11月18日、お台場で開催された2018年最後の旧車イベント「旧車天国2018」へ行ってきました。
お台場の旧車イベントは毎年1月開催の「NYM =ニューイヤーズミーティング」に何度も訪れてきましたが、
「旧車天国」訪問は実は初めて。同じく今年初の訪問だったパシフィコ横浜開催の「ノスタルジック2デイズ」
共々、平成が終わるという今どんどん自動車イベント見学が昭和に遡ってます。
いつものように潮風公園南側パーキングへ駐車。10月7日に訪れた「東京モーターフェス2018」では初めて
満車で停められずイベントを観られないまま帰宅しましたが今回も自分が車を停めてから数台で係りの人
が満車の看板を入口に設置、ギリギリでした。
このパーキングも周知されてきて満車で停められない確率が増えてきたかも。(自分が空いてる駐車場の
穴場だとイベント関連の度に書いてたのとは無関係と思いますが)

会場へ向かう前に今年24歳になった愛車の写真を撮影。訪問の2日前にガソリンを給油した時、スタンドの
お兄ちゃんに「明後日お台場の旧車天国へ行くんだ」と話したら「(この車を)展示するんですか」と言われた
愛車ですけど、この後に載せる会場内の展示車と比べたら全然旧車ではありません。

会場を入ってすぐ視界に飛び込んできたのは「SUBARU天国」というエリア。新車メーカーのSUBARUが
スバル車オーナーに呼びかけて集まった歴代スバル車の大群です。

こちらはSUBARU自身が保管してる希少車の展示で1954年に作られた試作車の「スバル1500」。

そして実車を観るまで知らなかった同じく試作車の「A-5」、初の水平対向エンジン搭載車だそうです。
リアウィンカーの位置がかなり特徴的。

隣は「はたらくクルマ」のエリア。まずは西部警察仕様の430型日産セドリックとニューヨーク市警仕様
のフォードポリスインターセプター。日米のパトカー共演です。

タクシー仕様のS12型7代目トヨタクラウン。

アメリカ軍払い下げの「M26トラクター」。こちらの牽引車「M26」とセミトレーラー「M15」を合わせて
戦車運搬車「M25ドラゴンワゴン」を構成します。

3輪の消防車から各オート三輪、そして各トラック、更にデコトラへと…

「旧車天国」では自分が今までに行った旧車イベントで見た事がない驚愕な車両の数々も展示され
ていました。その中で一番驚いた展示車がこちら、自分が子供の頃放送されてた「走れ! ケー100」
というテレビ番組の主役だったSLを再現したレプリカ車両です。「走れ! ケー100」はタイヤを装着した
蒸気機関車K-100が日本を一周する子供向け番組、毎週楽しみにしながら観てたのを覚えてます。
という事で、このコミカルな車体の周りへ「きかんしゃトーマスに子供が集まるように」自分と同世代
前後のオヤジ集団が群がる訳ですが…傍から見たら異様な光景かもしれませんね。
「走れ! ケー100」と同じく1970年代前半に放送されてた特撮番組、「人造人間キカイダー」で主人公
のキカイダーが乗ってたサイドカーを再現した車両。
別のエリアには仮面ライダーの「サイクロン号」を再現したバイクも展示されてました。

こちらは1980年代の漫画「AKIRA」に登場したバイクを再現した車両。

「ウルトラセブン」のポインター号。とりあえずそのカスタムだけでも驚きのバイクや車の数々ですけど、
殆んどがナンバーを取得してて自走で会場入りしてる事に更にビックリです。

そしてこの流れでこちらの強烈なインパクトを持つ車両を載せると間違いなくこれは何の番組に出てた
ステージカーなのか? と、なると思いますが…
実はアメリカで作られ市販されたオートバイなのでした。解説によると最初「ライトスター」として約40台、
後に「パルス」として約350台が生産されたそう。当時のトレンドだったリトラクタブルヘッドライトも搭載。
この車両もナンバー付です。これで街を走ったらとんでもなく目立つだろうなあ…

変わり種車のブースをひと通り観た後に一般展示のエリアへ。メーカー保存ではない一般の方が所有
する1970年代車がかなりの数まだ現存してるのに驚きます。

外車エリアには「フィアットマニアック」という企画で集まった物凄い数のフィアット車が。

因みに自分が企画募集以外で集まったメーカー別の外車で一番多いと感じたのはロータス勢。

こちらの「ロータスエスプリ」は映画007のボンドカーに起用され第10作「私を愛したスパイ」と第12作
「ユア・アイズ・オンリー」の2作品に登場しました。渋い「アストンマーティンDB5」から派手なエスプリ
にボンドカーが変更された「私を愛したスパイ」の公開当時は空前のスーパーカーブームだった為、
「遂にボンドカーもスーパーカーになった」と芸能系ニュースで流れた記憶が残ってます。
(因みにスーパーカーブームは日本限定だったので実際は関係無く、タイミングが重なったところに
目を引く見出しを付けただけだと思われます)

外車エリア紹介の流れの中、ここでいきなり別の場所に展示されてたトヨタAE86型「カローラレビン」
の写真をインサート。それは何故かと言いますと…

以前に知ってる人は知ってる車トリビアとして、後期型「ランボルギーニ・ディアブロ」のヘッドライトが
日産「Z32型フェアレディZ」の流用だという事を書きましたが、
それと同じように実は1987年以降に作られたエスプリは最終型を除きカローラレビンのテールランプ
を流用してたからなのでした。

1964年東京オリンピックの役員公用車だったプリンス・グロリアデラックス。何とレプリカではなく本物。

左の2枚の写真が初代シルビア (CSP311型)、右の2枚が2代目シルビア (S10型)です。
引き続き左の2枚の写真が3代目 (S110型)、右の2枚が4代目(S12型)。
ついでにS12型シルビアの1984年版カタログです。
自車の速度を一定に保つクルーズコントロール機能に早くも「自動運転」のコピーが。その他にも予め
入力した暗証番号ボタンでドアを開けるキーレスエントリーやヘッドライト専用ワイパー等、斬新すぎる
新機能が世界初搭載された車でもありました。

そして自分が免許を取得した事で「クルマに一番入れ込んでた」1980年代の旧車を集めたエリアへ。

左の2枚がワンダーシビックと呼ばれたホンダ・シビック、右の2枚はトヨタ・セリカXX(ダブルエックス)。
ワンダーシビックは自分が親父に借りて半年間乗り回してた車で、自分の車歴のなか唯一のMT車。
セリカXX (A60型)は免許取得当時に一番欲しかった車でした。(後に登場した後継のA70型スープラ
はコンディションが良いタマがあれば今も一番欲しい車です)
セリカXXの1982年版カタログ。
サイドビューはA70型が登場するまで一番好きでした。車の速度を数字、エンジンの回転数を棒グラフ
で表示するデジタルメーターにリトラクタブルライト(カタログにはライズアップライトと書いてあります)等、
すべてが当時の最新装備。
余談としてA60型セリカXXは当時デートカーブームの頂点に位置した初代ソアラと基本プラットフォーム
を共用してました。後部にトランクを持つノッチバックーペのソアラと全体がガラスハッチで覆われた
ハッチバックのセリカXX、その兄弟車ながらスタイルがまったく違う関係性は自分の歴代愛車でもある
日産S13型シルビアと180SXに似ています。

近くで観るのは初めてのトヨタ・コロナクーペ。コロナクーペは映画「私をスキーに連れてって」で大流行
した流面系セリカの兄弟車。こちらもノッチバックとハッチバックの関係から自分的にシルビアと180SX
を連想。

左2枚が日産F31型レパード、右の2枚はマツダ・FC3SサバンナRX-7。
レパードはデビュー直後こそデートカーブームで君臨したトヨタ・ソアラの陰に隠れてしまいましたが
ドラマ「あぶない刑事」の劇中車で尻上りに人気が沸騰。
サバンナRX-7は型番がFC3Sですが写真一番右のオープンカータイプだけは「FC3C」型になります。
FC3Cが記載された1988年版サバンナRX-7カタログ。

ホンダBA型3代目プレリュード。
80年代デートカーブームの頂点に位置したソアラと双璧をなす女性人気を誇った車です。価格がソアラの
3分の2程度から半額に近かったので今風に言えばコスパ最強ってとこでしょうか。
自動車雑誌「ドライバー」1985年6月号のデートカー特集。
この記事の写真はソアラが初代、プレリュードは2代目ですが、ブームはバブル崩壊前後の頃まで続いて
デートカー2強はフルモデルチェンジした2代目ソアラと上記3代目プレリュードへそのまま引き継がれました。
プレリュード人気は1988年のS13シルビア登場まで続きます。

左2枚の青い車は1990年1月に登場した日産NXクーペ。
北米をターゲットにした近未来的なコンパクトクーペでキャッチコピーは「タイムマシンかもしれない」でした。
右の2枚は「AE92型」トヨタ・スプリンタートレノ。
車好きの若い方はトレノというとAE86型をすぐ思い浮かべるかと思いますが、実はトレノ最大のヒット車は
1987年に登場したこちらのAE92です。自分の友人もスーパーチャージャー搭載の最上級グレード「GT-Z」
を当時乗り回してました。

左から日産のシーマ(1988年)とBe-1(1987年)、トヨタのマークⅡ(1984年)とMR-2(1989年)。
初代Y31型シーマは「シーマ現象」という言葉まで生んだバブル時代の象徴とも言える車で3ナンバー車の
普及に一翼を担った車です。Be-1はパイクカーブームの元祖。
X70型5代目マークⅡはクレスタ、チェイサーの兄弟車と合わせマークⅡ3兄弟と呼ばれてました。SW20型
2代目MR-2は正に走る為だけに存在するミッドシップ2シーター。
実用性を考えないMR-2のような車が普通に量産されてた時代があったんですね。

マークⅡの1987年版カタログ。
マークⅡはバブル時代、デートカーと並行して流行ってたハイソカー(ハイソサエティーカー =上流階級車)
の代表的車種に昇格。因みにハイソカーの頂点もデートカーと同じくソアラでした。
マークⅡのド派手フカフカシート、誰が言い出したのか後に「キャバレーシート」と呼ばれるように…

MR-2のカタログ。黒い表紙が1993年、赤い表紙が1994年版。SW20型MR-2は1989年から1999年まで10年間
販売され、当時としてはかなりロングライフな車でした。