という事で世界貿易センタービルのパンフレットを資料庫から出してきました。竣工から5年も経たない1974年に作られた物です。 建設当時は東京湾沿いに建つビルで一番の高さでした。この建物より高いビルが無かった為シーサイド・トップという名称だった 展望台の見晴らしは素晴らしかったです。 |
回数券の有効期間は無期限…という事は35年経った今も使えるのでしょうか? |
上の写真にあるような街並みが実際の風景だった頃の写真集です。因みに1960年代となると実のところ 自分もよく知らない時代だったりするので、いわゆるノスタルジーに浸るのとは少し違う視点で見てる部分 があったりします。 ついでにこちらも昔買ったレトロの特集本。 余談ですがバブル景気に向かう1987年にこの本を買った事で、当時20代だった自分は「みゆき族」 や「六本木族」等の自分が生まれた頃流行した若者カルチャーを言葉も含めて初めて知りました。 そして自分がこの本を購入した「1987年」という時代が今現在レトロの対象になってるという事に時の 流れを痛感。先に書いた「みゆき族」等に当てはめれば自分の世代が当然のように知ってる80年代 前半に流行った「竹の子族」や「ローラー族」を下の世代が知らないのは当たり前だったりとか… そういう不毛な事を改めて考えてしまった2019年の夏でありました。 |
なあ昔の俺」とつい思ってしまいました。今はこういう根気もマメさもありません。 そして強烈な一品がコレ。当時の東西冷戦時代を象徴するような実在する「ミサイル詰め合わせ」セットのプラモデル。 アメリカ本土に現行配備されてるのはミニットマンの最終型「ミニットマンⅢ」で1発に3個の核弾頭を装着し射程距離は 約13000キロ。余談としてミニットマンは航空機メーカーとしても有名なボーイング社で作られました。 「フェニックス」等の空対空ミサイルがむちゃくちゃ小さい。 もうひとつ余談になりますがこの「ミサイル詰め合わせ」プラモデルはアメリカのモノグラム社から1969年に発売されました。 完成したミサイルを飾るディスプレイ用台座も付属。(箱と完成品の写真はネットで見つけたものです) 吉祥寺の専門店まで行って買ったんですね。 |
昔の自分の免許(1989年)とツーショット、今より一回り大きかった当時の免許証サイズで作られてたのが判ります。しかし俺が若い… |
まずは2月号。この本を買った目的はスバルレオーネ・クーペ (後のスバルXT =初代アルシオーネ)発売前公道テスト走行のスクープ。 昨年秋に恵比寿のスバル本社ショールームで実車と御対面、好きな車ながら当時から近くで見た事がなかったので本当に感激しました。 (あのデロリアンも担当したジウジアーロのデザイン、「2代目アルシオーネ"SVX"」も好きなので、もし展示されたらまた観に行きます) 運転中のシートベルト着用と排気量50cc以下のバイク (原チャリ)のヘルメット着用が法制化の記事。逆に言うとこの時点ではシートベルト をしなくても原チャリにノーヘルで乗っても違反じゃなかったという事なので、本当に今では信じられない大らかな時代です。 (故にシートベルト法制化が良くない事のようなニュアンスで書かれてたりします。マジこの頃の方がある側面では世の中自己責任) そして「紫外線誘導回路内蔵で馬力アップ」というディストリビューター (各気筒の点火プラグに電流を送る配電器)の広告。今見ると何だか 怪しい雰囲気がしないでもないんですが…
次は5月号。こちらで注目なのは「マイカーグレードアップ術」という記事。 かなり突っ込んだ内容が載ってたんですね。 時代背景としてこの2年前となる1983年に初めてドアミラーが認可になったのでフェンダーミラー車をドアミラーにする人が急増しました。
今はメーカー標準装備で当たり前となった後方障害物検知 (バックソナー)やキーレスエントリーもこの時代が発祥です。 強烈なのがコレ。まだパワーウィンドウが高級車にしか普及してなかったので作られた「後付けパワーウィンドウ」。窓を開けるのにクルクル 回してたハンドルの取っ手を外し歯車を装着、そこに電動モーターを噛ませてスイッチで操作します。これで貴方の車も高級車の仲間入り。 最後にこちらの日産自動車の広告。 |
ハードディスクやSSDは無い時代で読み出し専用のROMが4キロバイト (メガでもギガでもなくキロバイトです)、メモリ(RAM)容量 32キロバイトと48キロバイト搭載版がありそれぞれ20万と27万。別売の24色カラーモニターは30万、記録用のフロッピードライブ も30万、プリンターは17万という今では考えられないような値段です。 自分で初めてパソコンを買ったのは1996年。これはその時もらった購入機種のカタログです。ちょうどテレビでも高倉健さんが 「何だ、簡単じゃねーか」とCMをやってましたがその頃の自分にはまったく簡単じゃなく…買ってから約2週間でWindows95を 起動不能にしてしまい早々にOSの再インストールを覚える事に。 薦められあまり乗り気じゃないまま池袋のビックカメラへ出向いたんですが今思えば買って正解でした。友人にも感謝。 ただ当時もし「フライトシミュレーター95」を買わなかったら、FSというソフトウェアを見つけてなかったら徐々にパソコンに触ら なくなって高価な置き物状態と化してたのは間違いありません。 |
2009年に昔撮った写真を一度載せた事がありました。余談ですがどうもこういう物を作ってたキャラクターに見えないらしく 大人になってから出来た友人にこのジオラマの存在を話すと驚かれた事が多数。 特に20代の頃、大学の学園祭や一時期ですけど渋谷109前とかで一緒に女の子へ声かけ (要するにナンパです)してた悪友 は最初信じてくれませんでした。 上記の写真を入れたアルバムがこちら。 写真は裏側からで、山のハリボテを支えてる柱は幼児期に遊んでた「積み木」を流用した物です(保守点検用の豆電球まで 中に付けてます)。 当時この模型を自分の聖域みたいに考えてて親どころか家に遊びに来る友人にさえ直接は触らせなかったため、結果として 自分の部屋を自分で掃除するようになったきっかけのアイテムでもあります。 建物は駅関連の市販品以外すべてボール紙にポスターカラーで着色した自作。内部には米粒電球と呼ばれるとても小さな 電球を仕込んで夜間照明も点くようにしてありました。便利な配線キットも殆んど無い時代に今考えるとよくまあマメな事して たんだなと自分の事ながら感心。 で泊まった志津川町の旅館を原型にしてるオブジェクトで、米粒電球を複数使用し客室と廊下が個別に光るよう設定してありました。
そしてその三陸旅行の写真、この頃勉強そっちのけで空き時間にせっせか作ってたんですね。上記の模型を作るきっかけの 泊まった旅館ですが、場所が2011年の東関東大震災で一番被害が大きかった地域だったのでとても残念です。 |
小学校に入って初めて学校で書いたのは富士山と新幹線。1年の時に担任だった先生がクラス全員の絵を保管されてて、 卒業の際パウチした状態でしかも絵の裏側に一人一人個別のコメント付きでいただいた時は驚きましたね… そして極めつけがこれ。 仲が良かったクラスの友達と作った「探偵団」の団員証です。何にでも首をつっこんでく「ヤジウマ探偵団」。 というテレビ番組をやってた事がありまして、その中のBD7という探偵団を真似してヤジウマ探偵団を作った際に 自分が制作を担当し全員が持ってた団員証です。
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ついでに学園祭ネタでちょい自慢話系になりますけど友人のコネで神奈川の某大学へ24歳の時行った際、引き金が付いた弓矢の ボウガン (正式にはクロスボウ)を扱うクラブで生まれて初めてのボウガン射撃を体験。 20m先から5発撃って標的の黒丸へ全部当てたらリンゴ (ウィリアムテルに因んで)をくれるという内容だったので挑戦したら全弾 (矢) がほぼ黒丸へ入ってしまい「本当にやった事ない?」と驚かれた上、現役学生に間違われボウガン部への入部を勧められる事に。 (丁重に断わってリンゴだけもらいました)
てかこの時の記憶としては、この後に出逢う事となるデニムのミニスカが眩しかったあの子の思い出の方が…(以下自粛) |
そして前も何回か書いてますが、鎌倉も含め湘南エリアは毎年夏になると親戚所有だった空き家へ滞在型リゾートのように 泊まりで遊びに行ってた思い出深い場所。親戚と一緒だった幼少時代から友達と勝手に行くようになった10代後半以後まで 数十年、今くらいの時期になると毎年出かける準備を始めてました。
(てか音だけじゃなく家全体が毎回地震のように揺れてました) 踏切の音が聞こえた後、レールを伝わりながら近づいてくる江ノ電の音と蚊取り線香の匂いが今も自分の中では「夏の風物詩」です。 これは資料倉庫にて久々に見つけた「お宝」。上記の湘南へ出向いてたド真ん中時代の1977~78年にかけて買った江ノ電記念切符。 切符自体が珍しい物になりつつあるのかも。 鎌倉・湘南から段々話がズレてきてますが…1970年代に大流行した「愛国から幸福」駅行き切符 (発行日が昭和50年 =1975年1月1日 というキリ番)もあります。 |
こちらはバブル期よりちょい前の物。新宿歌舞伎町のディスコ(死語)、「B&B」のメンバーズカード。といってもVIPとかではなく 一度でも行けば皆もらってるはずなのでそれほど希少ではないかも。六本木「リージェンシー」の金属製カードもありましたが 腐蝕してとんでもないことになってました。 「ロサンゼルスクラブ茗荷谷店」オープン告知のチラシです。 当時休日の六本木店や原宿店は待ち時間が3~5時間という過酷さ を極め、自分はもっぱら茗荷谷店で遊んでました。因みにブレイクナイン (最初のブレイクで9番ボールを落とす事) 経験は2度。 ナインボールゲームの人気に火がつき、ビリヤードしながら飲食も出来る「プールバー」の登場で大ブレイク。 ロサンゼルスクラブ茗荷谷店ができるまでは新宿コマ劇場(当時)前、ジョイパックビル(現ヒューマックス)の中にあったプールバー へよく行ってました。そこに後輩だった16歳の女の子2人を連れてった事あったんですが年齢的に今は(厳密に言えばその当時も) まずいのかな? 母校のサークルへ届け物した際にどうしても行きたいとせがまれ行ったわけですけど、頭数そろえる為サークルOBの男の後輩に 声をかけ同行させたら現場で人気の大半もっていかれました。んーちょっと失敗、(てなんの話や)
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それは昔彼女と一緒にやった「恋愛に関する心理テスト」の結果リポート。 この結果だけ見れば ちょい自慢モード入っちゃってもいいくらいオレって凄いヤツなはずですが…今現在も独り者です。 |
その中でこの二枚の飛行機写真。 ついでにレアかも? な資料。運輸省 (現国土交通省)航空局作成の1978年新東京国際空港(RJAA/NRT)開港時パンフレット。 |
小学生の頃は普通に「ドラえもん」とか読んでたのが10代後半になってくると劇画調の作品にシフトしていきます。 |
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80年代は洋楽三昧、今考えるとマメにタイトル書いてました。 MDのタイトル"東亜会館"じゃ何だかわからない方が殆んどかもですね。どうしても気になるという方は「東亜会館」で ググってみて下さい。 |
時はバブル経済真っ只中の約20年前。遊びの誘惑満載東京の夜…当たり前の話として1日は24時間。当時の自分も含め 多忙な現代人 (死語)はどうしてたか? 答えは「寝ない」、とりあえず「寝ないで」遊ぶ。 今考えるとよく動いてました。遊びに出るたび終電逃がしては (実のところ乗る気は最初から無い)通勤する人と飲んで帰る人 が入り乱れた翌朝に帰宅の日々。
現在の部屋で映画DVD観たりパソコンいじったりミニカー集めたりが中心の生活も結構好きだったりしますがあの頃からすると かなり地味な日常になりました。唯一夜行性の習慣が今も抜けないせいかオフが連日にわたると夜何かにつけ活動して殆んど 寝ないまま昼も起きてたりするので気づけば居眠り、というか所かまわず爆睡してたりします。車でコンビニ駐車場を渡り歩き ながら2晩寝ないで走っても平気だった頃の体力が懐かしい。とにかく徹夜ができません…歳とりました。 ちょい自画自賛ビデオ、1985年小豆島にて。この頃の身体能力よもう一度…車中BGMは映画「ブレイクダンス」のサントラです。 |
1997~1998年、ケアンズにて。まだ何とかこの頃と同じくらいには動けまス。 |
当時欲しいと言ってくれた複数の友達にあげようと細かい考えもなしに文房具店のコピー機で大量生産しようとしたら 一冊完成した時点で数ヶ月分の小遣いがパー。いわゆる"企画倒れ"ってやつですね… 自筆の原版も一緒に見つかりましたがコピー機で作った世界に一冊の「図鑑」のほうを公開。 こちらは小学校5年の時ウルトラマンシリーズに出てくる怪獣の図鑑を自分で作ろうとして書いた物。(○の数字は番組 の何話に登場とかだったかな…写真のとおり途中で面倒になって頓挫)
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12歳の終わりからコツコツ始めて14歳の春に完成した風景模型 (レイアウト)。 コンテスト入賞時の雑誌写真 こちらはマニア必見!? 約35年の歳月を経て再び蘇った(大げさ) 現存する鉄道模型車輌の数々。 今は趣味としてまったくやってませんが鉄道模型は当時仲の良かった友人の影響もあり子供時代の一時期結構ハマりました。 モデルが中心。記憶では「DD51」というディーゼル機関車が最後に買った車輌だったと思います。 果たしてこれらの車輌今でもちゃんと動くのか…? (上記のレイアウトも倉庫の一番奥に数十年ずっと休眠中。メンテナンスしても復活させるのは難しいかもしれません)
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その他、マツダRX-7(FC3S)やいすゞピアッツァ"イルムシャー仕様"、日産フェアレディZ(Z31)などその頃欲しかった車が新車として 目白押しに詰まった一冊でした。
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これが最初の愛車である三菱スタリオン購入のきっかけになった雑誌。この写真に惹かれたのが決定打となりました。 大体立ち読みで済まさず雑誌買う時には家でゆっくり見たい (保存したい)記事が必ずあるものですが
2度と再版されないものなので年々貴重になってるかもです。 隣室で保存中の自動車カタログ各種の中からこれはちょい珍しいのでは、と思うものを。 |
「Uマチック」はデッキが100万円以上する代物だったので民間では普及せず主に業務用・放送局用で使用されましたが、 その後ベータマックスサイズのメタルテープを高速で走らせ高密度記録する「ベータカム」規格が登場してそちらが主流 となります。 ついでにこれは自分で録ってきた昔の国内旅行ビデオですけど何故か業務用「ベータカム」のケースに。 (中は普通の民生用ベータテープです) 種明かしをしますと、業務用「ベータカム」のケースが頑丈なので、元のペラな民生用ケースから後で入れ替えました。 |
旧国鉄に勤めてた方から昔もらった物です。裏面には年表とともに東京駅の歴史が。 |
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実はこれの実物を持っています。 |
そこで自分が2006年の3月まで使ってた携帯、その当時で11年物のデジタルムーバ101(1995年製)の写真。メール機能無し でアドレス帳は名前の漢字表示が出来ず全部カタカナ。周りからずっと機種換えを迫られながら放置し最後は着信が鳴った だけで電池切れ…という訳でこの後にFOMAの902へ買い換えました。 |
こちらは某空港のカーゴエリアに勤めてた友人からもらったラベル。もらってからかなり経ってるので現在は無くなってしまった エアラインの物も。 |
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こちらは1976年アメリカ建国200年の際に作られた記念品。左の額は恩師の方に、右の二つは後に別の方 からいただいた物です。 |