しに詰まった一冊でした。






ちなみに友人が探してたのはこの雑誌。読んだあと「また預かっといて」
と置いてったので再び保管。

2010年末に資料倉庫の掃除をしてて久々に古いダンボールを開けたら昔買った自動車雑誌の数々が
出てきました。
免許を取ってから数年はこれらの雑誌を毎号のように数種類買い込んでいましたが、自分の世代は
多かれ少なかれ皆クルマバカだったのではないかと思います。

これが最初の愛車である三菱スタリオン購入のきっかけになった雑誌。この写真に惹かれたのが決定打
となりました。
この本はスタリオン購入後に買ってます。多分自分の選択が正しかったと再確認したくて買ったんだと
思います。

大体立ち読みで済まさず雑誌買う時には家でゆっくり見たい (保存したい)記事が必ずあるものですが





この本は日産MID4フランクフルトモーターショーに
初登場の記事







こちらはGr.A仕様スタリオンの綴込みポスターで






そしてこの本は…表紙の中山美穂が可愛いかったので買ってしまいました。
(オチとしてはつまらなかったスね)

こちらは1980~90年代頃にかけての自動車カタログです。時代の流行と自分の好みを反映してか
クーペが大半を占めてますが…

元々ミーハーなので90年代中頃に入るとジャンルの方向性や幅がグチャグチャに。何にしても商品の
性質上2度と再版されない物なので年々貴重になってるかもです。

隣室で保存中の自動車カタログ各種の中からこれはちょい珍しいのでは、と思うものを。

まずは日産クルー。1993年登場のタクシー専用車です。カタログはその翌年クルー・サルーンとして
発売された一般向け仕様の物。

続いてはトヨタメガクルーザー。自衛隊向けに作られた車両の一般向け仕様として1996年に登場。

同じくトヨタのクラシック。トヨタ60周年記念車として1996年に限定100台で発売された車。
1936年登場のAA型と呼ばれるトヨタ一号車をモデルにしてます。

そしてメルセデスの最高峰マイバッハ。カタログじゃなくて簡易型写真集ですがかなりレア物。

倉庫で長年行方不明になってたレア物を発見。DVDやブルーレイの登場前、1980年代まで遡ると
ベータマックスやVHSというカセット式ビデオテープでテレビ等を録画してた時代がありました。
そしてこれはそのベータとVHSが世に出る前、1970年代に初のカセット式として登場した「Uマチック」
という規格のビデオテープ。

昔コネで遊びに行った某工業大学の研究室でもらったものですけど自宅にUマチック機器がない為、
再生した事は一度も無し。
またこれからも再生できる見込みも無し…という「所有してる意味があまりない」かもなアイテムです。

「Uマチック」はデッキが100万円以上する代物だったので民間では普及せず主に業務用・放送局用
で使用されましたが、その後ベータマックスサイズのメタルテープを高速で走らせ高密度記録する
「ベータカム」規格が登場してそちらが主流となります。

ついでにこれは自分で録ってきた昔の国内旅行ビデオですが何故か業務用「ベータカム」のケースに。
(中は普通の民生用ベータ) 種明かしすると業務用「ベータカム」のケースが頑丈なため元のペラな
民生用ケースから後で入れ替えました。

「東京駅100周年」の記念Suica発売に絡んで大混乱があったみたいですが、こちらは遡ること30年前に
発行された「東京駅70周年」の記念場内入場券です。

旧国鉄に勤めてた方から昔もらった物です。裏面には年表とともに東京駅の歴史が。

大昔の東京地図。先祖代々根っからの東京人ゆえ保存してしまうというか…でも「東京人の郷土意識」って
何か変な響きです。

こちら昭和38年(1963年)
東京全図。自分もまだ
生まれる前のモノです。
船の科学館やフジテレビが
ある台場や青海どころか
大井埠頭がありません。
そして2年後の昭和40年
(1965年)東京地図。この
年になると東京湾には…
台場の埋立地が一部登場、
そして大井埠頭も造ってる
真っ最中。

近所のスーパー2階の本売り場が歴史系で充実してて少し前この本を購入。そしたら巻頭にこのような付録が…

実はこれの実物を持っています。

旅客機の座席に置かれていた1980年代からの機内誌、搭乗時に手当たり次第持って帰ってました。
学者だった親父のDNAなのか保管場所が許す限り資料的価値の出そうなモノは何でも保存する癖
があるので現存してます。

こちらは某空港のカーゴエリアに勤めてた友人からもらったラベル。もらってからかなり経ってるので
現在は無くなってしまったエアラインの物も。

かつて旅客機内で子供に配られていたプラモデル。これを配布していたであろうスチュワーデス
(現キャビン・アテンダント)のお姉さん、多分数年で還暦近い方もいらっしゃるのではと思うと何か
感慨深いものがあります。






それにしてもJALとKALの747、箱のデザインと
シール以外中身が同じなのは何故?

自分の一番の宝物「恩賜のたばこ」と「昭和天皇御在位60年記念10万円金貨」です。
5枚ある10万円金貨は「現行通貨」であり現金50万という事でもあります。

こちらは1976年アメリカ建国200年の際に作られた記念品。
左の額は恩師の方、右の二つは後に別の方からいただいた物です。