先日居眠り運転を防ぐ仕組みとして運転者の若かりし日々を思い出させる「懐メロ」を車内に流すと効果がある
という内容のニュース記事が出ました。自分はどこへ車で行くにも若かりし頃MTVで感化された1980年代の洋楽
をカーオーディオで聞いてるので鉄壁な構えという事でしょうか。

37年前自動車教習所へ電車で通学中、ウォークマンで聞いてた1984年ロサンゼルスオリンピックのテーマソング、
セルジオメンデス「オリンピア」をカセットテープからmp3変換。2021年東京オリンピックの真っ最中に車で聞いてた
のはおそらく自分だけかもしれないです。

カーオーディオ、カセットテープ繋がりで倉庫から引っ張り出してきたレア物を公開。こちらは1985年頃友人から
借りた音源で作った松田聖子シングル曲ベスト (一部アルバム)の編集テープです。

何故カセットテープだけじゃなくカーオーディオを繋がりに加えてるか…それはカセットテープの型番です。初の
カーオーディオ専用テープ、AXIA (FUJI) GT-1の型番がわかる方は間違いなく自分と同年代。

こちらはFS用にCGを制作してる浜松町の世界貿易センタービル。1970年に竣工したこのビルですが、もうすぐ解体され51年の
歴史に幕を閉じます。

という事で世界貿易センタービルのパンフレットを資料庫から出してきました。竣工から5年も経たない1974年に作られた物です。

建設当時は東京湾沿いに建つビルで一番の高さでした。この建物より高いビルが無かった為シーサイド・トップという名称だった
展望台の見晴らしは素晴らしかったです。

としまえん遊園地が2020年8月31日で94年の歴史に幕を閉じ閉園するニュースを見た事を
きっかけにして倉庫兼資料庫から1985年発行の「としまえん乗り物回数券」を出してきました。

回数券の有効期間は無期限…という事は35年経った今も使えるのでしょうか?


お台場のトヨタメガウェブ内にある昭和博物館的空間の「ヒストリーガレージ」で撮った写真
を整理しながら、昔買った「昭和の東京」に関する写真集を資料庫から久々に出してきました。

上の写真にあるような街並みが実際の風景だった頃の写真集です。因みに1960年代となると実のところ
自分もよく知らない時代だったりするので、いわゆるノスタルジーに浸るのとは少し違う視点で見てる部分
があったりします。

ついでにこちらも昔買ったレトロの特集本。
余談ですがバブル景気に向かう1987年にこの本を買った事で、当時20代だった自分は「みゆき族」
や「六本木族」等の自分が生まれた頃流行した若者カルチャーを言葉も含めて初めて知りました。
そして自分がこの本を購入した「1987年」という時代が今現在レトロの対象になってるという事に時の
流れを痛感。先に書いた「みゆき族」等に当てはめれば自分の世代が当然のように知ってる80年代
前半に流行った「竹の子族」や「ローラー族」を下の世代が知らないのは当たり前だったりとか…
そういう不毛な事を改めて考えてしまった2019年の夏でありました。

倉庫を兼ねた資料庫の一番奥に保管してた段ボール箱を開けたら小中学生の頃に作ったプラモデルが出てきました。
色を塗ったりウェザリング (本物っぽく見えるような汚しや錆の表現等)を施したり、自画自賛とは違いますが「よくやってた
なあ昔の俺」とつい思ってしまいました。今はこういう根気もマメさもありません。

そして強烈な一品がコレ。当時の東西冷戦時代を象徴するような実在する「ミサイル詰め合わせ」セットのプラモデル。
アメリカ軍の代表的なICBM (大陸間弾道弾)3基、左の写真から「タイタン」、「アトラス」、「ミニットマン」。因みに今現在
アメリカ本土に現行配備されてるのはミニットマンの最終型「ミニットマンⅢ」で1発に3個の核弾頭を装着し射程距離は
約13000キロ。余談としてミニットマンは航空機メーカーとしても有名なボーイング社で作られました。
すべてのミサイルが1/128スケールで統一されてるので、一番デカい「タイタン」に対し「サイドワインダー」や「スパロー」、
「フェニックス」等の空対空ミサイルがむちゃくちゃ小さい。

もうひとつ余談になりますがこの「ミサイル詰め合わせ」プラモデルはアメリカのモノグラム社から1969年に発売されました。
完成したミサイルを飾るディスプレイ用台座も付属。(箱と完成品の写真はネットで見つけたものです)
そして自分が買ったのは1970年代に発売されたこちらの日本版。近所の店に売ってなかったので雑誌の広告で見つけた
吉祥寺の専門店まで行って買ったんですね。

資料倉庫で久々に面白い物を発見。それは29年前となる1987年にBMW日本代理店から届いた「BMW専用特別運転免許証」という物。
試乗の際お持ちくださいというユニークな宣材グッズです。
発行が昭和62年2月吉日で有効期限は同年の3月20日、免許の条件覧には「車に本物の価値を求められる方」「個性的なライフスタイル
を望まれる方」「豊かなモータリング経験をお持ちの方」と書かれBMWを所有する事で得られる特別なステイタス感をそそられる仕様に。

昔の自分の免許(1989年)とツーショット、今より一回り大きかった当時の免許証サイズで作られてたのが判ります。しかし俺が若い…

倉庫に保存してあった自動車雑誌2冊、月刊自家用車1985年2月号と5月号です。この頃の記事を見ると今では信じられないような話が
いくつも載ってたりします。

まずは2月号。この本を買った目的はスバルレオーネ・クーペ (後のスバルXT =初代アルシオーネ)発売前公道テスト走行のスクープ。

昨年秋に恵比寿のスバル本社ショールームで実車と御対面、好きな車ながら当時から近くで見た事がなかったので本当に感激しました。
(あのデロリアンも担当したジウジアーロのデザイン、「2代目アルシオーネ"SVX"」も好きなので、もし展示されたらまた観に行きます)

運転中のシートベルト着用と排気量50cc以下のバイク (原チャリ)のヘルメット着用が法制化の記事。逆に言うとこの時点ではシートベルト
をしなくても原チャリにノーヘルで乗っても違反じゃなかったという事なので、本当に今では信じられない大らかな時代です。
(故にシートベルト法制化が良くない事のようなニュアンスで書かれてたりします。マジこの頃の方がある側面では世の中自己責任)

そして「紫外線誘導回路内蔵で馬力アップ」というディストリビューター (各気筒の点火プラグに電流を送る配電器)の広告。今見ると何だか
怪しい雰囲気がしないでもないんですが…
オマケのページ「自動車関連全般」を見た事ある人は御存知かもしれませんけど…買ったばかりだった愛車「三菱スタリオン」にこれを
取り付けてました。通販で届いた製品を説明書見ながらいきなり装着してすぐ試験走行に出発、んで肝心な純正との違いはというと…
実は予備知識も無しにわけもわからずぶっつけ本番で取り付けた状態のなか「ちゃんと走った」事自体に感動してしまい覚えてません。

次は5月号。こちらで注目なのは「マイカーグレードアップ術」という記事。
ある意味今より自由に車をいじれた時代だったので、(改造の)専門誌じゃなくても自分でドアミラーを付けるのにドリルで車体へ穴あけ等
かなり突っ込んだ内容が載ってたんですね。
時代背景としてこの2年前となる1983年に初めてドアミラーが認可になったのでフェンダーミラー車をドアミラーにする人が急増しました。
ここでまたオマケのページ「自動車関連全般」を見た事ある人は御存知かもしれませんけど…買ったばかりだった愛車「三菱スタリオン」
が1982年型で認可前のフェンダーミラー仕様だった為、購入店の社長がドアミラーに無料で付け替えてくれました。

今はメーカー標準装備で当たり前となった後方障害物検知 (バックソナー)やキーレスエントリーもこの時代が発祥です。

強烈なのがコレ。まだパワーウィンドウが高級車にしか普及してなかったので作られた「後付けパワーウィンドウ」。窓を開けるのにクルクル
回してたハンドルの取っ手を外し歯車を装着、そこに電動モーターを噛ませてスイッチで操作します。これで貴方の車も高級車の仲間入り。

最後にこちらの日産自動車の広告。
要するに「エアコンは純正品を選びましょう」という広告です。車のエアコンも後付け商品として確立してた時代なのでした。

1980年の「パーソナルコンピューター」カタログを資料倉庫から。当時友人の親父さんからもらった物です。
(この頃は「パソコン」じゃなく「マイコン」と呼ばれてました)

ハードディスクやSSDは無い時代で読み出し専用のROMが4キロバイト (メガでもギガでもなくキロバイトです)、メモリ(RAM)容量
32キロバイトと48キロバイト搭載版がありそれぞれ20万と27万。別売の24色カラーモニターは30万、記録用のフロッピードライブ
も30万、プリンターは17万という今では考えられないような値段です。

自分で初めてパソコンを買ったのは1996年。これはその時もらった購入機種のカタログです。ちょうどテレビでも高倉健さんが
「何だ、簡単じゃねーか」とCMをやってましたがその頃の自分にはまったく簡単じゃなく…買ってから約2週間でWindows95を
起動不能にしてしまい早々にOSの再インストールを覚える事に。
正直この頃は何に使うかもわからなくて必要性もまったく感じなくて、理系に進んだ地元の友人に絶対買っといた方がいいと
薦められあまり乗り気じゃないまま池袋のビックカメラへ出向いたんですが今思えば買って正解でした。友人にも感謝。
ただ当時もし「フライトシミュレーター95」を買わなかったら、FSというソフトウェアを見つけてなかったら徐々にパソコンに触ら
なくなって高価な置き物状態と化してたのは間違いありません。

エアコン故障から自室の片付けが始まって部屋に隣接する資料倉庫の片付けまで波及した結果…倉庫の一番奥に埋もれ
てたお宝に辿り着きました。それは子供の頃に数年かけて製作した鉄道模型用の風景ジオラマ (レイアウト)。
昔自分で作った物ですけど本当に久々の御対面。
(写真2枚目下側の尖った黒い物体は「水牛の角」の置物です)

当時仲の良かった友人の影響で小学校高学年の頃にハマった鉄道模型でしたが、10代半ば~後半でマイブームも過ぎて
その後は数十年この状態。

2009年に昔撮った写真を一度載せた事がありました。余談ですがどうもこういう物を作ってたキャラクターに見えないらしく
大人になってから出来た友人にこのジオラマの存在を話すと驚かれた事が多数。
特に20代の頃、大学の学園祭や一時期ですけど渋谷109前とかで一緒に女の子へ声かけ (要するにナンパです)してた悪友
は最初信じてくれませんでした。

上記の写真を入れたアルバムがこちら。
今回はアルバムから製作途中の写真を載せてみます。こんな感じで山はすべてボール紙と新聞紙のハリボテ構造。5枚目の
写真は裏側からで、山のハリボテを支えてる柱は幼児期に遊んでた「積み木」を流用した物です(保守点検用の豆電球まで
中に付けてます)。
当時この模型を自分の聖域みたいに考えてて親どころか家に遊びに来る友人にさえ直接は触らせなかったため、結果として
自分の部屋を自分で掃除するようになったきっかけのアイテムでもあります。

建物は駅関連の市販品以外すべてボール紙にポスターカラーで着色した自作。内部には米粒電球と呼ばれるとても小さな
電球を仕込んで夜間照明も点くようにしてありました。便利な配線キットも殆んど無い時代に今考えるとよくまあマメな事して
たんだなと自分の事ながら感心。
唯一この建物だけ「プラ板」と呼ばれた0.3mm厚工作用プラスチック板で製作。幼馴染みの家族に連れてってもらった三陸旅行
で泊まった志津川町の旅館を原型にしてるオブジェクトで、米粒電球を複数使用し客室と廊下が個別に光るよう設定してありました。
最後に残ってた更地に旅館
を建てるのが決まり製作中
は角材と重機を置いてあり
ました。因みに角材は「頭を
とったマッチ棒」です。

そしてその三陸旅行の写真、この頃勉強そっちのけで空き時間にせっせか作ってたんですね。上記の模型を作るきっかけの
泊まった旅館ですが、場所が2011年の東関東大震災で一番被害が大きかった地域だったのでとても残念です。

エアコン取り付けのため直下にあったAV機器やラックを一時的に隣接倉庫へ移動するのにそっちの整理を先に始め、
その際出てきたいろいろな物の中から久々に子供の頃書いた絵をゆっくりと見ました。

小学校に入って初めて学校で書いたのは富士山と新幹線。1年の時に担任だった先生がクラス全員の絵を保管されてて、
卒業の際パウチした状態でしかも絵の裏側に一人一人個別のコメント付きでいただいた時は驚きましたね…
こちらも学校の課題で書いた絵です、小4だから9~10歳頃。
 
小学6年生の時に書いた物。、山手線の絵は「遠近法」っぽい書き方してます。
   

そして極めつけがこれ。
仲が良かったクラスの友達と作った「探偵団」の団員証です。何にでも首をつっこんでく「ヤジウマ探偵団」。
知ってる方は殆んどいないと思いますがちょうど40年前に自分と同世代だった子供達が主人公の「少年探偵団」
というテレビ番組をやってた事がありまして、その中のBD7という探偵団を真似してヤジウマ探偵団を作った際に
自分が制作を担当し全員が持ってた団員証です。
所属団員の名簿の他に通信で使う暗号まで作ってましたが自分も含め
変換と解読が面倒で誰も使いませんでした。
探偵はスパイみたいな物なのでリスクを補う団員専用の保険も完備。
生命保険→「もし団員の1人が死んだら10円やる」

火災保険→「もし団員の1人の家が燃えちゃったら10円やる」

くみとり保険→「もし団員の1人が汲み取りトイレに落ちたら10円やる」


しかし何だこの保険概要は…保険の「けん」漢字間違ってるし。

学園祭シーズンの真っ只中、この時期になると20代の終わりくらいまで雑誌「ぴあ」の学園祭特集を購入し日程を網羅しながら
あちこちの学園祭へ行きまくってたのを懐かしく思い出します。
倉庫に保管してあった1980年~90年代初めの
「ぴあ」学園祭特集号。

因みに最後に学祭へ出向いたのは2007年。昔行ってた時途中から女子大中心に出向くようになったという何とも分かりやすい
方向へシフトして都内の行ける所は大体行きつくした中、唯一行きはぐり心残りになってた某女子大へ雰囲気だけ楽しみに約20年
ぶりで出向いたら…女の子達との年齢差からか自分の立場を勝手に父兄参観みたいに感じこれまた勝手にアウェー感を持って
しまい早々に撤収。

ついでに学園祭ネタでちょい自慢話系になりますけど友人のコネで神奈川の某大学へ24歳の時行った際、引き金が付いた弓矢の
ボウガン (正式にはクロスボウ)を扱うクラブで生まれて初めてのボウガン射撃を体験。
20m先から5発撃って標的の黒丸へ全部当てたらリンゴ (ウィリアムテルに因んで)をくれるという内容だったので挑戦したら全弾 (矢)
がほぼ黒丸へ入ってしまい「本当にやった事ない?」と驚かれた上、現役学生に間違われボウガン部への入部を勧められる事に。
(丁重に断わってリンゴだけもらいました)
その後、実力を買われ一時期本職のスナイパーに。それ以来ゴルゴ13みたく「背後に人に立たれる」のが嫌で長く立ち止まる時には
必ず壁を背にするようになりました。(嘘です)

てかこの時の記憶としては、この後に出逢う事となるデニムのミニスカが眩しかったあの子の思い出の方が…(以下自粛)

先日終了したドラマ「続・最後から二番目の恋」の効果からロケ地だった神奈川県の鎌倉がブームになり観光客が
増えてるみたいです。この番組パート1から観てましたが出演者の方々が殆んど自分と同世代なのも関係してるのか
ストーリー的に「あるある」なものが多くて結構面白かったです。

そして前も何回か書いてますが、鎌倉も含め湘南エリアは毎年夏になると親戚所有だった空き家へ滞在型リゾートのように
泊まりで遊びに行ってた思い出深い場所。親戚と一緒だった幼少時代から友達と勝手に行くようになった10代後半以後まで
数十年、今くらいの時期になると毎年出かける準備を始めてました。
鎌倉のレストランで撮った写真。
1976年の夏です。
江ノ電「長谷駅」、同じく1976年。
書かないと何処か分からない場所
ですが片瀬海岸に近い「山本公園」
という公園です。撮影は1975年。
そして1985年夏。当時大人気だった
TV番組「たけしの元気が出るテレビ」
の「江ノ島元気が出るハウス」。
泊まってた家が江ノ電の線路際だったので就寝時間が早かった子供時代は通り過ぎる電車の音を心地よい子守唄にしてました。
(てか音だけじゃなく家全体が毎回地震のように揺れてました)
踏切の音が聞こえた後、レールを伝わりながら近づいてくる江ノ電の音と蚊取り線香の匂いが今も自分の中では「夏の風物詩」です。

これは資料倉庫にて久々に見つけた「お宝」。上記の湘南へ出向いてたド真ん中時代の1977~78年にかけて買った江ノ電記念切符。
そしてこちらは写真右から江ノ電の普通切符、小田急ロマンスカー特急券、ついでに東京の都電回数券。自動改札が普及した今では
切符自体が珍しい物になりつつあるのかも。

鎌倉・湘南から段々話がズレてきてますが…1970年代に大流行した「愛国から幸福」駅行き切符 (発行日が昭和50年 =1975年1月1日
というキリ番)もあります。

倉庫に置かれてる机を整理してて見つけた1987年当時のプールバー「ロサンゼルスクラブ」のマッチ。

こちらはバブル期よりちょい前の物。新宿歌舞伎町のディスコ(死語)、「B&B」のメンバーズカード。といってもVIPとかではなく
一度でも行けば皆もらってるはずなのでそれほど希少ではないかも。六本木「リージェンシー」の金属製カードもありましたが
腐蝕してとんでもないことになってました。
机の中、隅のカンケースから渋谷「スパジオ」の残ったドリンクチケットまで発見。

「ロサンゼルスクラブ茗荷谷店」オープン告知のチラシです。 当時休日の六本木店や原宿店は待ち時間が3~5時間という過酷さ
を極め、自分はもっぱら茗荷谷店で遊んでました。因みにブレイクナイン (最初のブレイクで9番ボールを落とす事) 経験は2度。
そしてロサンゼルスクラブ提供のビリヤード番組「POOL 1987」のキャプチャ画像。この前年に公開された映画「ハスラー2」で
ナインボールゲームの人気に火がつき、ビリヤードしながら飲食も出来る「プールバー」の登場で大ブレイク。

ロサンゼルスクラブ茗荷谷店ができるまでは新宿コマ劇場(当時)前、ジョイパックビル(現ヒューマックス)の中にあったプールバー
へよく行ってました。そこに後輩だった16歳の女の子2人を連れてった事あったんですが年齢的に今は(厳密に言えばその当時も)
まずいのかな?
母校のサークルへ届け物した際にどうしても行きたいとせがまれ行ったわけですけど、頭数そろえる為サークルOBの男の後輩に
声をかけ同行させたら現場で人気の大半もっていかれました。んーちょっと失敗、(てなんの話や)
後輩の子にファンクラブ作られたりして一時期調子こいてた事があったのは思えばこの頃。
楽しかったですけど本気になった子とはうまく行かずつらい事もありましたな…

80年代中盤、空前のビリヤードブームが起きた
きっかけの映画「ハスラー2」。
今思えば狂乱のバブル時代を知れる映画「バブルへGO!!」。当時を知らない世代の
人は信じられないかもしれませんが、この映画で描かれてる風潮ほとんどが真実です。

隣室資料倉庫の片づけをやってる最中に紙の山からトンデモな物を見つけてしまいました。

それは昔彼女と一緒にやった「恋愛に関する心理テスト」の結果リポート。 この結果だけ見れば
ちょい自慢モード入っちゃってもいいくらいオレって凄いヤツなはずですが…今現在も独り者です。

倉庫で探し物の最中また副産物を発見。こちらは子供の頃、旅客機に初めて乗った際CAのお姉さんにもらった記念の絵はがきです。
タイアップの広告、昔のテレビ14インチが92800円て…

その中でこの二枚の飛行機写真。
10歳の時これを見ながら書いた絵です。そっくりに書いたつもりなんでしょうが…やっぱこうやって比べると結構違います。

ついでにレアかも? な資料。運輸省 (現国土交通省)航空局作成の1978年新東京国際空港(RJAA/NRT)開港時パンフレット。

昔買ったマンガ本です。2011年3月の震災後に崩れた倉庫の荷物を片付けてた際、倉庫の奥へ収納したまま忘れてた
品々を次々と発見してきましたがこれもそのひとつ。マンガとは20年以上疎遠になってますけど昔は読んでたんですね…

小学生の頃は普通に「ドラえもん」とか読んでたのが10代後半になってくると劇画調の作品にシフトしていきます。
そして二十歳くらいの時マンガ本の購入最後にして全巻を揃えたのがコレ。いやはや何というか…

倉庫から発掘した「杉山清貴&オメガトライブ」のカセットテープです。40代以上の方じゃないとわからないかもですが…
ユーミンと並び当時(1984~85年)のドライブデート必需品。
カセットデッキも倉庫でまだ生きてますが仮に音声信号
をパソコンに送ってデジタル化したらどのくらい聞くかな…
今はYouTubeもあるし。

ドライブデートに関連してカーステレオに関するエピソード。
まだ自分が車を買う前に親父のシビックを借りたらAMラジオしかついてなかったのでカセットを聞けるよう市販のカーステレオ
を買ってきて接続しました。(承諾とらず勝手にでしたが返す時に装備グレードアップなのでいいかと…)
そして配線が終わってスイッチを入れました…が運転席側のスピーカーからしか音が出ません。説明書どおりハーネス配線
したのに右側からしか音楽が聞こえない。いくら確認しても何故かわからず、最終的に助手席側へ向かうスピーカーコードの
断線を疑い生まれて初めての自動車ディーラー訪問し事情を説明して診てもらったところ、なんと最初についてたAMラジオが
モノラルだったため助手席側にスピーカー自体が入ってなかった事が判明。
なのでその場で1個スピーカーを購入、やっと2スピーカーになりステレオで聞けるようになった…という昔話でした。

ミニディスク(MD)も過去の録音メディアとなって久しいですが、カセットテープやレコードから移し換えながら保存してた
MDを倉庫から見つけました。Hi-MDで長時間記録した物もあるのでデッキが壊れないうちにまた他へ移すかな…
これらを聞くと気持ちだけ一瞬10~20代に戻ります。

80年代は洋楽三昧、今考えるとマメにタイトル書いてました。

MDのタイトル"東亜会館"じゃ何だかわからない方が殆んどかもですね。どうしても気になるという方は「東亜会館」で
ググってみて下さい。

倉庫の古いビデオを整理してると若かりし日の自分を見つけたりします。

時はバブル経済真っ只中の約20年前。遊びの誘惑満載東京の夜…当たり前の話として1日は24時間。当時の自分も含め
多忙な現代人 (死語)はどうしてたか? 答えは「寝ない」、とりあえず「寝ないで」遊ぶ。
今考えるとよく動いてました。遊びに出るたび終電逃がしては (実のところ乗る気は最初から無い)通勤する人と飲んで帰る人
が入り乱れた翌朝に帰宅の日々。

1988年

1996年


現在の部屋で映画DVD観たりパソコンいじったりミニカー集めたりが中心の生活も結構好きだったりしますがあの頃からすると
かなり地味な日常になりました。唯一夜行性の習慣が今も抜けないせいかオフが連日にわたると夜何かにつけ活動して殆んど
寝ないまま昼も起きてたりするので気づけば居眠り、というか所かまわず爆睡してたりします。車でコンビニ駐車場を渡り歩き
ながら2晩寝ないで走っても平気だった頃の体力が懐かしい。とにかく徹夜ができません…歳とりました。

ちょい自画自賛ビデオ、1985年小豆島にて。この頃の身体能力よもう一度…車中BGMは映画「ブレイクダンス」のサントラです。


1997~1998年、ケアンズにて。まだ何とかこの頃と同じくらいには動けまス。



子供時代の制作物が倉庫から出てきました。小学校の夏休みから着手して授業中もこっそり時間を使い半年くらい
かけ仕上げた手製の本。

当時欲しいと言ってくれた複数の友達にあげようと細かい考えもなしに文房具店のコピー機で大量生産しようとしたら
一冊完成した時点で数ヶ月分の小遣いがパー。いわゆる"企画倒れ"ってやつですね…
自筆の原版も一緒に見つかりましたがコピー機で作った世界に一冊の「図鑑」のほうを公開。


こちらは小学校5年の時ウルトラマンシリーズに出てくる怪獣の図鑑を自分で作ろうとして書いた物。(○の数字は番組
の何話に登場とかだったかな…写真のとおり途中で面倒になって頓挫)

ネットで「さかつうギャラリー」という精密なスケール模型専門店を見つけました。映画「三丁目の夕日」鈴木オートの精密模型も売ってます。
とりあえずディスコだ海だナンパだとケーハク路線を歩んでた頃も正直あった自分ですが実はジオラマ模型の世界とかも嫌いじゃない。
何しろ子供の頃鉄道模型に数年ハマって当時作った風景模型をコンテストに出品し、ありがたくも賞をいただいた過去があるくらいなので。

12歳の終わりからコツコツ始めて14歳の春に完成した風景模型 (レイアウト)。

コンテスト入賞時の雑誌写真

こちらはマニア必見!? 約35年の歳月を経て再び蘇った(大げさ) 現存する鉄道模型車輌の数々。
今は趣味としてまったくやってませんが鉄道模型は当時仲の良かった友人の影響もあり子供時代の一時期結構ハマりました。
当時作った上記の風景模型 (レイアウト)が未電化のローカル線だったので電線から動力をとらない自走式のディーゼルエンジン車輌
モデルが中心。記憶では「DD51」というディーゼル機関車が最後に買った車輌だったと思います。
DD51のケース内に購入年月日入り「昭和55年(1980年)7月8日」の保証書が入ってました。テストする環境が無いので分かりませんが
果たしてこれらの車輌今でもちゃんと動くのか…? 
(上記のレイアウトも倉庫の一番奥に数十年ずっと休眠中。メンテナンスしても復活させるのは難しいかもしれません)
貨物車輌です。大半は購入後、右の車体のように
ウェザリング(本物っぽい汚し)を施したりしてました。
こちらは唯一の自作車輌。他の車体を数台とプラスチックの板材を
継ぎ接ぎして作った代物です。
組み立てモデルの駅舎。
(当時なりに)中まで凝って仕上げましたがレイアウトには使いませんでした。

そして当時の年齢に絡み内密のバイトで模型店へ設置するディスプレイ用ジオラマを作ってたのもこの頃。

歳とったからもあるのか旅行も含め遠出するのが少しおっくうになってきてる面もあり、まだお店に一度も行った事ないですけど
このホームページを見て身近というか近場でずっと地味に続けられる趣味を何か作ってみようかなと少しだけ思ったりしました
(そういえば既に精密なダイキャストカー集めをしてますね)。
人生の折り返し地点も過ぎましたし、たとえるなら親父が庭で盆栽を育てだす感覚に近いのかもです。

うちにある本で見たい記事があるからと先日地元の友人が久々に訪ねてきました (正確にはその友人から以前借りてそのままに
なってた車関係の雑誌)。そこで雑誌を含めしまってあった隣室のダンボール箱を開け探索したら、これまた懐かしい一冊を発見。

それはコレ「CAR and DRIVER」1985年11月26日号。
 
 第26回東京モーターショーの特集で買った本です。
  
そして当時、記事の目当てだったのは
日産MID4。
この本を見つけた後、雑誌は友人本人に
探させて見入ってました。
MID4のコクピット。コンセプトカーというより
ほとんど市販車ですね。

その他、マツダRX-7(FC3S)やいすゞピアッツァ"イルムシャー仕様"、日産フェアレディZ(Z31)などその頃欲しかった車が新車として
目白押しに詰まった一冊でした。

 ちなみに友人が探してたのはこの雑誌。読んだあと「また預かっといて」と置いてったので再び保管。

2010年末に資料倉庫の掃除をしてて久々に古いダンボールを開けたら昔買った自動車雑誌の数々が…免許を取って
数年はこれらの雑誌を毎号のように数種類買い込んでいました。
自分の世代は多かれ少なかれ皆クルマバカだったのではないかと思います。

これが最初の愛車である三菱スタリオン購入のきっかけになった雑誌。この写真に惹かれたのが決定打となりました。
この本はスタリオン購入後に買ってます。多分自分の選択が正しかったと再確認したくて買ったんだと思います。

大体立ち読みで済まさず雑誌買う時には家でゆっくり見たい (保存したい)記事が必ずあるものですが
この本は日産MID4フランクフルトモーターショーに初登場の記事
こちらはGr.A仕様スタリオンの綴込みポスターで
そしてこの本は…表紙の中山美穂が可愛いかったので買ってしまいました。
(オチとしてはつまらなかったスね)

こちらは1980~90年代頃にかけての自動車カタログです。時代の流行と自分の好みを反映してかクーペが大半を
占めてますが、
元々ミーハーなので90年代中頃に入るとジャンルの方向性や幅がグチャグチャに。何にしても商品の性質上
2度と再版されないものなので年々貴重になってるかもです。

隣室で保存中の自動車カタログ各種の中からこれはちょい珍しいのでは、と思うものを。
まずは日産クルー、1993年に登場したタクシー専用車です。カタログはその翌年にクルー・サルーンとして
発売された一般向け仕様のもの。
続いてトヨタメガクルーザー。自衛隊向けに作られた車両の一般向け仕様として1996年に登場。
同じくトヨタのクラシック。トヨタ60周年記念車として1996年に限定100台で発売された車。1936年登場のAA型
と呼ばれるトヨタ一号車をモデルにしてます。
そしてメルセデスの最高峰マイバッハ。カタログじゃなくて簡易型の写真集ですが、かなりのレア物。

倉庫で長年行方不明になってたレア物を発見。
DVDやブルーレイの登場前、1980年代まで遡るとベータマックスやVHSというカセット式ビデオテープでテレビ等を
録画してた時代がありました。そしてこれはそのベータとVHSが世に出る前、1970年代に初のカセット式として登場
した「Uマチック」という規格のビデオテープ。

昔コネで遊びに行った某工業大学の研究室でもらったものですけど自宅にUマチック機器がないため再生した事は
一度も無し。またこれからも再生できる見込みも無し…という「所有してる意味があまりない」かもなアイテムです。

「Uマチック」はデッキが100万円以上する代物だったので民間では普及せず主に業務用・放送局用で使用されましたが、
その後ベータマックスサイズのメタルテープを高速で走らせ高密度記録する「ベータカム」規格が登場してそちらが主流
となります。

ついでにこれは自分で録ってきた昔の国内旅行ビデオですけど何故か業務用「ベータカム」のケースに。
(中は普通の民生用ベータテープです)
種明かしをしますと、業務用「ベータカム」のケースが頑丈なので、元のペラな民生用ケースから後で入れ替えました。

「東京駅100周年」の記念Suica発売に絡んで大混乱があったみたいですが、こちらは遡ること30年前に発行された
「東京駅70周年」の記念場内入場券です。

旧国鉄に勤めてた方から昔もらった物です。裏面には年表とともに東京駅の歴史が。

大昔の東京地図。先祖代々根っからの東京モンゆえ保存してしまうというか…でも「東京人の郷土意識」ってなんか変な響きですよね。

こちら昭和38年(1963年)東京全図。
自分もまだ生まれる前のモノです。

船の科学館やフジテレビがある
台場や青海どころか大井埠頭が
影も形もありません。
そして2年後の昭和40年(1965年)
東京地図。この年になると東京湾
には…
台場の埋立地が一部登場、
そして大井埠頭もつくってる
真っ最中。

近所のスーパー2階の本売り場が歴史系が充実してて少し前にこの本を購入、そしたら巻頭にこのような付録が…

実はこれの実物を持っています。

たまたまチャンネルを回したテレビ番組で出演者の方が8年物の携帯電話(ドコモの501)を数ヶ月前まで使ってたという話題
で盛り上がってました。

そこで自分が2006年の3月まで使ってた携帯、その当時で11年物のデジタルムーバ101(1995年製)の写真。メール機能無し
でアドレス帳は名前の漢字表示が出来ず全部カタカナ。周りからずっと機種換えを迫られながら放置し最後は着信が鳴った
だけで電池切れ…という訳でこの後にFOMAの902へ買い換えました。

旅客機の座席に置かれていた1980年代からの機内誌、搭乗時に手当たり次第持って帰ってました。学者だった親父のDNA
なのか保管場所が許す限り資料的価値の出そうなモノは何でも保存する癖があるので現存してます。

こちらは某空港のカーゴエリアに勤めてた友人からもらったラベル。もらってからかなり経ってるので現在は無くなってしまった
エアラインの物も。

かつて旅客機内で子供に配られていたプラモデル。これを配布していたであろうスチュワーデス(現キャビン・アテンダント)の
お姉さん、多分数年で還暦近い方もいらっしゃるのではと思うと何か感慨深いものがあります。

それにしてもJALとKALの747、箱のデザインとシール以外中身が
同じなのは何故?

自分の一番の宝物「恩賜のたばこ」と「昭和天皇御在位60年記念10万円金貨」です。5枚ある10万円金貨は
「現行通貨」であり、現金50万という事でもあります。

こちらは1976年アメリカ建国200年の際に作られた記念品。左の額は恩師の方に、右の二つは後に別の方
からいただいた物です。