こちらは2016年に発売された日産「S13型シルビア」の特集本です。シルビアの特集というと1990年代半ば
以降にこの車の辿った経過としてドリフト系のチューニングパーツや改造に関する物が殆んどを占めてた
時代が長く続きましたけど、今回の特集や車関連サイト等で近年はS13登場時の元々の姿に光が当たり
始めてるかなという感が。
1988年5月、当時デートカーブームで主役だったホンダ・プレリュードの刺客として登場し見事プレリュードを
討ち取った経緯を知る人々は完全に50代以上になりました。お笑い芸人の平野ノラがブレイクした事で
バブル時代を振り返るブームも到来、これを機会に改めてS13の「正しい歴史認識」が成されると良いかな
と思ったりして。
余談ですがお笑いの平野ノラが使うネタからバブル時代の象徴みたいな扱いになってる荻野目洋子の楽曲
「ダンシング・ヒーロー」ですけど、実は曲が発売されたのが1985年秋なので実際は本格的なバブル景気が
来る前です。同年9月末にバブルのきっかけとなった「プラザ合意」がありました。
時代を象徴するアイテムとして考えた場合、地価や株価が高騰を始めた1988~89年のド真ん中に登場した
S13シルビアは正に「バブルの申し子」という存在かもしれません。

(2017.)

この特集本は昔のシルビアに関する雑誌を一冊にまとめた物ですが、開発当初のデザインコンセプト案
スケッチなど自分が初めて見る資料も多数載ってて嬉しい限り。
1988年6月発売モーターファン別冊「新型シルビアのすべて」に載ってた記者発表展示会記事も今回の特集に。
 

もちろんライバル車プレリュードとの比較や兄弟車であり今の自分の愛車、RS13型180SXの特集も。180SXは
シルビアの発売から1年後の1989年4月に北米からの凱旋という形で日本市場へ投入された帰国子女のような
立場の車です。

当時のカタログも全ページが記載されてます。2ドアスポーティクーペの室内紹介写真にAT車が使われてる事が
バブル期スペシャリティカーの証。因みにS13を「スポーツカー」と考えるのは40歳代以下の世代が大半で50代
以上、特にバブル世代はスペシャリティカーのカテゴリーに分類します。これもS13がデートカーブームの覇者
から走り屋系ドリフト車へという対極とも言える2つの歴史を持つが故ですね。
余談としてこのクラスで後輪駆動を採用した車が当時から少なくなってた為、デートカーの全盛時から走り屋車
として重宝されてた所もありましたが、S13のドリフト御用達的な立場が大きく確立したのは漫画「頭文字D」が
登場した後の1990年代後半以降となります)

ついでに余談として以前買ったこちらの本には初めての愛車だった「三菱スタリオン」のカタログが全ページ
記載されてますが…

これらの車が現行だった時代をリアルタイムで駆け抜けた証のごとく、上記のシルビア共々カタログの実物を
所有してます。
最後にですが遥か昔にブームも去り車が必ずしもデートの必需品ではなくなった今、敢えて当時のプレリュード
やシルビアにコンセプトが近い車を例えるならトヨタの「ハリアー」だと思います。
それは走りに対しハイレベルを目指しながらも性能が徹底され過ぎではなく、また女性ウケを強く意識しながら
(仮に表向きだけでも)チャラ過ぎないというユルい所。
デートカーはその性質上、気持ち良い走りが可能ながらも高過ぎるスペックは必要なく、「そこそこな感じで」
「一生懸命過ぎない」ある意味でテキトーな部分が残ってる事が重要なのです。

とりあえず旧車を現行所有してると既得権で感じる満足感に満たされ普段自分の愛車に関する事柄をそんなに
検索する事も無く…
という事で自画自賛な展開ですが今回の検索で昔を思い出させてくれる素晴らしいYouTube動画を発見、バブル
のノリをひしひし感じる楽しい動画です。

こちらは海外「日本人も知らない真の日本」という動画。ワイルドスピード等の映画をきっかけに北米では
JDM(Japanese domestic market)のカテゴリーで純日本仕様の旧車が大人気という事も最近知りました。

2024年になってから初の週末に待望の「VIVANTブルーレイBOX」を購入してそのままスーパーに買い出し。
地下駐車場で久しぶりに愛車の写真を撮りました。1994年型、今年で車齢30年ですが走りは至って快調です。

コロナ渦真っ只中だった2022年に同じ場所で撮影した写真。昨日撮ったと言ってもわからないくらい変化無し。

というかこんな感じで数十年経つと旧車に乗ってる感覚も無いため意識しないと写真も撮らない状況です。

(2024. 1.)

愛車の法定点検が終わり昨日戻ってきました。そして今回の点検入庫で夏頃から表面化してた問題が完全に解決
して一段落、安堵してる所です。それは何かと言いますと…

こちらは今年4月に書いた愛車に関する内容です。
何度も書いてますけど家の車は1994年型で人に例えたら来年ちょうど30歳。昨年秋にエアコンの風を送る
ブロアモーターが一度不調になったものの何時の間にか回復、今のところ至って元気。
発売当初はデートカーコンセプト、後にドリフト走行等の走り屋系クルマに変化したのはシルビアと同じです。

遡る昨年12月に書いた内容。(現在オマケのページ内「自動車ショールーム & ベント →日産ギャラリー」
に転載)
因みに先週は旧車あるあるの製造廃止部品をスペアパーツとして中古で手に入れ、支店止めの商品を
足立区のトラックターミナルまで受け取りに行ってきました。

という事で昨年の秋一度不調になったあと回復した「エアコンの風を送るブロアモーター」が今年の夏
から不調再発、本格的に寿命が迫ってきたため「昨年末手に入れた」製廃部品のブロアモーターを
点検入庫の際お店に持ち込んで交換して頂きました。
ブロアモーターが故障するとエアコンスイッチを入れても風が出なくなり夏の暑さや冬の寒さに全く対応
不可という、特に近年の夏の猛暑を考えるとかなり恐ろしい事態が発生します。更にはエアコンOFF時の
送風も出来ないので窓の曇りをとったりなど換気も不可能という結構深刻な事案でもあったりします。
症状が初期のうちは振動を与えると回り出すので昨年の秋はモーターが位置するダッシュボード周辺を
叩いて対処、その後上記したように一旦回復して無事に年を越しました。ただ一度症状が出たら長くは
もたないのでオークションサイトから昨年末モーターを落札し手に入れておいたんですね。

回復後はしばらく平穏な状況が続いてたものの…暑さが本格的になった今年8月上旬症状が再発。
今度はダッシュボードを叩いてもモーターが回り出さないため助手席のグローブボックスを外し剝き出し
にしたモーターを直接叩いて動かす荒療治を車で出掛ける度に毎回繰り返すという状態に至ります。

赤い丸の所を数回叩くとモーターが回ります。一度回り出すと止まらないものの出先でエンジン切ると
回らなくなるので再度叩いて起こさなきゃいけないため一度の外出で3~4回叩いたりしてました。
そんなこんなを繰り返しながら今回の点検入庫まで延命させてた故に交換した後は半端なく快適です。

寿命が近づいてた愛車のブロアモーター交換が終わり夏から続けてた「剝き出しのモーターを
エンジン始動時に叩いて回す」というイレギュラーな状況から解放されました。冷房でも暖房でも
エアコンのスイッチを入れるだけで風が出るという当たり前の事がこんなに快適で有難いんだと
しみじみ…
というかモーターが製廃 (製造廃止)になってなければここまでギリギリに部品交換を引っ張ら
なかったので旧車あるある的なエピソードとも言えますけど。

(2023.11.)

先日パーキングへ停めてた時に海外の観光客から「amazing!」と驚かれた車齢約30年の愛車ですが週明けに
ちょっとしたトラブルに見舞われました。
都心ドライブを終えて食糧買い出しの為スーパーの駐車場へ停めエンジンを切ったら…何とブレーキランプが
消えずに点きっ放し。ハイマウントストップランプも点いてるのでスイッチで操作する通常のテールランプ
じゃなくブレーキペダルを放すと消えるはずのブレーキランプです。
ランプ点きっぱなしのまま買い物は出来ないので買い出しは中止、そのまま駐車場から車を出し帰宅しました。
運悪く翌日はディーラーが休みでどこが悪いのか調べてもらう事が出来ず、ダメ元でスマホを使い検索したら
簡単に原因が判明。

故障原因はブレーキペダルの根元に付いてた部品、ブレーキペダルを放した時に連動しながらブレーキ
ランプを消すスイッチを押し込む「ブレーキペダルストッパーラバー」が破砕した事。
スーパーから帰宅後に確認した際、木っ端微塵になった部品が運転席の足元でネットの検索写真と同じ
ように散らばってました。
そして幸いにも自分で直せる案件である事、純正部品がAmazonで購入出来る事も同時に判明したので
速攻で注文。
散らばった破砕部品を集めて復元。元々は丸かったのがわかります。
とりあえずランプがエンジンを切ってても点いてる為、バッテリー上がりを防ぐ目的でブレーキランプ担当
のヒューズを外し部品の到着まで待機。

そして翌々日に部品到着。
運転席に潜り込んでペダル付け根に新しいストッパーラバーをハメ込みます。
 

ヒューズを元に戻して完了。ペダルを踏んだ時だけブレーキランプが点く、という普通の状態になりました。
車種を問わず車齢が10年を超えた位から発生し始めるトラブルみたいなので皆さんお気を付けください。

(2023. 7.)

法定点検に出してた愛車が予定より早く家に戻ってきたのでさっそく都内をドライブ。

今回タイヤも交換して新しくなりました。メーカーは最初の愛車だった「三菱スタリオン」も履いてた
ミシュラン一択。
 

余談として愛車後方の青い丸の中に写ってるのが昔スタリオンから外したフェンダーミラーです。
 

そしてその下にある黒いホイールはひとつ前の愛車「S13型シルビア」の鉄製ホイール。樹脂製の
ホイールカバーを走行中に1個落として仕方なく社外アルミホイールに変えたとき外した物です。
以上愛車歴史遺産コーナーでした。
 

という事で、 都内を車で頻繁に走ってると運転の仕事をしてる人並みに公衆トイレの場所にも詳しく
なったりするのですが、とりあえず最近印象に残ったのは代官山駅近くにある公衆トイレ小便器の上
に書かれてた「渋谷はキング交通のシマ」という落書きでした。(キング交通は足立区に本社がある
タクシー会社です)

(2023. 5.)

先日の2023年4月1日、自分の愛車でもある「日産180SX」が34回目となる誕生日 =発売開始日を迎えました。
S13型シルビアの兄弟車として北米から凱旋、1989年4月1日に日本の公道へ登場してから遥かなる年月が経過…

何度も書いてますけど家の車は1994年型で人に例えたら来年ちょうど30歳。昨年秋にエアコンの風を送る
ブロアモーターが一度不調になったものの何時の間にか回復、今のところ至って元気。
発売当初はデートカーコンセプト、後にドリフト走行等の走り屋系クルマに変化したのはシルビアと同じです。

デートカーコンセプト時代に買ったAT車なわけですけど最近は家電ばっかり運んでますナ。

こちらはデートカーとして使ってた頃。(ボカシ入れたし何より四半世紀以上前の写真なので大丈夫という事で)
因みに場所は湘南海岸沿いに当時あったマクドナルドの駐車場です。湘南も久しく行ってませんがグーグル
マップのストリートビューで調べたら後にマックのあった建物はファミレスのココスになりコロナ渦が発生した
2020年に閉店、2022年12月のストリートビュー画像でもテナント募集中のままになってました。
余談として車が写ってる当時マック専用だった駐車場は現在「三井のリパーク」になってますが敷地の間取り
はそのままです。

(2023. 4.)

2021年4月1日に愛車「日産180SX」が32回目の誕生日を迎えました。北米からの凱旋車として国内販売が発表
されたのが1989年3月15日、そして4月1日に発売が開始。それ故に3月15日を180SXの誕生日と考えてるオーナー
の方も多くいらっしゃいますが自分は販売が開始され日本の道路に初登場した4月1日が誕生日だと考えてます。
悪友から「クーペの箱を載せたSUV」と言われるフルノーマルのAT車、もちろん分類番号は2桁。

余談ですけどトリビア話を一つ。女優の伊藤かずえさんが長年乗ってる初代シーマを日産がレストアする話題が
ニュースになりましたが、実は初代シーマと180SXのデザインを担当されたチーフデザイナーは若林さんという
同じ方です。因みに兄弟車で昔の愛車だったS13型シルビアのデザインを担当されたのは長野さんという方で
現行のZ34型フェアレディZも担当されてます。

(2021. 4.)

2021年元旦。大晦日にコロナ感染者4桁突入を記録した東京の新年が明けました。
「年越しそば」は麺類繋がりという事でラーメンを帰宅前のコンビニで購入。自分は若い頃から「この世の
終わりが来るとして最後の晩餐は何が食べたい」という質問があると必ずラーメン&ステーキと答えてた
奴でありまして…
とりあえずステーキではないものの年末の数週間連日のローストビーフ三昧を堪能、そして大晦日には
年越しラーメンを食したという事で今年もし世界滅亡が起きても何も悔いは無いのでした。
(ちょっと言い過ぎ)

年明けまで3時間を切った12月31日午後9時過ぎ、年越しラーメンを買ったコンビニの前で2020年最後の
愛車撮影。登場は1989年でうちのが1994年型、完全に30年前の車種という事になります。
またタマ数の急激な減少により現存車価格が高騰中で状態が良いと新車時の倍以上する値段で取引き
される車にもなってます。
投機目的で買った訳じゃないので手放しませんけど、この車の場合愛車のようなフルノーマルはほぼ
皆無なので一体いくらになってるのか…。
自動車関係の大きなイベントもコロナの影響で軒並み中止、ウィルスの猛威が収まらず年明け後も自分の
大好物な旧車イベント含め再開は期待出来ません。と書きながらよく考えたら自分が今乗ってる車が既に
イベントで展示される側の世代だったというオチでした。買物ついでのドライブという名目で週に数回、
旧車の現役走行が行われてるので昔の車が好きな東京近郊の方は運が良いと遭遇するかもです。
稀有な存在というか希少なクルマ故、見かけると幸せになれますよ。(青い鳥とか四つ葉のクローバーかい)

そして毎年やらかしてる事ではありますが年末年始は退廃的な生活に拍車がかかり大晦日からほぼ昼夜逆転、
昼生活に戻そうとした甲斐もなくダラダラのまま正月三が日が過ぎてしまいました…でもそんなだらしない
自分が好きです。

1月2日夜、起床後(!?)に買い出しへ。午後9時過ぎ再びコンビニの前で2021年最初の愛車撮影、今回は
ライト点灯状態で撮りました。かつて夜は不細工になると言われたリトラクタブルランプですが今は若い
女性からカエルみたいでカワイイと高評価を頂く時代になりました。

(2021. 1.)

お盆休み恒例の都心ドライブは実施しませんでしたが梅雨明けにせっかく洗車したしという事で、ある場所まで
買い出しついでに愛車をころがしてきました。
因みに芝浦へ到着して最初に撮ったこの写真ですが、愛車の横に写ってる白い壁のビルはバブル経済末期
(正確にはバブル崩壊直後)に一世を風靡した伝説のディスコ「ジュリアナ東京」が入ってた第3東運ビルです。

今回の目的は港区芝浦の旧海岸通りに架かる竹芝橋という橋の上から…

こちらの風景を写真に収める事。

ここは1980年代前半に自分がハマってた刑事ドラマ「西部警察」のロケで後に伝説となった
究極のカースタントが行われた場所です。
1981年秋、この運河を日産のフェアレディZが約30メートルの大ジャンプで越えました。

このスタントはパート3まで続いたシリーズのパート1第104話「栄光への爆走」のワンシーン
で撮影され、その後シリーズのオープニング画面に使われました。ロケから約40年が経過して
ますけど今回撮った写真でも確認できるように向かって左側のオフィスビル (大友ビル)が
現存してます。


余談ですが愛車の走行距離計は17万2千キロに到達、ただ15万キロでエンジン交換してる
ので実質2万2千キロ。そして今も壊れずに良く冷えてくれる車載エアコンはデジタル表示
のオートエアコンです。この車が発売されたバブル期頃から高級車以外の車種にもオート
エアコンが搭載されるようになりました。

(2020. 8.)

朝から食糧の買出し、自粛要請前からスーパーは3日に1度です。せっかくなので帰りに少し遠回りして
ある場所へ。
ちょうど夏タイヤ交換時期の直前にディーラーへ行けないまま緊急事態宣言が出てしまったのでまだ
スタッドレスで走ってます。

池袋のサンサャインシティに近いこの場所、実は20年前放送してたテレビドラマのロケ地なのです。
右端の写真の青い丸の位置にドラマで使われてた建物がありました。

そのドラマは「池袋ウエストゲートパーク」。そして20年前この場所にあった建物とは長瀬智也が演じる
主人公「まこっちゃん」こと真島誠の実家、果物店の「真島フルーツ」です。
余談として脚本は先日コロナの感染から無事生還されたクドカンこと宮藤官九郎氏。クドカンというと
NHKテレビ小説の「あまちゃん」を思い浮かべる方が多いと思いますが自分はこちらの「I.W.G.P」。

地元とは言えない距離ですが自宅から自転車で行ける所 (小学生の頃から友達とこの辺で遊んでました)
なのでロケをやってた事もリアルタイムで知ってました。その後の都市開発で街が変貌を遂げ、今現在は
青い丸の東京福祉大学池袋本館が無かったら同じ場所だと誰もわからなくなってます。

(2020. 4.)

2020年1月2日、年明けの早朝都心ドライブに行ってきました。1994年型の愛車は昨年誕生からちょうど
25年の節目を迎え今年からは遂に車齢が四半世紀を超える26年目に突入します。
オリンピック開催を控え普段以上に街の変化が進んでる東京ですが、今回は今まで定点観測のように
何度か巡ってた場所がどうなってるかを見るルートで出発。

まずは代々木会館ビル「跡地」へ。昨年の夏から解体が始まった建物はその姿を完全に消してました。







こちらは2015年11月に撮った写真。

2016年1月の早朝都心ドライブでも訪問。









取り壊しが決まったのを知って久々に出向いた2019年5月。





そして8月1日の解体開始に向けて閉鎖準備に入った2019年7月。名作ドラマ「傷だらけの天使」のロケ地
で時折り「傷天ファン」「傷天マニア」が訪れては建物を撮影、主人公の修と亨が住んでる設定だった
屋上ペントハウスへ侵入しようとして捕まる人も出たファンの聖地。
また昨年は劇場アニメ「天気の子」の重要な舞台として登場、建物が無くなる直前になって更に幅広い層
の訪問を受ける事になった建物でした。









次に向かったのは昨年11月に完成した新国立競技場。今年のオリンピックでメイン会場になる新しい
東京のランドマークです。

2018年3月の新国立競技場。

こちらは2019年3月。

あまり人が多くならないうちにあと2~3ヵ所巡りたかったものの新国立競技場で時間をかなり使ってしまい
とりあえず帰路へ着く事にしましたが…その前に昨年夏の醜い猛暑で溶けてしまったビルに寄りました。

見事に溶けてます。

当たり前ですが嘘です、10年以上前の竣工時からこの形です。このグニャグニャなビルは銀座中央通り沿い
の「銀座2丁目」交差点近くにあるV88ビル。銀座のド真ん中にある建物なので知ってる人は知ってる変わり種
ビルなのですけど…しかし何でこんな形にしたんだ?

2020年1月4日、2度目の年明けドライブに行ってきました。今回は2日に時間切れで行けなかったある場所
へ直行。

そこは港区にある一見何の変哲もない公園ですが…実は縄文から弥生時代にかけての遺跡です。

発掘調査で見つかった竪穴式住居の跡や貝塚の一部を切り取った展示等、考古学的な価値も高いと
思われる遺跡の数々が無料で見られる凄い場所が都心のド真ん中に存在。例えるとしたら静岡にある
登呂遺跡のミニ版みたいな感じ?

埴輪や土偶をモチーフにした説明プレート。









そして公園の奥へ進むと復元された縄文時代の住居がありその中には当時の生活を再現した展示も。
囲炉裏の炎が照明で揺らいでたり公園の施設とは思えない程の本格的な作りになってます。

一通り見学したあと公園の入り口で愛車の写真を数枚撮影して帰路に。という事で「はとバス」等では巡らない
ディープな東京観光でした。

(2020. 1.)

四半世紀前の車となる愛車の180SXですが今年も12月に入ってすぐスタッドレスタイヤに交換しました。
旧車イベント会場に出店されてた業者さんから買った日産の純正ホイールを昨年からタイヤに装着したまま
交換するようになったので作業時間が大幅に短縮。
兄弟車のS13シルビア共々「軽量で後輪駆動でしかも安価」だった故に後年はスポーツカーの扱いを受け改造
やドレスアップを施す素材車になった為、適合する純正部品はカスタムした後の処分品的な価値になり需要の
低さから場合によっては格安で手に入る事もあって…実はこの純正ホイールも4本セットで1万円 (当時消費税
8%で計1万800円)にて購入しました。
余談として日産に新品の在庫があれば仮に10万以上しても買うつもりでいましたが販売店から部販に問合わせ
をしてもらったところ既に製廃という事で、仕方なく私的に探したら幸いにもこの格安購入に繋がりました。

S13系の持病とも言われた経年劣化から出るダッシュボードのヒビ割れも室内保管により皆無です。
走行距離は16万8千キロをメーターは指してますが、15万キロでエンジン交換してるので実質走行
は1万8千キロ。そして今現在この車種としては天然記念物的な存在となったAT車…しかし、

現行生産されてた当時はカタログの室内紹介写真に見るとおり、基本ゆったりとATで流す仕様の
スペシャリティカー世代。まあ啓蒙する程の事ではないですけど「正しい歴史認識」はこちらです。

余談として純正ホイールが安く手に入った話題のところで書いたようにシルビアと180SXのS13系は
「軽量・後輪駆動・安価」とスポーツ走行の為に生まれてきたような条件を備えてる車なのですけど…
上記したスペシャリティカー世代車だからという事と関係してますが本来はスポーツカーとして扱って
はいけない車だという事を近年あまり知らない人も増えました。(念の為ですが若い方がスポーツカー
として走らせ遊ぶ事自体は否定しません)
何故かと言えばS13は助手席側のメインフレームが途中で切れて後まで繋がって無いので元々が
攻める走り方に向いてないからなのです。

こちらは運転席側を下から撮った写真。一直線にメインフレームが車体を横断してます。青丸に注目、

助手席側です。運転席側の青丸に相当する位置から先がありません。これによりS13は無茶な走り
をすると思いっ切り車体がねじれます。(180SXの場合最悪ハッチバックゲートが閉まらなくなります)
それ故に助手席側のメインフレームを後まで伸ばすスポーツ走行用の後付けパーツも発売されたり
しました。
因みに日常の街乗りでは特に問題ありません。逆に建物の地震対応でガッチリ固めた耐震構造
に対しての免震構造のごとく少し大きな負荷が加わった時はここから力がうまく「逃げてる」のでは
と思う程、四半世紀が経過してる車の割には下回りがあまりヘタってないように感じます。
ある意味軽薄だった1980年代、デートカー市場真っ只中で生まれたS13型は車体剛性の高さより
「しなやかに」走る事を優先して作られたスペシャリティカー世代だったが故、スポーツカー的外観
とは裏腹のこんな「ユルい」作りで世に出たとも言えますね。(剛性の低さで下回りがヘタらずに
車体の寿命が伸びてるとしたらそれは想定外な話ですが)

(2019.12.)

都内の道路がガラガラになるお盆休みの都心ドライブに出てきました。今年は大型台風の影響が懸念
されましたが悪天候はギリギリ回避。
普段からオイルを回す目的を兼ねて都内を数十キロ流してますけど、この時期は100キロ前後の距離を
23区から出ないまま「無目的に乗り回す」という自分にとって最高の贅沢を堪能できる貴重な期間です。

定期的にエンジンを回し一定の距離を走らせる事で旧車はコンディションを維持します。総走行距離の
メーターは16万5千キロを指していますが2年前15万キロでエンジン交換したので実質は1万5千キロ、
走行距離の増加も新車並みに気にならなくなりました。
余談としてリトラクタブルランプを昇降させると若い子が驚く事がここ数年で増えてるんですが、よく考え
たら近年はリトラクタブルを見なくなったというより「リトラクタブル自体を知らない」世代も増えてるという
事なんですね。

思いつきで中央分離帯の草むらを手前に入れて撮ったら何だか模型っぽい写真に。因みに今回の
撮影場所はトイレ休憩と飲み物補充で立ち寄った「暁ふ頭公園」がある東京湾の青海埠頭です。

(2019. 8.)

「SUPER GT 2019」のパブリック・ビューイングを観戦するため横浜の日産ギャラリーに向かう途中、
ある場所に寄り道しました。

それは横浜を舞台にした刑事ドラマの名作、「あぶない刑事」に登場したバーの「ポーラスター」と
「スターダスト」。今風に言えば聖地巡礼というところでしょうか。

若い方にはゴールデンボンバーのシングル曲「女々しくて」のPVに使われた場所としての方が有名かも。
PVでしか知らない人向けに説明すると建物は舞台セットじゃなく実在する由緒ある老舗バーで今も夕方
から夜にかけ開店、営業してます。

愛車を前に置いて撮影。因みにバーの左側はすぐ橋になっていて、その先には在日米軍の港湾施設
「横浜ノースドック」があります。2018年4月には貨物船でやってきた横田基地配備のCV-22オスプレイ
が5機先行で陸揚げされ、横浜ノースドックから直に離陸して横田へ向かい話題になりました。
2000年代に入ってから返還された一部のエリアは横浜市の管轄になってますが基本的に今も関係者
以外立ち入り禁止です。

前回訪問した時の写真。2010年11月なので9年近く前、てか東日本大震災が起きる前だったのか…

その後写真を何枚か撮ってからギャラリーへ向かいました。

(2019. 8.)

先日神田を走行中、愛車のフロントガラスに何かが当たり信号待ちで確認したらバッタでした。
という事で帰宅途中に遭遇した季節外れのトノサマバッタをガラスに付けたまま自宅に到着。夕飯を
食べたあと数時間後にガレージを覗いたらフロントガラスにまだそのまま…

翌日の朝に見たらいなくなってたので周りを探すとガレージ脇に置いてた段ボール箱の上に。とりあえず
驚かさないようそっと捕まえて庭へ放したら元気に草木の中へ消えていきました。

(2019. 3.)

3月下旬、来年の東京オリンピックに向け全面建替工事中の新国立競技場を久々に撮影してきました。

(2019. 3.)

以前に記載した目黒にある「日の丸自動車教習所」壁面の巨大な球体オブジェ。

日の丸をイメージしたこの真っ赤なオブジェを久しぶりに買い物ついでのドライブで見に行ったら、
2020年東京オリンピックの仕様に模様替えされていました。

という事で上記の赤い球体だった時の写真を最初に撮ったのは2016年5月、そこから約3年が
経過してますが車は同じです。
1994年型の愛車は今年でちょうど四半世紀、生産年度を誕生日とするなら25歳。2年前に交換
したリビルトエンジンが慣らしを終えた新車のように馴染んだ事で3年前より好調になりました。
因みに1994年はこの教習所のすぐ近くにある「恵比寿ガーデンプレイス」がオープンした年です。

そして4月1日には180SXが車種として登場した1989年から遂に30周年を迎えます。同年暮れに
日経平均株価が約39000円という日本史上最高額を記録した年に誕生した「バブルの申し子」。
好景気の中で高品質な部品が選択されしっかりと作られてた事も関係してるのか四半世紀の間
に大きな故障は数回だけで今のとこ至って元気ですが、これから先あとどのくらい変化を続ける
東京の街を車に見せてあげられるんだろう…
参考として180SXが世に出た1989年は「横浜ベイブリッジ」が開通した年でした。




余談ですが1989年の段階だと東京のレインボーブリッジはまだ未完成。狂乱のバブル期東京
を題材にした映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の中で、主役の広末涼子がタイム
スリップする「建設中のレインボーブリッジ」が出てきたバブル時代シーンが1990年の設定です。

(2019. 3.)

夏タイヤからスタッドレスへの交換時にホイールからタイヤを外さず交換が出来るよう昨年のNYM会場でブース
を開かれてた業者さんから購入した日産純正アルミホイール。

先週末スタッドレスタイヤをハメ込んで初めて装着しました。

このホイールはS13シルビア & 180SX以外にもR32型スカイライン、C33型ローレル、A31型セフィーロにも当時
装着され日産の純正ホイールとしては結構メジャーな部類になります。ただ現行から約30年が経過してるので、
これから先はどんどん入手が難しくなってくかもしれません。

低くスラントしたノーズにリトラクタブルヘッドランプ、衝突安全や各種保安基準変更など諸般の事情から
こういうデザインの車はもう発売される事はありません。ただ新しく作る事は出来ませんけど「現存してる
車を現行で乗る」のは問題なし…正に既得権。
余談として若干言葉に語弊があるかもですが法規は時々面白い結果を生む事があるもので、例えば
もっと古い車でシートベルト着用が法制化される前に作られた「ベルトそのものが無い車」をノーマルで
乗る場合どうなるか…答えは無ければ出来ないので「しなくてもお咎め無し」なんですね。

(2019. 1.)

愛車が12回目の車検から戻って来ました。今回は修理箇所が発生してハイキャスシステム(4輪操舵)を
含めた足回りの部品を複数交換。てか車の年式から考えたら、昨年のリビルトエンジン載せ替えもそうですが
修理と言うよりレストアにある意味近くなってきてるかもしれません。

フロントガラスには正規シールが届くまでの暫定書類、「保安基準適合標章」が貼ってあります。こちらも
毎回恒例となりました。

(2018.11.)

寒暖差が激しい今の時期、何度も風邪気味になっては一旦回復してぶり返すの繰り返し…本当に油断
出来ません。真冬に一度も風邪をひかず春先の花粉症とも無縁で自分の体力を過信し始めたとこだった
ので警鐘を鳴らされた感じかもです。

体調が回復したので24時間営業スーパーへ早朝から買い出しに。後部座席に買った物を置ける4シーター
の2+2クーペは最低限の実用性を備えています。
(レジ袋の山。むちゃくちゃ写真の見映えが悪い)



そのまま車を都心に走らせ建替工事中の新国立競技場を約1ヶ月ぶりに撮影。外観はあまり変化無し?。

もう一ヶ所撮影したのは太いパイプのような屋根付き陸橋。 こちらは正月のドライブで撮影した
「トンネルであってトンネルではない乃木坂トンネル = 南青山陸橋」を横から撮った写真です。

下に車が走るパイプ状の屋根付き道路は間違いなく陸橋ですけど入口側から見るとやはりトンネル…?

(2018. 4.)

2020年東京オリンピックに向けて全面建替工事中の新国立競技場、ここまで出来上がってきました。

急ピッチで建設が進んで着々と完成に近づいてるものの工期が約1年しか残ってないので間に合うか
少しハラハラします。

(2018. 3.)

2018年1月2日、恒例となった年明けの早朝都心ドライブに行ってきました。まずは池袋から新宿、そして
渋谷、恵比寿、代官山を経由する定番のルートを走りましたが、昨年の元旦に沢山写真を撮ってるので
車から降りずそのまま通過。

その後再び渋谷に戻り原宿から表参道を抜け有名ブランド店が連なった青山の「みゆき通り」へ。そして
みゆき通りの左カーブを道なりに進んだ先の「青山橋」で停車し今年初の写真撮影。因みにここは定期的
に都内を流すようになってから初めて愛車や風景写真を撮った場所です。

その写真が下の4枚で撮影日は2006年5月4日、実に12年前ですけど車は同じ。東京ミッドタウンがまだ
建設中でクレーンが載ってます。1994年型で今年24年目となる愛車ですが、車の生誕から干支が一回り
したちょうどこの頃「年式を重ねた車はエンジンを一度かけたら数キロのチョイ乗りじゃなくある程度走って
しばらく回したほうが良い」と車関連の雑誌で読み、それから買い物ついでの都心ドライブを始めました。










青山橋からそのまま進むと乃木坂トンネルが現れます。青山と赤坂を繋ぐこのトンネル、実はトンネルで
あってトンネルではありません。後半部分はトンネルらしき状態になりますが写真の入口は道路が下を通る
「南青山陸橋」。半円のドーム屋根で走る車がトンネルに入ってくような錯覚を起こすという感じです。

陸橋なのが分かってて何故最初からトンネルと書いたかというと、地上へ出る事なくそのまま繋がってる
赤坂側の出入り口にしっかり「乃木坂トンネル」と記されてるから。確かにこっちから入ったらトンネルですね。

こちらは東京ミッドタウン。ここが市ヶ谷へ移転する前の防衛省(旧防衛庁)だったのを知ってる人はどの位
いらっしゃるでしょうか。





昔撮った同じ場所の写真 (2007年2月25日撮影)では工事用のプレートがまだ張られてます。

そして六本木を経由し「東京タワー」へ。

東京タワー、正式名称は「日本電波塔」です。スカイツリーが完成した今も東京のシンボルなのは永久不変。
余談ですが時として都市伝説的に語られる事が多いフリーメーソンという結社があります。「バベルの塔 =
アメリカの合衆国紋章裏側に記された未完のピラミッド」を建造した石工の集まりを紀元 (諸説あり)に持つ
とされる団体で世界中にロッジと呼ばれる支部があり、実はその日本支部が入ってるのが東京タワーの隣
にあるメソニックビル。と、ここまでだと単に隣にあるだけで話が終わってしまいますが…
メーソンにとって特別な意味を持つ数字は「33」です。アメリカのホワイトハウス近くにある本部寺院を囲む
柱は本数が33本、その柱の高さは33フィート、住所が1733番地と全て33という数字に絡めて作られてます。
そして東京タワーは昭和33年完成、高さは御存知のとおり333m…(数字の話は事実ですがこれもあくまで
都市伝説です)





次に向かったのは「グローバルゲートウェイ品川」という再開発計画が具体化してきた事で消滅の現実味
がいよいよ増してきた都内屈指の天井が低いガード下、「高輪橋架道橋」。
実はここで写真を沢山撮り過ぎて整理に時間がかかりました。(再開発工事が始まり、いつ閉鎖され通れ
なくなるか分からないので)

まず入る前に愛車の写真を数枚。

その後ガードへ向かいます。

交通量が早朝で少なかったので途中停車して記念撮影。因みに愛車の車高は1m29㎝。

そしてもう少し進むと…ここからが本番、何と中で更にもう一段低くなるんです。ガードへ入る前の
段階でミニバンやSUVは全滅ですが、ここまで来ると普通のセダンでもギリギリ。

もう一度書きますが愛車はスポーティクーペで一般的な車よりは車高が低い1m29㎝です。

ついに出口。交通量が少ないながらもタクシーが抜け道に使う道路なので、実は後続車が来る度に
一旦出てここまでの写真を撮るのに周回しながら3回ガードを通りました。

高輪のガードで結構時間を使ったので夜が明けてしまい、そこそこ交通量も増えてきたので撮影
しながらのドライブも終盤です。こちらは完成してから初めて写真を撮る銀座6丁目の「GINZA SIX」。













昨年元旦に撮ったオープン3か月前の写真と3年前の更地で何もない写真を今現在と比較。
 

そして締めは日産の銀座ショールーム「NISSAN CROSSING」前で。この撮影を最後に帰路へ着きました。









(2018. 1.)

9月下旬に豊洲埠頭で撮った愛車の写真。しばらくスマホに入りっ放しになってたのでPCへ移しました。

今回愛車を撮った場所からは整備中の豊洲大橋が見えます。豊洲大橋は2008年に本体が完成したあと未整備
のまま約5年間放置され、2020年のオリンピック開催地が東京に決定した事をきっかけに工事が再開。今年2月、
選手村建設の工事車両限定で暫定的に開通しました。

こちらは橋の真正面。

同じ場所で2015年1月に撮った写真と比べるとかなり眺望が変わってます。


(2017.10.)

愛車が戻ってきました。リビルトエンジンなので見た目は交換前とあまり変わりませんが走らせると
全然違います。異音が消えエンジン回転も快調そのもの。これからお盆休みで都内の道路は何日か
ガラガラになりますが、今年は連日天気が悪いみたいなので恒例にしてるこの時期の都心ドライブ
をどうしようか考え中。

2017. 8.

20年以上乗ってきた愛車ですが走行距離が約15万キロに達したのを機にエンジン載せ替えを
実施します。



6月中旬、走行距離が149000キロになってたのでスマホ撮影。

今のエンジンで最後のドライブと称し先週出向いた東京湾の「暁ふ頭公園」。国内の衝突安全基準変更や
近く実施される夜間ヘッドライト自動点灯の新車義務付け、北欧やカナダ等の霧対策による昼間も含めた
ヘッドライト常時点灯法制化でリトラクタブルヘッドライトのようなライトを格納する車の意義が実用性
だけを考えれば皆無となり、未来永劫こういう形の車は作られる事が無くなったので更に手放せなく
なりました。

当然ですが1994年型の愛車は新品のエンジンがもう製造されてないので交換するのはリビルト(新品と
同等までに分解整備した中古エンジン)になります。

余談として日産のモータースポーツ部「ニスモファクトリー」ではカスタマイズチューンされた
R34スカイラインGT-R用RB26型コンプリートエンジンを今も販売中です。とりあえず値段が一桁違う…
てかエンジン単体が15年前のR34現役時代新車価格並 (500~600万)なのでビックリ。

(2017. 7.)

2017年1月3日、恒例? となった年明けの都心ドライブへ早朝から行ってきました。どこも週に1~2回は
通ってる場所ですが普段は人や車が途切れずなかなか写真を撮りにくいスポットなので、東京の人口
が一番少なくなるこの時期に各地を巡りながら撮影。

まずは自宅から山手通りを使って南下し代官山の東急東横線渋谷1号踏切「跡地」へ。

東横線地下化完了から1年半の2014年夏に写真を撮った時は線路の跡もまだ残ってて工事中でした。
ずっと踏切があったのが当たり前の場所だったのでここの変貌ぶりは今でも不思議な感じです。

因みに自分的にこの場所が印象深く残ってるのは昔作られたテレビ番組の1シーンで、それは1989年に
放送された中山美穂主演「君の瞳に恋してる!」というドラマ。とりあえず倉庫に眠ってたビデオを出してきて
久々に再生したら…懐かしいの域を越えた映像の数々で言葉がありません。当初踏切の映像目当てで
出したビデオでしたが結局全部観てしまいました。


上の写真との比較でわかりますけど道路横の壁は30年近く経った今も当時のままです。主人公の女子大生役
だった中山美穂が踏切で人にぶつかりコンタクトレンズを落として探してたところに車で通りかかった石田純一
扮するプレイボーイ役の男が一緒に探してくれて主人公が一目惚れするという、これまたコテコテな展開。
余談ですがタイトル名の元になった1982年リリースのボーイズ・タウン・ギャングの楽曲「君の瞳に恋してる」
は後に作られた映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の主題歌に使われ、バブル期のイメージソング
みたいな感じになりました。

しかしまあ当時の中山美穂が可愛いかった…何はともあれ約30年前に録ったビデオが現存し簡単に
タイムシフト出来るというのは感慨深い物がありますナ。

代官山を後にし恵比寿ガーデンプレイスへ。ここも週に数回は通る場所ですが、実は彼女がいた頃に
デートで来て以来一度も車から降りて中を散策していません。

次は渋谷交差点。早朝で殆んど人がいない中、オールで遊んだ後と思われる若いお姉ちゃんお兄ちゃん達
に注目されながら車道に出ての撮影。
様々な事情から二度と登場する事がないであろう「リトラクタブルヘッドランプ」という機構を持つ愛車ですが、
自動車に興味が薄く尚且つこの仕組みを完全に知らない世代の子ほど走り出す際や停車する時にライトを
上げ下げすると本気で驚いてくれる事があり運転手はそれを勝手に楽しんでます。
街でほぼ見かける機会が無くなったが故に、かつてスーパーカー世代だった自分がカウンタックのリトラを
初めて見た時のような驚きとある種の新鮮さがあるのかもしれませんね。

その後青山通りを使って都心を縦断、三宅坂から内堀、晴海通りへジョイントし銀座方面へ。途中で
数寄屋橋交差点に面した角地に昨年3月オープンした「東急プラザ銀座」ビルを背にした車を数枚撮影。





そして銀座。昨年秋リニューアルオープンした日産の銀座ショールーム「NISSAN CROSSING」前でやっと
愛車の写真を撮れました。上記の渋谷もそうですけど、銀座も普段は人混みが凄すぎて停めた車の撮影等
はなかなか至難の業…な場所です。

















銀座4丁目交差点から6丁目へ向けて車を転がし数年前まで松坂屋だった場所へ向かうと…そこには
今年4月オープン予定の巨大な建物「GINZA SIX」が。しかし本当にデカい。








因みに2年前はまったくの更地で空がやたらと広かった…

最後にいつもの汐留シオサイト5区「イタリア街」、久々に車を円形広場ド真ん中へ置いて撮りました。

(2017. 1.)

御盆で東京の道がガラガラになった8月13日、毎年恒例にしてる都内周遊ドライブに出てきました。
都心をスイスイ悠々自適に走れるのは年末年始とこの時期だけです。ただ車の数そのものが減少
してるのか昔に比べたら普段でも都内の交通量が若干減ってるような気も…

ここぞとばかりに都内あちこちを自由に走り回った後、お台場の先にある青海の突端へ。ここには
海に面して「暁ふ頭公園」という小さな公園と無料の駐車場があるので気軽に車を停めトイレ休憩
や飲み物の補充等が出来ます。

遠く海の先には東京ゲートブリッジというロケーション、岸から手すり越しに海釣りをしてる方も結構
いらっしゃいます。自販機でコーラを買って戻ったら車の中がサウナの様になってました。

「暁ふ頭公園」の場所をP3Dで示すとこの赤い丸の所。

愛車を入れた写真を撮ってなかったので駐車場から出たあと一旦停車、後半の写真2枚では遥か先に
お台場のランドマーク的存在とも言えるフジテレビが見えます。

そして日が暮れてきた頃これも恒例?となった都内の珍名所へ。今年前半ペットとして猫が注目される
猫ブームがありましたが、それに因んでって事ではないものの「建物の壁面がそのまんま猫」の通称
「ネコビル」へ初訪問。
文京区小石川にあるこのネコビル、実は作家やジャーナリストとして著名な立花隆氏の事務所&資料庫
です。壁の猫は25年前にビルが建てられた時から描かれてて、猫好きの方やコアな隠れ名所好きファン
が時々訪れては写真を撮ってく (一部で)有名な場所となってます。

(2016. 8.)

愛車が6ヶ月点検から帰還です。今回老巧化した下回り部品をいくつか交換したので発注部品の
関係から水曜入庫で仕上がりが土曜日に。

車を受け取った後そのまま都内をしばらくドライブ。とりあえず無目的なまま車をころがしながら、
そう言えば年末の12カ月点検後はドラマ「傷だらけの天使」ロケ地のエンジェルビルへ行ったなと
思い出し今回も都内の珍名所へ寄ってみるかと向かったのが…
目黒から恵比寿へ抜ける道の途中にある「日の丸自動車教習所」です。一見普通のビルですが、
実はこの建物には「ある秘密」が。

それを見るため知る人ぞ知る裏道、本来は地元の人しか通らない私道へ向かいます。

目の前に現れるのは…"日の丸"

日の丸をイメージしたと思われる巨大な赤い球体が道路から見てビルの反対側、教習所の
練習コース側に飛び出した状態で貼り付いてます。ビル前の道路側からはこの球体が殆んど
見えませんが山手線の車窓や近くの陸橋からはよく見えるので、初めて視界に飛び込んで
きた時に何だか判らず驚いた方は結構いるかもしれませんね。実際近くで目の当たりにすると
かなり凄い光景です。

(2016. 5.)

愛車を法定6ヶ月点検で入庫してきました。入庫前その準備で車内を整理してたらセンターコンソール
に「眠眠打破」が3本入れっ放し…すっかり忘れてた。

こちらはセンターコンソール前方の「ノースモーカーボックス」、車の購入後に追加で買った「灰皿を
小銭入れにする」ディーラーオプションです。
余談ですが先日タバコを吸う友人にマイルドセブンが近年「メビウス」という名前に変わった事と、
今年4月から一箱440円に値上がりした事を聞いてビックリ。
以前も同じ事をしましたが1日2箱吸うとすると1年で440×2 =880円の365日で32万1200円…と
タバコにかかるランニングコストをまた計算してしまい数十年前吸うのをやめた事に再び安堵。
(喫煙者の方には本当に恐縮ながら年間32万は金額的にやっぱデカい)
折りしも納税時期が絶賛到来中の自動車税ですけど数年前上記の友人から登録13年超で増税
になった愛車の税金を「維持費、高!」と言われ、「これは趣味車だから同じ遊行・娯楽にかかる
経費として考えた場合タバコの年間コスト (4年前だった当時は一箱410円×2で年29万9300円)
のほうが不経済だよ」と言い返し、ちょっと微妙な空気が流れた事がありました。

(2016. 5.)

先日リトラクタブルヘッドランプの車を特集した雑誌が発売されたので買ってきました。当初他の用事で
池袋へ出てたので帰宅前にサンシャインシティ内の本屋へ立ち寄って買おうとしたら売り切れ。どうしても
当日中に欲しかったので車をそのままお台場へ走らせトヨタメガウェブヒストリーガレージの車雑誌売場
へ閉店ギリギリに到着して無事購入。
1970年代の「スーパーカーブーム」で人気となった「ランボルギーニ・カウンタック」や「フェラーリ512BB」
等が揃って採用してたリトラクタブルヘッドランプ、そのため別名「スーパーカーライト」とも呼ばれてたり
しました。

現行所有の愛車「日産・180SX」や昔乗ってた「三菱・スタリオン」の他…

教習所通いしてる時に一番欲しかったA60型「トヨタ・セリカXX」、保存状態の良好なフルノーマル車が
あれば今でも欲しい同じくトヨタのA70型「スープラ」。

そして「日産・S13型シルビア」の登場までデートカーの王者だった「ホンダ・プレリュード」、登場した時
「行きつくところまで行った究極のデザイン」だと思った「スバル・アルシオーネ」等、最初から最後まで
リトラ三昧の一冊。この他にも日本車、外国車問わず沢山のリトラクタブルランプ搭載車が特集されて
るので興味を持たれた方はぜひ買ってみて下さい。

余談ですがこの本で特集されてない (輸入車特集の冒頭に小さく写真だけ載ってます)リトラクタブル
ヘッドランプ車を1台、かつてBMWのラインナップに存在してた「8シリーズ」です。昔はBMWもリトラ車
を作ってたんですね。(写真は4.4リッターV8エンジン搭載の「840Ci」1996年版カタログ)

(2016. 4.)

4月最初の日曜日、スタッドレスから夏タイヤへ交換してきました。

約60キロ走ると走行距離が14万キロに到達。今のところ至って元気です。

タイヤブランドの王者とも言えるミシュランを今現在夏冬の両タイヤで愛車に履かせてますが、
実は昔乗ってたスタリオンもミシュランを履いてたので (スタリオンはミシュランXVSを標準装備)
初めて買った愛車でミシュランデビューしていました。





(2016. 4.)

あるアンケート結果のランキンクが発表になりました。それは海外のサイトで
実施された「復活して欲しい絶版車・旧車ランキング」というもの。


そのランキングで3位のホンダ・インテグラ、2位のクライスラー・ジープ・ワゴニアを抑えた第1位が、




我が愛車の180SX (北米では240SX)だったのでビックリ。とりあえず嬉しいです。

こちらはオリジナルサイトのスクリーンショット。

昨年8月国内のサイトで「レストアしてお金をかけても乗りたい旧車」の1台に選ばれた時よりも驚きました。
ワイルドスピードその他の車をテーマにした洋画で主役を務めた事もなく、さすがに海外でそこまでの人気
があるとは思ってなかったので…

(2016. 2.)

2016年1月2日、毎年恒例「帰省先が無い東京人」の都内正月ドライブへ。

まずは渋谷、代官山、恵比寿方面を回ったあと代々木へ抜け、昨年出向いた日が曇りだった為、晴れた日
にもう一度行こうと考えてたTVドラマ「傷だらけの天使」ロケ地、代々木会館ビル (エンジェルビル)へ。
本当にいつ来ても時間が止まったような独自の雰囲気を漂わせてる場所です。
余談ですが後ろの高層ビルはNTTドコモの通称「ドコモタワー」。実はこのビルが作られてる頃は代々木方面
にまったく出向いてなく建ててるという情報も知らず、竣工して間もなく何の予備情報も無いまま初めてその
全体像を見たのは池袋サンシャイン60の展望台から。
突如その姿が都心に出現したように見えた自分はつい当時の彼女に、「何で東京にエンパイアステートビル
があるんだよ?」と言ってしまったのはマジな話。







代々木のガード下と踏切 (ここもまた風情あるんですナ)を抜けたあと環状5号(明治通り)から246(青山通り)
に入り赤坂を通って銀座も抜け、汐留イタリア街で愛車の写真を初撮り。自画自賛ですけど愛車のスタイル
は直線基調過ぎず曲線基調過ぎる事もなく、また保守的過ぎず前衛過ぎるわけでもないハッチバッククーペ
の王道なデザインだと思ってます。乗っちゃうと自分では見えないですけど買い物から戻って来た時その他、
駐車場にこの車の姿があると本当にワクワクするんですね。

(2016. 1.)

お台場トヨタ・メガウェブ内ダイキャストカーショップ併設の自動車雑誌コーナーで「ハチマルヒーロー」
最新号を購入しました。

「我が青春のリトラクタブル」って見出しはリトラクタブルヘッドランプが流行った時代ド真ん中の世代
にはたまりません。付録で2016年度のカレンダーが付いてます。

これから作られる車の「ヘッドライト自動点灯」義務付けが検討されてるというニュースが先日ありましたが、
もしこれが実施されれば開閉式ヘッドライトのリトラが作られる可能性は殆んどゼロになり (現時点でも北米の
法体系でほぼゼロですけど)、ますます現行所有の既得権が大きくなって手放せなくなります。今の若い方は
1980年代にどんな感じでリトラクタブルヘッドランプが流行ったのかまず想像がつかないかもしれません。

一番わかりやすいのはバブル前夜の1987年秋に公開された映画「私をスキーに連れてって」かもです。
「スキー」に「クーペ車」という当時のトレンドを体現した代表的な作品。
今なら「スノボ」に「SUV」ってところで、例えばトヨタの「ハリアー」や日産「エクストレイル」が活躍する
ような場面もすべてリトラクタブルヘッドランプ搭載の「クーペ型スペシャリティカー」なのです。

主人公の愛車はトヨタ「カローラⅡ」。夜出発する際ライトをパカっと上げると「これから出掛けるぞ」
って気分になります。

お気に入りの曲を集めたカセットをカーステレオにスロットインしての出発は1980年代の定番でしたが…
先日ネットニュースでカセットデッキを搭載した旧車に若い方を乗せたらカセット挿入口を「iPod」の
ドックと間違えて突っこみiPodを壊してしまったという話を読み、真偽不明ながら「今ならあるかもなあ…」
と思いました。

集まった車がすべてリトラクタブルヘッドランプという、現在ではまず見られない光景。

そしてフルタイム4WDの「セリカGT-FOUR」。この映画がきっかけでスキーブームに拍車がかかり
セリカGT-FOURも売れました。

余談ですが「私をスキーに連れてって」を制作したのは後に「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」
を作ったホイチョイプロダクション。そしてそのホイチョイ作品の中に以前も何度か書いてますけど
自分が一番好きな「波の数だけ抱きしめて」という映画があります。

そしてこの映画の中でヒロインに想いを寄せ最初は軽く後半ではマジに迫る、別所哲也演じる
広告代理店勤務の男が脇役で出てくるんですが…

実はこの登場人物の「ドヤ顔で出すゴールドのアメックス」が当時自分的にやけにハマってしまい
自分も作ってしまったという…ミーハー加減がハンパない話でスミマセン。
ベストセラーになった「見栄講座」という本 (実はこれもホイチョイプロダクション)の洗礼を10代後半
で受けたバブル世代の名残り的な行動でありました。

そしてテキトーな性格から今風に変節を遂げた所がありながら名残りもあり…ゴールドの上に
プラチナやセンチュリオンとステータスが高いカードが存在する中、とりあえずプラチナのinvitationが
何度も来たにもかかわらず、「年会費が上がるのに白金は金より目立たない」というある意味での
費用対効果、いわゆるコスパが悪いので作りませんでした。

(2015.12.)

12カ月点検に出てた愛車を受け取った後、そのまま都内の「ある名所」へ行ってきました。

それは新宿の隣、代々木駅すぐ横の代々木会館ビル。1974年放送の名作ドラマ「傷だらけの天使」
のエンジェルビルと書くと解る人出てくるかな…?

主人公オサム (萩原健一)と弟分アキラ (水谷豊)が住んでた屋上ペントハウスがあるその建物です。
何と2015年の今も現存してるんですね。

何度も通ってる場所ながらビルを写真に収めるのは初めて。天気があまり良くなかったので晴れた日
に改めて行こうと思います。
ペントハウスも現存してますけど倒壊寸前の状態。昔は屋上へ行けた頃も
ありましたが現在は住居不法侵入で捕まります。外から眺めるだけにしましょう。







(2015.11.)

先日8回目となる運転免許の更新へ行ってきました。場所は前回の更新、
5年前と同じく東京都庁です。






今までの免許証ですがこれだけ集まると殆んど自分史、右側の4枚でわかりますが昔はカードが一回り
大きかったのです。免許を取得してからずっと無事故無違反を24年間維持してたので (現在も無事故
は歴31年で継続中)ゴールド免許が途中に3枚はさまってます。

以前も書いた事ありましたがこの「無事故・無違反証明書」を申請してから間もなく「無違反」歴には
リセットをかけてしまいました。

教習所で受ける運転適性検査でA~E、5段階の総合評価最高点「5 A」を出したものの若気の至り
としか言えないような走り方をしてた頃も。
あの時代を思えば人間てのはちゃんと落ち着く (運転に関してだけですが)ものなんですね。

(2015.10.)

デロリアンが過去からやって来た2015年10月21日のタイミングでトヨタのFCV「MIRAI」が初の
アメリカ進出を遂げてデビューしました。YouTubeで観れますが映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
のデロリアンと同じ登場の仕方でドクやマーティも本人が出演してます。

EV= 電気自動車が予め充電した「蓄電池」で走るのに対し、FCV= 燃料電池車は充填した水素と
走行中取り込んだ空気中の酸素を化学反応させ「燃料電池」で常時発電しながらそれを動力源
として走ります。1回の水素充填にかかる時間は約3分で航続距離は600キロ以上、ただ肝心の
水素充填ステーションがまだ殆んど無いというのがネック。

モーターショー2015開幕寸前という事で車の話をもうひとつ。
自分が愛車として買った車は以前書いたように三菱スタリオンから始まりその後日産S13型
シルビアを経て兄弟車の180SX…という流れなのですが、ギャル受け度(今考えるとトンデモな
指標ですけど)で買ったシルビアを除き共通するのは「北米ターゲットのハッチバッククーペ
デザイン」とライトが昇降する「リトラクタブル・ヘッドランプ」です。
その他の昔欲しかった車もトヨタ・セリカXXやスバル・アルシオーネ、S12型シルビアに
ホンダ・プレリュードといったリトラクタブル・ヘッドランプをを持つ2ドアクーペの車ばかりでした。
(ホンダ・プレリュードは「ギャル受け度」ともクロスオーバーしてましたね)

そして何かにつけてアメリカ贔屓の自分にとってはリトラクタブル・ヘッドランプの登場だけ
じゃなくその消滅に至る主なきっかけも北米の法体系変更にあるというのは複雑なところ…
日本国内と比較にならない巨大な市場故にグローバル戦略上アメリカがどうしても世界
標準になってしまいます。

前回トヨタのFCV「MIRAI」が映画バック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンにあやかって
10月21日にアメリカ進出を遂げた事を書きましたが、来年春にはホンダもトヨタの上を行く
継続距離700キロを謳うFCVを市場投入します。

実は日本の自動車メーカーが揃ってFCVの導入をアメリカで急いでる背景にはかつての
リトラクタブル・ヘッドランプと同じく北米の法体系が大きく関係してます。
それはカリフォルニア州が施行してるZEV法 (販売する車の何割かをEVやFCV等の
ゼロ・エミッション・ビークルにする事を義務付ける法律)の2018年度改定で環境適合に
関する定義が大きく変わる事。(正確には優遇クレジット変更による100マイルの壁と、
他州で売れたZEV車を販売数割合に合算してもいい「トラベル条項」)。
まず2018年改定で航続距離が100マイル(160キロ)以上の車とそれ以下の車で優遇処置
に違いが出てくるんですね。これによりアメリカでZEV車を売る際には航続距離が長い車
のほうが有利という方向へ流れが出来つつあります。
既にアメリカ国内でも普及が進んでる電気自動車リーフは日本での航続距離の諸元が
228キロなのに対しアメリカでは測定検査基準が厳しく84マイル (135キロ)で販売されてた
ため優遇を受けられなくなるところでしたが、モデルチェンジ後の新型では107マイル
(172キロ) に伸びたので2018年100マイル問題はクリアしました。

そしてもう一つの「トラベル条項」優遇についてですが2018年以降は優遇を受けられる
のがFCVのみになり基準から外れるEVは売上総数がカリフォルニア州だけで計算され、
更にFCVの数割しか優遇されないというある意味不利な条件になります。(とりあえず
この変更がZEV情勢にどう影響するかは今の所わかりませんが)
深読みをするなら中国が国策レベルで中国製EVを世界標準にすべく動いてる事に
起因する米中の規格争奪、経済戦争の余波を受けたような状況なのかもしれません。
そう言えば1980年代、日米貿易摩擦が過熱してた頃はアメ車の日本輸入時に実施
される厳しい審査基準が「非関税障壁」だと揶揄されてた事もありました。

(2015.10.)

最近殆んどテレビを観ないため友人から教えてもらった「リーフ対180SX」加速対決CMがあちこちで
話題になってるというか物議を醸しだしてて、YouTubeだけじゃなく日産の公式動画Facebookコメント覧
まで反響の範囲が広がり凄い事になってる感が…

180SX愛車歴約20年、ただしフルノーマルAT車乗り (教習所へ通ってる時、教官に一番褒められた
のは「サイドブレーキを使わない坂道発進」だったのに実際の運転ではギアチェンジが面倒くさい
ダメ人間です)
の自分としてはCMの中で180がリーフとの競争で負けても何も感じず反響の方向に驚いてるところ。
それどころか発進時の特徴あるテールランプやゴールする際の流麗なシルエットが多くの人の目に
焼き付けば180SXという車に再び関心を持ってもらえるとリーフ主役のCMなのに「焼け太り」的な事
を考えてたりでして…
てか当時発売されてたすべての車の中で自分が「一番カッコいい」と思い買った価値観が2015年の
今でも通用する結果に大満足な上、渋谷で歩道の女の子から「乗りた~い」と言われたというオイシイ
出来事も。(一応ですがCMと関連あるかはわかりません)
とりあえず20数年の時を経てこの車の姿を人々の中に呼び起こすCMが登場したのは少なくとも
現行でフルノーマルに乗ってる自分にとってはある意味メリットのほうが多い感じです。
あまり好きな言葉ではないんですけど「草食」と呼ばれる今の若者みたく歳とった事で熱さが薄くなり
勝負に拘らなくなってるのかもしれません。
時効だから書いちゃいますけど三菱スタリオンに乗ってた20歳前後の頃、都内の自宅から江の島
まで45分で到着する走り方 (今は若気の至りとしか言えませんけど、まあでも本物の走り屋から
すれば45分で東京から江の島はそんなにスピードを出していない方でしょう)をしてた頃だったら速さ
に拘わってCM内容に憤りとか感じたのかな…
とは書いてみたものの、そのスタリオンも「見た目で選んだAT車」でした。

(2015.10.)

こちらは6月上旬に友人へ送ったあと保存しておいたメールです。書いてあるとおり愛車で走行中、
Googleマップを制作する全方位カメラ搭載のGoogleカーが後ろから来たわけですが…

見事に自分の車が映ってるのを確認、愛車がGoogleマップデビューしました。


(2015. 8.)

ゴールデンウイーク最終日に愛車の6ヶ月点検入庫予約を入れたあと買い出しを兼ねてドライブ、ついでに
写真を撮りました。

D1等の競技も登場して今の車好きには走り屋ドリフト系の象徴みたいな立ち位置に置かれてる180SXですが、
デザインに惚れて購入したので昔からいじる気まったくなし。FRかどうかも購入の条件じゃなくギアチェンジ
も面倒だったのでAT車を選んだという、「この車のオーナーとしては」かなりの変わり者です。
フルノーマル故に与えられた悪友からの「クーペの箱を載せたSUV」「音が静かになるよういじった車」等の
称号に先日「こだわらないのがこだわり」という新しいキャッチフレーズが加わりました。

今回車を撮影したポイントは以前も訪れた場所ですが望遠レンズ付きのちゃんとしたカメラを持ってくれば
羽田に着陸する飛行機の撮影に好条件な場所かも。

前にここで愛車の写真を撮ったのは2008年8月。引退したANAのB747「ピカチュウジャンボ」の姿が。

(2015. 5.)

横浜の日産本社ギャラリーからの帰り道、川崎の千鳥町へ再び訪問。

この日は工場がフル稼働中だったらしく煙突の煙と共に非常に"ケミカル"な匂いが全体に漂ってました。

そしてもう一つの工場夜景名所、「夜光」へ初の訪問。寒い上に風が凄く強くてスマホを持つ手が煽られ
撮った写真が全部ピンぼけ。
とりあえずちゃんとしたカメラを持って天候が穏やかな日にリベンジしたい感じです。

(2015. 2.)

以前から行きたいと考えてた場所へ初めて行ってきました。

プラントマニア (なんじゃそりゃ)や工場夜景好きの間でかなり有名な場所、神奈川県川崎市の千鳥町
「日本触媒 千鳥工場」前です。

まるで近未来都市…。ターミネーターでも出てきそうな浮世離れした光景が目の前いっぱいに広がる
この空間を遂に体感。

NISMOショールームからの帰り道に思いつきで立ち寄ったので防寒対策をしてなかった為、あまりに
寒過ぎてゆっくり出来なかったのが残念。
余談ですがこの場所の他にも住所名が「夜光」というそのまんまな工場夜景スポットも今回の場所の
近くにあるので、ちゃんと防寒準備をしてからまた行こうと考えてます。

(2015. 1.)

ここ何年か恒例みたいになってますが…8月の旧盆と同じく東京で一番人が少なくなる正月休みに
都内各所の写真撮影をしてきました。

まずは汐留へ。汐留シティセンター向かいの駐車場へ車を停め、昭和通り方向へ歩いてポルシェ
販売店近くの脇道に入ると…







古めかしい建造物が突然目の前に現れます。

実はここは日本の「鉄道発祥の地」。
この建物は1872年(明治5年)日本初の鉄道が東京~横浜間に開通した当時この場所にあった
「旧新橋停車場」の復元駅舎です。
1914(大正3年)まで東京からの始発駅でしたが同年「東京」駅が丸の内に開業し旅客ターミナル
がそちらへ移動した時に駅名を「新橋」から「汐留」へ改名、それ以降は貨物専用駅になりました。
その後1923(大正12年)に起きた関東大震災で焼失したあと駅の存在は殆ど忘れ去られてしまい、
近年になってから汐留再開発に伴う遺跡調査で当時のホームと共に土台部分が見つかりました。
そしてちょうど建物が失われてから80年後となる2003年に復元が完了し現在に至ります。

建物の裏手に回るとホームの一部も復元されてます。奥には当時のレールを使った線路も。









駅舎自体は資料館 (入場無料)になってます。、鉄道好きの方には特に有名な場所なんじゃないかと
思う東京の「隠れ名所」ですね。そして今のところ鉄道関連には強い趣きを置いてない自分が何故
ここを訪れたのかと言うと…







同じ汐留シオサイト敷地内の「イタリア街」広場で愛車の写真を何度か撮ったのがきっかけです。
この広場の由来を知った流れから日本「鉄道発祥の地」のモニュメントとして復元された旧新橋
停車場も観ておこうと考えました。

実はこの広場の円形部は、上記の新橋停車場と同じく汐留再開発時の発掘調査で見つかった
機関車を回す転車台 (ターンテーブル)を記念して作られました。円の輪郭部分には発掘された
本物の切石が一部使用され、広場の真ん中には由来が解説されたプレートが埋め込まれてます。
ここから余談ですけど広場の「この作り」で、「このプレート」を何気なく大雑把に読んでしまうと
当然のように「転車台」がここにあったと思ってしまいますが…実際に転車台があったのはこの
場所じゃないわけですね。(プレートの説明をちゃんと読めば「転車台があった元の場所はここ
じゃない」という趣旨の解説になってます)。

首都高速八重洲線を目印にして今の地図とイタリア街広場のプレート写真を照合すると判りますが、
転車台が位置してたのはシオサイトの「C街区」と呼ばれる場所。
現在の「ロイヤルパークホテル・ザ・汐留」エントランス付近となります。

地図上の位置関係は
青い丸がイタリア街の円形広場、

赤い丸が当時のは4段転車台のあった場所、

緑の四角が今回出向いた新橋
停車場の復元駅舎です。

そして殆ど知られてませんが転車台があった場所に該当する
ロイヤルパークホテルエントランス部分の屋根は「何かを表す
かのように」綺麗な円形 (半円形)をしてたりします。




汐留シオサイトを後にして新橋方面へ向かい、年中通ってるものの撮影は初めての「築地虎の門トンネル」へ。
路肩に車を停めて交通量が殆んど無いこの時期にしか撮るのが難しいトンネル入り口を撮影。
余談ですがこの道路が終戦直後、GHQのダグラス・マッカーサーによりアメリカ大使館と竹芝桟橋を直でつなぐ
為に計画された事で「マッカーサー道路」と呼ばれるようになったという話は「デマ」です。

ここは自動車専用トンネルの地下部とその真上を通る歩道も備えた地上部があって、今回は地上部の通称
「新虎通り」を走行。名古屋に有名な道幅「100m道路」がありますが、この道も昭和25年(1950年)に40mへ
変更されるまで100mで計画されてました。







虎の門へ抜けたあと一旦迂回して今度は「虎の門ヒルズ」側からトンネル入り口を撮影。そして左の側道へ
入り「新虎通り」を新橋方面へ戻ります。その後旧盆の時も写真を撮った銀座松坂屋 (工事中)の前を抜けて…

ちょっと端折りますけどお台場方面へ。写真の道路 (地図での赤い線)は昨年3月豊洲埠頭に開通した
「補助都道315号線」。この新道ですが数ヶ月間この周辺の道を通らない間にいきなり完成してたので、
自分的には「突如として現れた」という感じのとてもインパクトが強かった道です。



そして東京ゲートブリッジ…を渡らずに側道へ入り橋の下で記念撮影、ゲートブリッジのの高さが凄い。

豊洲埠頭へ戻ってきました。

こちらは地図の「青い矢印」方向へ向けて撮った写真ですけど、「赤い線」 (写真では赤い丸の中)は
2008年に完成後ずっと放置されてた豊洲大橋。2020年の東京オリンピック開催地決定の効果もあって
半年ほど前から工事が少しづつ再開しました。


(2015. 1.)

正月と同じく東京で一番人が少なくなる旧盆のこの時期、前から実行したいと考えてた都内各所での写真撮影
をやっと実現。

まずは今年初めにスマホ更新後のテスト撮影で出向いた汐留シオサイト5区「イタリア街」、初の昼間撮りです。
この日は朝から出て現地到着が午前8時前、何故この時期のこの時間帯に出向いたのかというと…
「広場のド真ん中」で撮りたかったったのであります。

次に向かったのは「タクシー提灯殺し」の別名を持つ都内屈指の天井が低いガード下の「高輪橋架道橋」。
品川と田町の間に新駅が出来るのに合わせて広い新道が出来る計画なので、見物したり通ったり出来る
のもあと数年かもしれません。
こちらも初の昼間撮り、ただガード下を潜ってる時の写真は昼に撮っても夜撮っても同じですね。入口と出口に
ある「トンネルの天井に車が引っかかったのを見つけた人は知らせて」の趣旨看板を今回やっと撮影。

次は銀座中央通り。1年前閉店した銀座松坂屋跡地を含む銀座6丁目の広大な土地が現在再開発で更地状態
の為「銀座の空」が広い…
そして銀座4丁目交差点。3月いっぱいで一時休館となった「日産銀座ギャラリー」が入ってたビルも建て替え
の為に無くなり普段見る事が出来ない「隣のビル壁面」が露出してます。

次は東京駅周辺へ。上記「イタリア街」と同じくヨーロッパ的な感じで写真が撮れる (と勝手に考えてる)場所
としてピンポイントで狙ってた丸の内2丁目の丸ビル脇の道にて初の撮影。共通なのは石畳風の道路?

そしてもうひとつの何気にヨーロッパ風な雰囲気で写真が撮れる (と勝手に考えてる)場所、渋谷区広尾1丁目
「恵比寿プライムスクエア」。

最後に代官山の東急東横線「渋谷1号踏切」跡地へ。
いまだにここを通ると「踏切一時停止」をしそう (しませんけど)な気持ちになります。そして時間が10時を
まわり、御盆とはいえ人や車の往来がそこそこ増えてきたので撮影ドライブは終了。

(2014. 8.)

2014年1月、スマホを買い換えてから初めて撮った愛車180SXの写真です。場所は汐留シオサイト5区
イタリア街。約20年物のビンテージカーですが無類のクーペ好きとしてはスタイルにベタ惚れした一番
好きな車に乗り続けたいと考えてます。(地元の悪友は頑なに「真のクーペはトランクが独立したノッチ
バックでおまえの車はハッチバックだから違う」と言い続けてますが)

買ってから約20年どこもいじってないフルノーマル。現存する同型車は車高を大きく下げてる個体が
大半を占める為、その股下の高さで友人から「クーペの箱を載せたSUV」と意味不明な事を言われ
てます。それに加えてマフラーも変えてる個体が多いのでもちろん冗談ですが「音が静かになるよう
弄った車」とも…とりあえず (床下の)車高も排気音もこっちが元々です。

そして余談ですけど180SXに乗り換える前…若かったので「極めて不純な動機」にて兄弟車の
S13シルビアに約5年乗ってました。今Googleで「S13」を検索するとヒットするのは殆んどが後の
峠を攻める車としての話や改造パーツのデータですが、「S13デートカー」と検索すれば元々の
違う歴史を知る事ができる「一粒で二度おいしい」車です。

という事で…以前の愛車S13シルビアの「極めて不純な動機による」選択のきっかけになったのは
この雑誌、「月刊自家用車Deluxe」1989年2月号。折しも日本市場への投入を約2ヵ月後に控えた
180SXの原型、北米専用車だった240SXのイラストが表紙です。

「ギャル受け度~満点のハートマーク5個」、こんな理由にて何百万の買物の選択を決定してしまう
という…若かったんですなあ。(何でもかんでも若気の至りで片付けちゃいけない気もしますが) 
てか当時自分のようなヤツが沢山いた事によりS13シルビアは非日常的なクーペとしては空前の
大ヒット車になりました。 (1988年度の国内販売台数が年間で約44000台、1989年は約81000台)

因みに他の「ギャル受け度満点車」は"女子大生ホイホイ"の別名を持つトヨタの「ソアラ」のみ。
またデートカーの頂点をソアラと競ってたホンダのプレリュードですが、前年のシルビア登場に
よってギャル受け度ハートマークは4個になってました。 (今見ると何のこっちゃって話ですけど)

(2014. 1.)

愛車のタイヤ溝がかなり浅くなってきたため、ミシュランから発売されてる乗り心地重視の
プライマシーLCというタイヤに交換しました。

タイヤ側面でミシュランのイメージキャラクター「ミシュランマン (ビバンダム)」が
手を振ってます。

そして走行距離が12万キロ超え。1万キロの走行に約1年、以前よりはゆったりしたペースに
走行距離の増加が落ち着いてます。ただ1ヶ月1000キロ以上走ってた頃があるものの海外へ
よく出向いてた時期は年間5000キロに満たない事もあったりで年式からすれば走ってない
部類になるかもですね。
リトラクタブルヘッドランプが好きで約20年手放せないこの車ですが、悪友に「女にも
このくらい一途ならかつてのトラブルも無かった」と言われ「いや、本気で惚れれば
オネーチャンに対しても一途 (いやマジですって…)だから」と応戦。

(2014. 9.)

旧型車 (初年度登録から18年目まで)の自動車重量税が近く上がります…けど自分の車は
「古過ぎて対象外」。まあ実のところ登録18年超えの車は数年前に「先行して上がってた」
ので据え置かれたという事なんですけど。

納車された日に近所の道路で撮った最初の写真。愛車は1994年型ですが180SXが新車
として販売開始されたのは1989年4月1日。ガチで来年25年目を迎えます。

同じ場所にて以前の愛車、兄弟車のS13シルビアも撮ってます。S13の新車販売開始は
1988年5月17日なので180SX (RS13)は約1年遅れて登場。

(2013.12.)

横浜からの帰り道、国道15号 (第1京浜)の道沿いに「ある名所」があったのを思い出し
初めて行ってみることに。

田町と品川の間にあるこの場所、愛車の後ろに写ってる大きな通りが国道15号です。
道の先に一見何の変哲もないガード下がありますが…実は此処「車が通れる高架下のなかでは
都内屈指の天井が低いガード下」として知る人ぞ知る「高輪橋架道橋」という珍名所。
正式名称は「東海道線(22)高輪ガード」。タクシーが通る際、屋根の提灯を破損してしまう事がある為
「提灯殺し」の別名があったりします。

いよいよ通過、後続車がいなかったので時々停車しながらの撮影。高架下の高さ制限驚異の「1.5m」、
クリアランスをとっても車高が1.6m以上ある車はここを通るのは危険。(一番天井の低い所は1.64m
だそうです)このカード下は山手線、京浜東北線、東海道線、東海道新幹線を潜るだけじゃなく車輌
基地 (田町車両センター)の真下でもあるので地底気分のまま200m以上の距離を突き進みます。
出口が見えてきました。
出口の写真を外から。一方通行なので自動車はこちらから入れません。

場所はここです、青い線が国道15号で赤が高輪橋架道橋。広い鉄道敷地の下を見事に横断してます。

(2013.11.)

「ネオヒストリックカー」の特集本を購入しました。

歴代の愛車S13シルビアと180SX、近年では車好きの方々からガチガチの走り屋仕様の扱いを受ける
事の多い小型FRの兄弟車です…が昔を知る者としては若干違和感もあったりします。
デビューした頃のエピソードが書かれた記事には当時最高のユルユル車だったホンダ・プレリュードから
「流行のデートカー市場を奪う」という目的で市場投入された (目的も達成)事実がもちろん書かれてます
けど…後の辿った経緯を考えれば「走り屋御用達車」というのが今は大半のイメージなんでしょうね。

「若者の車離れ」なんて言葉が流行語みたいになってる昨今、トヨタのドラえもんCMが話題になったり
してます。車を買う以前に免許を…てのが時代が変わった事を感じさせますが、このCMシリーズを見て
思い出したのは昔買ったある自動車情報誌の事。

それがコレ、リクルート発行の中古車情報専門誌「カーセンサー」1985年1月号です。

やっぱり「若者に車を」ってことで当時も色々やってたんですね。

こういう販促系の記事とかと関係あるかは別にして、この後すぐ「ハイソカー」「デートカー」
ブームが到来しました。

自動車雑誌「ドライバー」1985年6月20日号。当時流行ったデートカーの代名詞「ソアラ&プレリュード」
を特集した記事が載ってます。
今考えればインターネットも無く情報の源が今ほど多岐に亘ってない時代だったので、一つの流れが出来る
と大きな流行になりやすかったのかもですね。
そして自分はいわゆるド真ん中世代であり「女の子にモテたい、どうしたら女の子にモテるのか」という
事柄が「人生の最優先順位」だった頃(大げさ) にちょうどぶつかってた為こういう流れの影響を大きく受けた
わけであります。

記事には書いてないですけどプレリュードがデートカーとして人気が出た理由の一つに「助手席を倒す
レバーが運転席側についてる」という他車に無かった特徴が…
(どういうシチュエーションでその実力が発揮されたかは敢えて説明しません)

そして数年後に自分が買った愛車のS13シルビアはプレリュードからデートカー市場を奪った車ですが
「運転席側から助手席を倒すレバー」はついてません。

実はあまり知られてませんけど「運転席側から助手席~」レバー、2004年に日産から発売されたティーダ
という車についてたりします。(2012年8月販売終了)
遥か昔に流行も去り最初からデートカーを「売り」にした車じゃないですけど、一時期「ちょいワルオヤジ」
の流行語を生んだ「LEON」という雑誌とコラボしてイメージキャラクターにジローラモさんが起用された事
があるのは暗に何かをアピールしてたのかも…

十数年乗り続け、結果的に希少車となってしまった日産180SX。

完全フルノーマルAT車、カーナビ取付とカップホルダー以外購入時からどこもいじってません。小型FR
(後輪駆動) で特にスポーツユースやチューニング用素材の原型で使われる例が多い車の為、まったく
いじらない事で知人から以前「車種の選択にこだわりが有るのか無いのかわからない」と言われた事が。
クーペでスポーツカー的な外観ながら元々「デートカー」という乗り心地重視のコンセプトで登場した
S13型シルビアの兄弟車 (輸出用モデル)なので走りに振った弄り方をしなければ足回りもやわらかいし
エンジンも静か。
その上タイヤ溝が無くなって交換必須となった定期点検の際にお店で薦められた中から二番目にソフト
なタイヤを選択し履かせた為、更に見た目にそぐわないミドルセダン並みの静かな乗り心地となりました。





とりあえずかつてのデートカーは現在オヤジの買出し兼ドライブ用
道楽クルマと化してます。

当時のカタログから。アルミホイールやマフラーを含め現在もまんま「吊るし」の状態。そして
リアシートが乗りづらい等クーペゆえに出る友人・知人からの静かな「クレーム & 乗り換え圧力」
を跳ね除け維持し続けた結果、手放すと確実に入手困難となる「アンティーク家具」みたいな
存在になりました。

こちらは2000年春、アメリカへ行った際にアウトレット駐車場で見つけ思わず撮ってしまった愛車
との同型車。パームスプリングス近郊のデザート・ヒルズ・プレミアム・アウトレットにて撮影
しましたがアメリカだと180じゃなく240SXですね。

同じ駐車場でカメラをパンした際にとらえた日本車3台。かなり年季の入った日産のフェアレディZと
トヨタソアラ、そしてつい先日発売されたホンダCR-Zの先祖にあたるバラードCR-X。

ついでですがその他オーストラリア(1997~)へ行った際も日本車を中心に撮りまくってました。
エアダクト無しのタイプですが
昔の愛車「三菱スタリオン」。







180SXと並び自分が欲しかったトヨタスープラと友人の親父さんが所有してた三菱ディアマンテ。

後輩が乗ってたダットサントラック。撮る対象はやっぱり普段の交友関係と関連付けしてた車が中心。

そして自分のオヤジが昔乗ってたコロナマークⅡ、これは1997年当時でも希少車でしょう。

番外編、オーストラリア原生林ツアーで乗った軍用車輛出身のハマーH1。

ケアンズ市内の「エルビスプレスリーミュージアム&カフェ」内に展示されてたエルビスの愛車キャデラック。

エルビスがエンジンがかからない事に腹を立ててピストルで撃った穴が車体に残ってたんで彼女にカメラを
渡し車とツーショットで写してもらいました。しっかしオレも若かったなぁ…(といっても33才になってたけど)

何度か書いてますが180SXはデートカーとしてデビューした兄弟車「S13型シルビア」と同じく
スポーツ走行に適した小型のFR車だった為、後に長期に亘って走りに徹したスポーツカー的
な扱いを受けていく事になります。
それ故、市場へ出回った車の殆んどがチューンナップやドレスアップを施したMT車となり
自分の愛車のようなATでしかもフルノーマルな個体は極めて希少な存在。
現存する車輌でもあまりお目にかかれない180SXのATシフトレバー





そこで180SXの歴代カタログを集合させ、ある事柄を調べてみたら予想通りの発見が。

まず搭載エンジンが車名の由来となったCA18系の前期型 (Ⅰ型)1989年カタログ。

エンジンがSR20系に変更された後は中期型 (Ⅱ~Ⅴ型)と後期型 (Ⅵ型)に大きく分類されます。
その中で1995年の中期最終型 (Ⅴ型)モデルカタログ。余談として自分の車は中期 (Ⅳ型)です。

そして1996年登場の後期型 (Ⅵ型)カタログ。
それぞれのカタログ室内写真、「シフトレバーを囲ってる枠」で緑がAT仕様赤がMT仕様車です。
画像のとおり車の内装紹介やバリエーションラインナップ最上級グレード等、筆頭にくるモデル写真
が後期型カタログで初めて「ATからMT仕様中心に」変更されています。
シルビアと同じく当初の「デートカー」から走りに特化した「スポーツカー」の扱いへと…90年代後半
以降のユーザー層変化に伴い販売方針も含めた車の路線が途中から大きく変わった事をこうした
カタログの変化からもあらためて再認識しました。

オマケでS13型シルビアの1988年カタログ。写真はまるまるAT車中心でスポーツ色は無し。
デビュー当時は優雅な雰囲気優先、正真正銘アートフォースな車だったのです。

ここ数週間、車で走行中後ろで何かがパタクレてて、古くなったハッチバッククーペの宿命ゆえ
リアハッチがガタついてきたのかと思ってたら…
ウレタン製の純正ウイングが (この大きさと形だとフィン?) 取付け金具の腐食で片側とれてました。
とりあえず応急処置で固定して一段落。

内部の発泡ウレタンが硬化しあちこち隆起しまくってるためなんですけど近くで見たらかなり波うって
ウネウネしてますね。幸い純正ウイング手に入るそうで状態の維持できそうです。更に同じく写真の
ウイング下側、経年変化による硬化で一部剥がれてるNISSANのロゴシールも元通りになる予定。


交換直前の写真、いかにすごい事になってたかが判りますね。
 

交換していただき愛車のリアウイングが綺麗になりました。

180SXは2012年現在まだ旧車ではなく、完全なクラシックカーではないが新しくもない「ネオヒストリックカー」
と呼ばれる位置にいるそうです。ただどのネオヒストリックカーにも言えますがこの時期を越えないと完全な
クラシックカーにはならないんですよね。そしてハコスカやダルマセリカのような今では正真正銘の旧車にも
この時期があったわけで、途中で廃車にさえしなければ車にも「いつか来た道、いつか行く道」が存在します。

ドライブ中に出先でこんな本買っちゃいました。見なくなりましたねえ…リトラクタブルヘッドランプ、
今の車を手放せない最大の理由がこれ。もう街中でリトラ車のライトが昇降してるのを見た事ない
方も結構いるのではないでしょうか

「リトラクタブルヘッドランプ」は今後2度と作られる事はないだろうという自動車本来の外観上の特色。
ランボルギーニ・カウンタックに代表された当時の「スーパーカー」に搭載され、そのスーパーカーブーム
に直接ぶつかった自分の世代が免許取得年齢に達したタイミングで市販車が続々登場したんですから
当然のように大流行しました。

ライト昇降VTRです


日本初のリトラクタブルは1960年代に限定生産された「トヨタ2000GT」ですが量産車の初登場はマツダ
初代サバンナRX-7でした。

そして日本車最後のリトラクタブルもRX-7 (3代目)。

その他リトラクタブルヘッドランプ車の数々。昼は尖ったミサイルで夜はカエルみたいな顔、そのギャップも
含め好きな人は好きだったんですね。

ファミリーカーにまで波及し、夕暮れ時パカっと目を開ける車が街に沢山走ってた時代がありました。

車のエンジンをかけようとキーを回したらバッテリーが完全放電しててウンともスンとも動かずまったく
自走不能状態に。出発時間が迫ってたため自転車で近所のガソリンスタンドへ出向いてバッテリーを
単体で買ってきました。とりあえず自分で交換するのは約25年ぶり。

(2008.12.)

自分が都内をドライブする際のお気に入り絶景ポイントを2箇所ほど紹介。

まずこちらは高級住宅街として有名な白金のとある場所。億ションの脇からすれ違いが出来ないくらいの
細い路地を入るとこのような閑静な場所が残ってるんですね。(追記. 現在この場所には建物が建ってます)

そしてこちらは芝浦。自分的に下から見上げるレインボーブリッジが一番サマになると思ってる場所。

最後に昔のデータから豊海水産埠頭、地元の後輩とツルんでバカやってた頃の写真です。

(2009. 8.)

180SXにキーレスエントリーを装着、思わず"かっけー"と心の中で叫び…てのはウソですがハザードコールが
無かった時代の車なので感激。何度も止めて試したくて、いつも一回で済ましてる買い出しを三回くらいに分け
数件の店にハシゴしながら遠回り。


(2008.10.)

前の車からの移植を経て使ってたカーナビがとうとうヤバくなったので15年ぶりに交換、最新の
パイオニア・カロッツェリアHDDナビになりました。しばらく走らせて技術の進歩に驚愕。絶対では
ないのでしょうが車の位置を指す矢印がズレない、どんな細かい路地を抜けても前と違い道路
から外れません。その他も機能豊富です。

USBメモリーからの音楽読込みやステレオミニジャック端子付でMDウォークマン、iPodも接続可能。

そしてナビには容量40GBのHDDが内蔵され、地図データその他が記録された以外の余白部分へ
音楽CDを録音してディスク交換することなく連続再生が出来ます。

(2008. 3.)

昔の写真を数枚。

オーストラリアで撮った写真を車内で整理中にいきなりカメラを向けられてガン飛ばし

ファミレスの駐車場にて。車の中に何かが…

カップホルダーに座るオウムでした。失礼しました (オーストラリアで買ってきたぬいぐるみです)

バックミラーにコアラがつかまってた事も。

長期にわたり手放さず乗り続ける事になった180SXへの思い入れのルーツは運転免許を取得した頃
まで遡ります。
それは免許取得の翌年となる1985年の第26回東京モーターショーに出展された日産のコンセプトカー、
「MID4」という車の衝撃でした。細かく見れば走行系のシステムも全然違うし…って事はさておき180SXを
見た時なぜかMID4とシルエットがオーバーラップしてしまったわけです。

この角度からの写真が好きでこれとシルエットがオーバーラップ、CMのキャッチコピーじゃないですが
昔から車を「見た目」で選んでます。

85'第26回東京モーターショーの会場。MID4のブースは凄い人気で押し合いへし合い、写真もまともに
撮れない状態。

購入前このカタログの中の写真で…
このサイドビューにも魅了されました。

安価な後輪駆動(FR)車の宿命でほとんどノーマル車が現存しないらしいです。手放さなくてよかったなと
思うものの車としては老体になりつつあるのでこれから先も良好な状態のまま維持するのは覚悟が必要。
なにしろ先日見つけた特集本のキャッチコピーには既にJAPANESE VINTAGE」の一文が…

デートカーとして名を馳せた日産のS13シルビア。ターボ付のAT車でした。

どこもいじらず手放すまでフルノーマルの状態でしたがある日帰ってくるとプラスチック製の
ホイールカバーが1個無い。
過激な走り方はしてないにもかかわらず途中で外れて落としてきたらしく、走った道を明け方
まで捜すハメになりました。結局見つからず後にホイールだけ社外アルミホイールへ。
社外アルミへの交換後。




シルビア純正がん鉄ホイールと1個足りないホイールカバー。
今はガレージ内のオブジェです。






20代最後の年、ちと遊んでしまえとばかりに自分の車を公共の電波に乗せようと早起きして
友人と待ち合わせ家のビデオもタイマーセットして出発。車を止めた後、道路を歩いて何度も
往復してたので動画では自分も友人も何回か見切れてます。

1985年1月、初めて自己所有した愛車「三菱スタリオン」。









当時のカタログです。

スタイルに惚れて3年落ち中古の1982型AT車を新車価格の半額以下で購入しましたが電気系統が殆んどダメ、
格安故に修理保障も無い為バッテリー交換を自分でする事になりました。
そしてそれをきっかけにスパークプラグやハイテンションコード、ディストリビューター(写真の赤い部品)
交換等、自分でエンジン周りをこねくりまわし少しだけ遊んでました (本格的にいじるというレベルではない
ですけど)。
その後約5年乗りましたが大きなトラブルは無く、結果としては運が良い買い物だったようです。
そしてこの車はドアミラー仕様になってますが国産車のドアミラー許認可は1983年3月、1982年型なのになぜ
ドアミラー車なのでしょう…?












実は買った時に店の店長が「兄ちゃん若いからしばらく乗るのにフェンダーミラーじゃかっこ悪いよね」と
1983年以降の同型車から純正ドアミラーを引っぱってきてパテ埋め交換 (無料でした)してくれたから。
外した後もらったフェンダーミラー。こちらも今は車庫内のオブジェ。





映画「キャノンボール2」ではジャッキーチェンとリチャードキールがスタリオンに乗り、
007ボンドカーのパクりで潜水艦になったりしてました。






こういう車なのになぜMT車買わんのよ? と友人に聞かれる度に「アメリカではカマロやコルベットも
ほとんどATなんだぜ」とひき合いに出しイージードライブ志向を強調。実は親父から借りてたMTの
シビックでギアチェンジが面倒になってしまったという本音をオブラートに包みカッコよくまとめてました。










余談ですがこの頃自分はまわりから「アメリカかぶれ」と揶揄されるほどハンパなく発言がアメリカ絡み
になってて (今もアメリカを第2の故郷と呼びたいほど好きです) そのきっかけになったのがこれらの本。
とりあえず日米貿易摩擦真っ只中の時代だった為、アメリカと日本の比較分析本が経済学から文化
人類学まで幅広く出版されていました。
読んだあと本音とタテマエを使い分ける日本型コミニュケーションより本音を前面に押し出して人と
コミュニケーションを図るアメリカ型の思考様式に強く憧れ実践したつもりが…
結局言いたい事やりたい事をそう思った時に遠慮なく言ったりやったりする場当たり的性格が表面化
しただけで自分が目指したタイプの人間にはなれませんでした。良くも悪くも名残りというかクセが現在
でも残ってて、今風にいうと「KY的な」場にそぐわない行動をたまにとってる事もあると思います。

先日ガレージの倉庫を掃除してたらスタリオンから外した部品等の一部が出てきました。スタリオン
現役の頃は恐いもんなしでやっつけ仕事のように車をいじってましたが、整備要領書 (その車の
分解と修理用の取説みたいなもんです) も無いまま勝手にやってたので室内パネルなど脱着時に
接合部を結構壊していました。
後に車の整備に詳しい知人に多少知識を学んだら (電装系の配線不備が車輌火災につながる等)
いろいろと恐くなってあまりいじれなくなったのは皮肉…よかったのかもしれませんけど。

24年前買った自動車のメカに関する本。インジェクション(電子制御燃料噴射)がまだ普及してなくて
エンジンのイラストにキャブレターが。
日常点検レベルの知識で車を所々いじってたのですから今考えると恐ろしい。

自分のスタリオンの隣に止まってる車は日産のF30型初代レパード。ドラマ「あぶない刑事」シリーズで
有名になったF31レパードの先代にあたる車になります。

今は疎遠になってしまってますが幼なじみだった友人の親父さんが所有してた車です。その方は先方
の家族旅行がある度に家族の縁が薄かった自分の為それに組み込んでくれて子供時代いろんな場所
へ連れてっていただきました。
このレパードも自分が免許を取った直後だったにもかかわらず運転を任せてくださり高速道路デビュー
(当時は教習所の高速教習が必修じゃなかったので自分は受けませんでした)もこの車。
その後も事あるごとにハンドルを握らせていただき自分の車以上にこの車であちこちへ遠征しました。
これが初心者マークを貼って関越自動車道へ向かう「私設高速教習」前の記念写真。

道祖神で有名な安曇野の
ペンション駐車場

四国高松からフェリーで小豆島へ

小豆島からフェリーで高松へ
草津温泉スキー場。SUVが無い時代は
逆に何でもありの状態





草津スキー場ゲレンデ内へ乗り入れ
四国徳島大鳴門橋。道路上の文字は
見なかった事に

そして約20年…久々にこの車と対面したのは2007年5月の日産ギャラリー「Heritage Cars Collection」でした。
もう完全な歴史の一部になってます。

2010年秋、ついにゴールドから青帯免許へ。

更新ハガキが来るまで知らなかったのですが「軽微な違反の初回更新」は
運転免許試験場まで行く必要がなく東京都庁で可能でした



今だからある程度書ける案件…

20代の頃~公表できないスピードで走ってたりは年中で、飲食店へ行くのに幹線道に一晩路駐とか何も
考えてなく殆んどの事案は運で乗り切り。

30代の頃~路上駐車は30分毎に必ず戻って確認。タイヤと道路に白線あると前後に車をずらしリセット
して再び30分の繰り返し。速度超過する時はわざと追い越させ、少なくとも2台は生贄の他車を前に走らせ
自分が先頭切ってカッ飛ばさないなど小技を覚える。

そして40代に入りやっと正真正銘の安全運転を努めるように…という感じ、ちょっと遅いですね。
教習所で入所後、運転適正検査で最高点を出し教習官に褒められた経験からあぐらをかいて調子に
乗ってしまってた部分が昔は確かにありました。今回リセットされた免許の帯の色をしっかり噛みしめ
運転の際は粛々と車を走らせたいと思います。

正直言って以前はお世辞にも模範的な運転をしてなかった頃もあるので運も大きく関係してましたが
(今現在は正真正銘、安全運転を心がけてます)、自分1984年の免許取得時から違反歴無く無事故
無違反を24年間維持し続けてきました…が
先日急ぎの用で魔がさし交差点でイエローライン(車線変更禁止線)をまたいでしまった事から履歴に
終止符。しかし無事故無違反24年の履歴が終わって次の更新で最低5年は免許の帯もブルーに戻る
のに落胆は無く逆にある種の安堵と高揚があった自分、なぜなのかと自己分析してみたら…
要はせっかくゴールド免許を持ったのに、というかゴールドになってからは一度も検問等にぶつかった
事も無く、長い間鬱積してた「運転中一度はおまわりさんに免許証を見せたい」という機会とその願望
が遂にかなったという満足感だった事が判明。とりあえず「なんじゃそりゃ」という話で失礼しました。
(2008.11.)
運転免許取得時のエピソードです。自分は教習所の規定時限を7時間オーバーで卒業してて
その超過時間ほぼすべてが最初の段階。技術的には問題無かったらしいのですがそこは
人対人の関係、当時生意気な上に欧米思考感化の影響も重なり自己主張も強かった自分は
現場の教習官に嫌われてしまったらしいんですね。
課題完全クリアしてるのに「んーまだまだだな」と毎回認印は延長。どう考えてもおかしいと
思いながらも若さゆえ自分の側を矯正するほど人間は出来てない…
そんな時ふと目に留まったのが受付横に置いてあったアンケート用紙と投票箱。要は「態度の
悪い教官がいたら匿名でお知らせ下さい」のいわゆるチクリボックスでしたが、ここで変に機転
が利いてしまいその用紙を一枚取り無記名のまま教習簿の透明バインダー裏側に見えるよう
挿んで配置しました。そしたら現場の流れが180度変わってとんとん拍子に時限と段階が進み
出したので(一応ですけどとりあえずそれが静かな圧力として作用したのかはわかりません)
ビックリ。 10代にして大人社会の縮図とその裏側を肌で感じそれを自分で初めて実践したと
思った瞬間でした。
その後合宿じゃなく通学だったため約2ヶ月を要しましたが試験は筆記実技とも仮免・本免
すべて一発、20万円を切る費用でめでたく卒業して現在に至ります。
今は自分自身が社会にどっぷり浸かり様々な事情も理解してるのであまり無理や無茶は
しませんが、この話を世渡り術や成功体験のように語るあたり本質的には自分も性格良くない
のかな、とちょっとだけ思います。

2008年1月、お台場で開催されたJCCA CLASSIC CAR FESTIVAL会場で自分が一番注目した一台
がトヨタ「コロナマークII」。実は親父が昔この車に乗ってました。40代になってた親父が
この車を発売と同時に即購入、通勤も含め年中乗り回し自分も筑波山や秩父、湘南等に連れてって
もらった記憶が残ってます。
約30年ぶりに実車を見た感想は「結構小さい車だったんだな」という感じ。

自分が免許を取得後、最初に乗った車は「ホンダシビック」。親父に借りてた車で「ワンダーシビック」と
呼ばれてた車です。自分とりあえず子供時代に多々あって親が複数存在し、こちらのシビックの持ち主は
実の親父のほう。親父は学生にドイツ文学を教えてた大学教授で2年程ドイツに研修滞在してた事があり、
自分が教習所に通学中「アウトバーンでは踏切で一時停止すると後から突っ込まれるからおまえも踏切は
速度を落とさず一気に突っ切れ」と日本の法規を無視したとんでもないアドバイスをした人でした。
追記. そもそもアウトバーンは高速道路で踏切は立体交差になってんじゃないかと…速度無制限の道路
体験談にひっかけ免許取得前の自分をからかったのかと思ったのはしばらく経ってからです。

オートバックスの本売り場で見つけた 「日本の名レース100選・'85インターTEC」グループAツーリング
カー選手権の本。自動車メーカーで年間5000台以上生産された4座席以上持つ量産車をプラットホーム
にして厳しい改造制限を設けながら作られた車のレースなので参加してるレースカーが街中を走ってる
そのままの形なのが魅力でした。そして参加車輌の筆頭にスタリオンがエントリーして予選本選とも
国産車勢の中ではトップでゴールしたのです。

自分が乗ってる車が走るって事での思い入れも加わり録画した「1985インターTEC」のビデオ。
ベータマックスから現在はすべてブルーレイにコピー。ノーカットあえてCM入り (各自動車
メーカーがスポンサーだったので当時の新車CMてんこ盛り)。
その後毎年ずっと録画。海外勢のジャガーXJSやフォードシエラRS500、国産車勢のトヨタスープラターボ
や日産スカイラインGTS-R等がエントリーしてくるとスタりオンは段々勝てなくなっていきました。車の
性能が進化するスピードは物凄かったです。