この特集本は昔のシルビアに関する雑誌を一冊にまとめた物ですが、開発当初のデザインコンセプト案スケッチなど自分が初めて見る資料 も多数載ってて嬉しい限り。 もちろんライバル車プレリュードとの比較や兄弟車であり今の自分の愛車、RS13型180SXの特集も。180SXはシルビアの発売から1年後の 1989年4月に北米からの凱旋という形で日本市場へ投入された帰国子女のような立場の車です。 当時のカタログも全ページが記載されてます。2ドアスポーティクーペの室内紹介写真にAT車が使われてる事がバブル期スペシャリティカーの証。 因みにS13を「スポーツカー」と考えるのは40歳代以下の世代が大半で50代以上、特にバブル世代はスペシャリティカーのカテゴリーに分類します。 これもS13がデートカーブームの覇者から走り屋系ドリフト車へという対極とも言える2つの歴史を持つが故ですね。 (余談としてこのクラスで後輪駆動を採用した車が当時から少なくなってた為デートカー全盛時から走り屋車として重宝されてた所もありましたが、 S13のドリフト御用達的な立場が大きく確立したのは漫画「頭文字D」が登場した後の1990年代後半以降となります) ついでに余談として以前買ったこちらの本には初めての愛車だった「三菱スタリオン」のカタログが全ページ記載されてますが… これらの車が現行だった時代をリアルタイムで駆け抜けた証のごとく、上記のシルビア共々カタログの実物を所有してます。 を例えるならトヨタの「ハリアー」だと思います。それは走りに対してハイレベルを目指しながらも性能が徹底され過ぎではなく、また女性ウケを強く 意識しながら (仮に表向きだけでも)チャラ過ぎないというユルい所。 デートカーはその性質上、気持ち良い走りが可能ながらも高過ぎるスペックは必要なく「そこそこな感じで」「一生懸命過ぎない」ある意味でテキトー な部分が残ってる事が重要なのです。
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コロナ渦真っ只中だった2022年に同じ場所で撮影した写真。昨日撮ったと言ってもわからないくらい変化無し。 というかこんな感じで数十年経つと旧車に乗ってる感覚も無いため意識しないと写真も撮らない状況です。 (2024. 1.) |
こちらは今年4月に書いた愛車に関する内容。
遡る昨年12月に書いた内容です。(現在はオマケのページ内「自動車ショールーム & イベント →日産ギャラリー」に転載)
という事で昨年の秋一度不調になったあと回復した「エアコンの風を送るブロアモーター」が今年の夏から不調再発、 本格的に寿命が迫ってきたため「昨年末手に入れた」製廃部品のブロアモーターを点検入庫の際お店に持ち込んで 交換して頂きました。 ブロアモーターが故障するとエアコンスイッチを入れても風が出なくなり夏の暑さや冬の寒さに全く対応不可という、 特に近年の夏の猛暑を考えるとかなり恐ろしい事態が発生します。更にはエアコンOFF時の送風も出来ないので 窓の曇りをとったりなど換気も不可能という結構深刻な事案でもあったりします。 症状が初期のうちは振動を与えると回り出すので昨年の秋はモーターが位置するダッシュボード周辺を叩いて対処、 その後上記したように一旦回復して無事に年を越しました。ただ一度症状が出たら長くはもたないのでオークション サイトから昨年末モーターを落札し手に入れておいたんですね。 回復後はしばらく平穏な状況が続いてたものの…暑さが本格的になった今年8月上旬症状が再発。今度はダッシュ ボードを叩いてもモーターが回り出さないため助手席のグローブボックスを外し剝き出しにしたモーターを直接 叩いて動かす荒療治を車で出掛ける度に毎回繰り返すという状態に至ります。 赤い丸の所を数回叩くとモーターが回ります。一度回り出すと止まらないものの出先でエンジン切ると回らなくなる ので再度叩いて起こさなきゃいけないため一度の外出で3~4回叩いたりしてました。そんなこんなを繰り返しながら 今回の点検入庫まで延命させてた故に交換した後は半端なく快適です。 不思議な現象が起きました。(とは言え回り方も弱く回転時カラカラ鳴ってるので交換必須でしたけど) 体調不良のペットを病院に連れて行こうとするのに相手が気づくと元気になる (行きたくないので元気に振る舞う) のと似てるなと何となく思いました。
(2023.11.) |
今回タイヤも交換して新しくなりました。メーカーは最初の愛車だった「三菱スタリオン」も履いてたミシュラン一択。
余談として愛車後方の青い丸の中に写ってるのが昔スタリオンから外したフェンダーミラーです。
そしてその下にある黒いホイールはひとつ前の愛車「S13型シルビア」の鉄製ホイール。樹脂製のホイールカバーを 走行中に1個落として仕方なく社外アルミホイールに変えたとき外した物です。以上愛車歴史遺産コーナーでした。
という事で、 都内を車で頻繁に走ってると運転の仕事をしてる人並みに公衆トイレの場所にも詳しくなったりするのですが、 とりあえず最近印象に残ったのは代官山駅近くにある公衆トイレ小便器の上に書かれてた「渋谷はキング交通のシマ」という 落書きでした。(キング交通は足立区に本社があるタクシー会社です) (2023. 5.) |
先日の2023年4月1日、自分の愛車でもある「日産180SX」が34回目となる誕生日 =発売開始日を迎えました。S13型シルビアの 兄弟車として北米から凱旋、1989年4月1日に日本の公道へ登場してから遥かなる年月が経過… 何度も書いてますけど家の車は1994年型で人に例えたら来年ちょうど30歳。昨年秋にエアコンの風を送るブロアモーターが一度 不調になったものの何時の間にか回復、今のところ至って元気。 発売当初はデートカーコンセプト、後にドリフト走行等の走り屋系クルマに変化したのはシルビアと同じです。 デートカーコンセプト時代に買ったAT車なわけですけど最近は家電ばっかり運んでますナ。 こちらはデートカーとして使ってた頃。(ボカシ入れたし何より四半世紀以上前の写真なので大丈夫という事で) 因みに場所は湘南海岸沿いに当時あったマクドナルドの駐車場です。湘南も久しく行ってませんがグーグルマップのストリート ビューで調べたらマックのあった建物は後にファミレスのココスになりコロナ渦が発生した2020年に閉店。その後2022年12月 のストビュー画像でもテナント募集中のままになってます。 余談として車が写ってるマック専用だった駐車場は今現在「三井のリパーク」になってますが敷地の間取りはそのままでした。 (2023. 4.) |
まずは渋谷区神南で愛車を撮影。余談として左2枚の写真に写ってるタワーマンション「パークコート渋谷 ザタワー」の逆テーパーな建物形状が凄い。 その後港区南青山の青山橋へ。因みにこの辺りを住所で言うと南青山4丁目、橋を渡った先は南青山 2丁目になりますが、左2枚の写真で右側のマンション (NK青山ホームズ)が写ってるエリアだけ麻布の 区画域が写真左側から大きく食い込んでるため住所は南麻布2丁目となってます。 六本木を通り先日FS2020でCGを制作更新したばかりの「虎ノ門・麻布台プロジェクト」メインタワーへ。 余談としてメインタワーを真下から見上げるような感じの写真も撮りたかったんですけど、斜め向い側が ロシア大使館のため諸般の事情による厳重警戒から駐車がしづらく通り過ぎてしまいました。 高さ300mを超える325mは伊達じゃない…距離をとっても東京タワーとツーショットで両方完全に写真 へ収める事が出来ませんでした。 同水準かそれ以上に多かったみたいで都心は空っぽ。日の出から時間が経っても明らかにコロナ以前 より街がガラガラだったので制限付き3年の反動はやっぱり大きかったのかなと思います。 (2023. 1.) |
2021年4月1日に愛車「日産180SX」が32回目の誕生日を迎えました。 北米からの凱旋車として国内販売が発表されたのが1989年3月15日、そして4月1日に発売が開始。 それ故3月15日を180SXの誕生日と考えてるオーナーの方も多くいらっしゃいますが自分は販売が 開始され日本の道路に初登場した4月1日が誕生日だと考えてます。 悪友から「クーペの箱を載せたSUV」と言われるフルノーマルのAT車、もちろん分類番号は2桁。 する話題がニュースになりましたが、実は初代シーマと180SXのデザインを担当されたチーフデザイナー は若林さんという同じ方です。 因みに兄弟車で昔の愛車だったS13型シルビアのデザインを担当されたのは長野さんという方で現行 のZ34型フェアレディZも担当されてます。 (2021. 4.) |
年明けまで3時間を切った12月31日午後9時過ぎ、年越しラーメンを買ったコンビニの前で 2020年最後の愛車撮影。登場は1989年でうちのが1994年型、完全に30年前の車種という 事になります。またタマ数の急激な減少により現存車価格が高騰中で、状態が良いと新車 時の倍以上する値段で取引きされる車にもなってます。投機目的で買った訳じゃないので 手放しませんけど、この車の場合愛車のようなフルノーマルはほぼ皆無なので一体いくらに なってるのか…。 年明け後も自分の大好物な旧車イベント含め再開は期待出来ません。 と書きながらよく考えたら自分が今乗ってる車が既にイベントで展示される側の世代だった というオチでした。買物ついでのドライブという名目で週に数回、旧車の現役走行が行われ てるので昔の車が好きな東京近郊の方は運が良いと遭遇するかもです。稀有な存在というか 希少なクルマ故、見かけると幸せになれますよ。(青い鳥とか四つ葉のクローバーかい)
1月2日夜、起床後(!?)に買い出しへ。午後9時過ぎ再びコンビニの前で2021年最初の愛車 撮影、今回はライト点灯状態で撮りました。 かつて夜は不細工になると言われたリトラクタブルランプですが今は若い女性からカエル みたいでカワイイと高評価を頂く時代になりました。 (2021. 1.) |
今回の目的は港区芝浦の旧海岸通りに架かる竹芝橋という橋の上から… ここは1980年代前半に自分がハマってた刑事ドラマ「西部警察」のロケで後に伝説となった 究極のカースタントが行われた場所です。 1981年秋、この運河を日産のフェアレディZが約30メートルの大ジャンプで越えました。 で撮影され、その後シリーズのオープニング画面に使われました。ロケから約40年が経過して ますけど今回撮った写真でも確認できるように向かって左側のオフィスビル (大友ビル)が現存 してます。 余談ですが愛車の走行距離計は17万2千キロに到達、ただ15万キロでエンジン交換してる ので実質2万2千キロ。そして今も壊れずに良く冷えてくれる車載エアコンはデジタル表示 のオートエアコンです。この車が発売されたバブル期頃から高級車以外の車種にもオート エアコンが搭載されるようになりました。 (2020. 8.) |
池袋のサンサャインシティに近いこの場所、実は20年前放送してたテレビドラマのロケ地なのです。 右端の写真の青い丸の位置にドラマで使われてた建物がありました。 そのドラマは「池袋ウエストゲートパーク」。そして20年前この場所にあった建物とは長瀬智也演じる 主人公「まこっちゃん」こと真島誠の実家、果物店の「真島フルーツ」です。 余談として脚本は先日コロナの感染から無事生還されたクドカンこと宮藤官九郎氏。クドカンというと NHKテレビ小説の「あまちゃん」を思い浮かべる方が多いと思いますが自分はこちらの「I.W.G.P」。 地元とは言えない距離ですが自宅から自転車で行ける所 (小学生の頃から友達とこの辺で遊んでました) なのでロケをやってた事もリアルタイムで知ってました。その後の都市開発で街が変貌を遂げ、今現在は 青い丸の東京福祉大学池袋本館が無かったら同じ場所だと誰もわからなくなってます。 (2020. 4.) |
まずは代々木会館ビル「跡地」へ。昨年の夏から解体が始まった建物はその姿を完全に消してました。 こちらは2015年11月に撮った写真。 で時折り「傷天ファン」「傷天マニア」が訪れては建物を撮影、主人公の修と亨が住んでる設定だった屋上 ペントハウスへ侵入しようとして捕まる人も出たファンの聖地。また昨年は劇場アニメ「天気の子」の重要 な舞台として登場、建物が無くなる直前になって更に幅広い層の訪問を受ける事になった建物でした。 次に向かったのは昨年11月に完成した新国立競技場。今年のオリンピックでメイン会場になる新しい東京 のランドマークです。 2018年3月の新国立競技場。
見事に溶けてます。 当たり前ですが嘘です、10年以上前の竣工時からこの形です。 このグニャグニャなビルは銀座中央通り沿いの「銀座2丁目」交差点近くにあるV88ビル。銀座のド真ん中に ある建物なので知ってる人は知ってる変わり種ビルなのですけど…しかし何でこんな形にしたんだ?
そこは港区にある一見何の変哲もない公園ですが…実は縄文から弥生時代にかけての遺跡です。 発掘調査で見つかった竪穴式住居の跡や貝塚の一部を切り取った展示等、考古学的な価値も高い と思われる遺跡の数々が無料で見られる凄い場所が都心のド真ん中に存在。例えるとしたら静岡に ある登呂遺跡のミニミニ版みたいな感じ? 埴輪や土偶をモチーフにした説明プレート。 そして公園の奥へ進むと復元された縄文時代の住居がありその中には当時の生活を再現した展示も。 囲炉裏の炎が照明で揺らいでたり公園の施設とは思えない程の本格的な作りになってます。 一通り見学したあと公園の入り口で愛車の写真を数枚撮影して帰路に。という事で「はとバス」等では 巡らないディープな東京観光でした。 (2020. 1.) |
S13系の持病とも言われた経年劣化から出るダッシュボードのヒビ割れも室内保管により皆無です。 走行距離は16万8千キロをメーターは指してますが、15万キロでエンジン交換してるので実質走行 は1万8千キロ。そして今現在この車種としては天然記念物的な存在となったAT車…しかし、 スペシャリティカー世代。まあ啓蒙する程の事ではないですけど「正しい歴史認識」はこちらです。 余談として純正ホイールが安く手に入った話題のところで書いたようにシルビアと180SXのS13系は 「軽量・後輪駆動・安価」とスポーツ走行の為に生まれてきたような条件を備えてる車なのですけど… 上記したスペシャリティカー世代車だからという事と関係してますが本来はスポーツカーとして扱って はいけない車だという事を近年あまり知らない人も増えました。(念の為ですが若い方がスポーツカー として走らせ遊ぶ事自体は否定しません) 何故かと言えばS13は助手席側のメインフレームが途中で切れて後まで繋がって無いので元々が 攻める走り方に向いてないからなのです。 こちらは運転席側を下から撮った写真。一直線にメインフレームが車体を横断してます。青丸に注目、 をすると思いっ切り車体がねじれます。(180SXの場合最悪ハッチバックゲートが閉まらなくなります) それ故に助手席側のメインフレームを後まで伸ばすスポーツ走行用の後付けパーツも発売されたり しました。 因みに日常の街乗りでは特に問題ありません。逆に建物の地震対応でガッチリ固めた耐震構造 に対しての免震構造のごとく少し大きな負荷が加わった時はここから力がうまく「逃げてる」のでは と思う程、四半世紀が経過してる車の割には下回りがあまりヘタってないように感じます。 「しなやかに」走る事を優先して作られたスペシャリティカー世代だったが故、スポーツカー的外観 とは裏腹のこんな「ユルい」作りで世に出たとも言えますね。(剛性の低さで下回りがヘタらずに 車体の寿命が伸びてるとしたらそれは想定外な話ですが) (2019.12.) |
定期的にエンジンを回し一定の距離を走らせる事で旧車はコンディションを維持します。総走行距離のメーターは 16万5千キロを指していますが2年前15万キロでエンジン交換したので実質は1万5千キロ、走行距離の増加も 新車並みに気にならなくなりました。 余談としてリトラクタブルランプを昇降させると若い子が驚く事がここ数年で増えてるんですが、よく考えたら近年は リトラクタブルを見なくなったという珍しさを超え「リトラクタブル自体を知らない」世代も増えてるという事なんですね。 思いつきで中央分離帯の草むらを手前に入れて撮ったら何だか模型っぽい写真に。因みに今回の撮影場所は トイレ休憩と飲み物補充で立ち寄った「暁ふ頭公園」がある東京湾の青海埠頭です。 (2019. 8.) |
それは横浜を舞台にした刑事ドラマの名作、「あぶない刑事」に登場したバーの「ポーラスター」と 「スターダスト」。今風に言えば聖地巡礼というところでしょうか。 PVでしか知らない人向けに説明すると建物は舞台セットじゃなく実在する由緒ある老舗バーで今も夕方 から夜にかけ開店、営業してます。 愛車を前に置いて撮影。因みにバーの左側はすぐ橋になっていて、その先には在日米軍の港湾施設 「横浜ノースドック」があります。2018年4月には貨物船でやってきた横田基地配備のCV-22オスプレイ が5機先行で陸揚げされ、横浜ノースドックから直に離陸して横田へ向かい話題になりました。 2000年代に入ってから返還された一部のエリアは横浜市の管轄になってますが基本的に今も関係者 以外立ち入り禁止です。
その後写真を何枚か撮ってからギャラリーへ向かいました。 (2019. 8.) |
それは北区赤羽にある「桐ヶ丘中央商店街」。自分は今回初めて知りましたが昭和レトロ好きの人々には かなり有名らしく今までも探訪系サイトや各SNSで話題になってた場所みたいです。 殆どいなかった為、まるで映画のセットかと思うような写真の仕上がりに。 シルビアと兄弟車なので中身という点では「昭和」の車です) 十分に昭和を堪能したあと北区の中央図書館へ寄り道。来たのは2008年秋以来。 図書館の建物構造がこれまた凄い。 こちらは2006年に撮影した同じ場所。公園の整備が着々と進んでるもののレンガ棟はまだ廃墟状態 でした。余談として今回桐ヶ丘商店街と北区の図書館に行った日は2019年6月16日、そしてこの写真 を撮ったのは2006年6月14日。2日間ズレてますけど丸々13年前という事になります。 (2019. 6.) |
先日神田を走行中、愛車のフロントガラスに何かが当たり信号待ちで確認したらバッタでした。 という事で帰宅途中に遭遇した季節外れのトノサマバッタをガラスに付けたまま自宅に到着。 夕飯を食べたあと数時間後にガレージを覗いたらフロントガラスにまだそのまま… 翌日の朝に見たらいなくなってたので周りを探すと、ガレージ脇に置いてた段ボール箱の上に。 とりあえず驚かさないようそっと捕まえて庭へ放したら元気に草木の中へ消えていきました。 (2019. 3.) |
3月下旬、来年の東京オリンピックに向け全面建替工事中の新国立競技場を久々に撮影してきました。 (2019. 3.) |
日の丸をイメージしたこの真っ赤なオブジェを久しぶりに買い物ついでのドライブで見に行ったら、 2020年東京オリンピックの仕様に模様替えされていました。 という事で上記の赤い球体だった時の写真を最初に撮ったのは2016年5月、そこから約3年が 経過してますが車は同じです。 1994年型の愛車は今年でちょうど四半世紀、生産年度を誕生日とするなら25歳。2年前に交換 したリビルトエンジンが慣らしを終えた新車のように馴染んだ事で3年前より好調になりました。 因みに1994年はこの教習所のすぐ近くにある「恵比寿ガーデンプレイス」がオープンした年です。 そして4月1日には180SXが車種として登場した1989年から遂に30周年を迎えます。同年暮れに 日経平均株価が約39000円という日本史上最高額を記録した年に誕生した「バブルの申し子」。 好景気の中で高品質な部品が選択されしっかりと作られてた事も関係してるのか四半世紀の間 に大きな故障は数回だけで今のとこ至って元気ですが、これから先あとどのくらい変化を続ける 東京の街を車に見せてあげられるんだろう… 参考として180SXが世に出た1989年は「横浜ベイブリッジ」が開通した年でした。 を題材にした映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の中で、主役の広末涼子がタイム スリップする「建設中のレインボーブリッジ」が出てきたバブル時代シーンが1990年の設定です。 (2019. 3.) |
先週末スタッドレスタイヤをハメ込んで初めて装着しました。 このホイールはS13シルビア & 180SX以外にもR32型スカイライン、C33型ローレル、A31型セフィーロ にも当時装着され日産の純正ホイールとしては結構メジャーな部類になります。ただ現行から約30年 が経過してるので、これから先はどんどん入手が難しくなってくかもしれません。 低くスラントしたノーズにリトラクタブルヘッドランプ、衝突安全や各種保安基準変更など諸般の事情から こういうデザインの車はもう発売される事はありません。ただ新しく作る事は出来ませんけど「現存してる 車を現行で乗る」のは問題なし…正に既得権。 余談として若干言葉に語弊があるかもですが法規は時々面白い結果を生む事があるもので、例えば もっと古い車でシートベルト着用が法制化される前に作られた「ベルトそのものが無い車」をノーマルで 乗る場合どうなるか…答えは無ければ出来ないので「しなくてもお咎め無し」なんですね。 (2019. 1.) |
フロントガラスには正規シールが届くまでの暫定書類、「保安基準適合標章」が貼ってあります。こちらも 毎回恒例となりました。 (2018.11.) |
体調が回復したので24時間営業スーパーへ早朝から買い出しに。後部座席に買った物を置ける4シーター の2+2クーペは最低限の実用性を備えています。
そのまま車を都心に走らせ建替工事中の新国立競技場を約1ヶ月ぶりに撮影。外観はあまり変化無し?。 もう一ヶ所撮影したのは太いパイプのような屋根付き陸橋。 こちらは正月のドライブで撮影した「トンネル であってトンネルではない乃木坂トンネル = 南青山陸橋」を横から撮った写真です。 (2018. 4.) |
急ピッチで建設が進んで着々と完成に近づいてるものの工期が約1年しか残ってないので間に合うか 少しハラハラします。 (2018. 3.) |
その後再び渋谷に戻り原宿から表参道を抜け有名ブランド店が連なった青山の「みゆき通り」へ。そして みゆき通りの左カーブを道なりに進んだ先の「青山橋」で停車し今年初の写真撮影。因みにここは定期的 に都内を流すようになってから初めて愛車や風景写真を撮った場所です。
青山橋からそのまま進むと乃木坂トンネルが現れます。青山と赤坂を繋ぐこのトンネル、実はトンネルで あってトンネルではありません。後半部分はトンネルらしき状態になりますが写真の入口は道路が下を通る 「南青山陸橋」。半円のドーム屋根で走る車がトンネルに入ってくような錯覚を起こすという感じです。 赤坂側の出入り口にしっかり「乃木坂トンネル」と記されてるから。確かにこっちから入ったらトンネルですね。 こちらは東京ミッドタウン。ここが市ヶ谷へ移転する前の防衛省(旧防衛庁)だったのを知ってる人はどの位 いらっしゃるでしょうか。
そして六本木を経由し「東京タワー」へ。 余談ですが時として都市伝説的に語られる事が多いフリーメーソンという結社があります。「バベルの塔 = アメリカの合衆国紋章裏側に記された未完のピラミッド」を建造した石工の集まりを紀元 (諸説あり)に持つ とされる団体で世界中にロッジと呼ばれる支部があり、実はその日本支部が入ってるのが東京タワーの隣 にあるメソニックビル。と、ここまでだと単に隣にあるだけで話が終わってしまいますが… メーソンにとって特別な意味を持つ数字は「33」です。アメリカのホワイトハウス近くにある本部寺院を囲む 柱は本数が33本、その柱の高さは33フィート、住所が1733番地と全て33という数字に絡めて作られてます。 そして東京タワーは昭和33年完成、高さは御存知のとおり333m…(数字の話は事実ですがこれもあくまで 都市伝説です) 次に向かったのは「グローバルゲートウェイ品川」という再開発計画が具体化してきた事で消滅の現実味 がいよいよ増してきた都内屈指の天井が低いガード下、「高輪橋架道橋」。 実はここで写真を沢山撮り過ぎて整理に時間がかかりました。(再開発工事が始まり、いつ閉鎖され通れ なくなるか分からないので) ミニバンやSUVは全滅ですが、ここまで来ると普通のセダンでもギリギリ。 ここまでの写真を撮るのに周回しながら3回ガードを通りました。 高輪のガードで結構時間を使ったので夜が明けてしまい、そこそこ交通量も増えてきたので撮影しながらの ドライブも終盤です。こちらは完成してから初めて写真を撮る銀座6丁目の「GINZA SIX」。 そして締めは日産の銀座ショールーム「NISSAN CROSSING」前で。この撮影を最後に帰路へ着きました。 (2018. 1.) |
今回愛車を撮った場所からは整備中の豊洲大橋が見えます。豊洲大橋は2008年に本体が完成したあと未整備のまま 約5年間放置され、2020年のオリンピック開催地が東京に決定した事をきっかけに工事が再開。今年2月、選手村建設 の工事車両限定で暫定的に開通しました。 同じ場所で2015年1月に撮った写真と比べるとかなり眺望が変わってます。
(2017.10.) |
愛車が戻ってきました。リビルトエンジンなので見た目は交換前とあまり変わりませんが走らせると全然違います。 異音が消えエンジン回転も快調そのもの。これからお盆休みで都内の道路は何日かガラガラになりますが、今年 は連日天気が悪いみたいなので恒例にしてるこの時期の都心ドライブをどうしようか考え中。 2017. 8. |
今のエンジンで最後のドライブと称し先週出向いた東京湾の「暁ふ頭公園」。国内の衝突安全基準変更や 近く実施される夜間ヘッドライト自動点灯の新車義務付け、北欧やカナダ等の霧対策による昼間も含めた ヘッドライト常時点灯法制化でリトラクタブルヘッドライトのようなライトを格納する車の意義が実用性だけを 考えれば皆無となり、未来永劫こういう形の車は作られる事が無くなったので更に手放せなくなりました。 までに分解整備した中古エンジン)になります。
(2017. 7.) |
まずは自宅から山手通りを使って南下し代官山の東急東横線渋谷1号踏切「跡地」へ。
因みに自分的にこの場所が印象深く残ってるのは昔作られたテレビ番組の1シーンで、それは1989年に放送 された中山美穂主演「君の瞳に恋してる!」というドラマ。とりあえず倉庫に眠ってたビデオを出してきて久々に 再生したら…懐かしいの域を越えた映像の数々で言葉がありません。当初踏切の映像目当てで出したビデオ でしたが結局全部観てしまいました。 だった中山美穂が踏切で人にぶつかりコンタクトレンズを落として探してたところに車で通りかかった石田純一 扮するプレイボーイ役の男が一緒に探してくれて主人公が一目惚れするという、これまたコテコテな展開。 余談ですがタイトル名の元になった1982年リリースのボーイズ・タウン・ギャングが歌う楽曲「君の瞳に恋してる」 は後に作られた映画「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」の主題歌に使われ、バブル期のイメージソング みたいな感じになりました。 出来るというのは感慨深い物がありますナ。 代官山を後にし恵比寿ガーデンプレイスへ。ここも週に数回は通る場所ですが、実は彼女がいた頃にデートで来て 以来一度も車から降りて中を散策していません。 次は渋谷の交差点。早朝で殆んど人がいない中、オールで遊んだ後と思われる若いお姉ちゃんお兄ちゃん達に 注目されながら車道に出ての撮影。様々な事情から二度と登場する事がないであろう「リトラクタブルヘッドランプ」 という機構を持つ愛車ですが、自動車に興味が薄く尚且つこの仕組みを完全に知らない世代の子ほど走り出す際 や停車する時にライトを上げ下げすると本気で驚いてくれる事があり運転手はそれを勝手に楽しんでます。 街でほぼ見かける機会が無くなったが故に、かつてスーパーカー世代だった自分がカウンタックのリトラを初めて 見た時のような驚きとある種の新鮮さがあるのかもしれませんね。 その後青山通りを使って都心を縦断、三宅坂から内堀、晴海通りへジョイントし銀座方面へ。途中で数寄屋橋 交差点に面した角地に昨年3月オープンした「東急プラザ銀座」ビルを背にした車を数枚撮影。 そして銀座。昨年秋リニューアルオープンした日産の銀座ショールーム「NISSAN CROSSING」前でやっと愛車の 写真を撮れました。上記の渋谷もそうですけど、銀座も普段は人混みが凄すぎて停めた車の撮影等はなかなか 至難の業…な場所です。 銀座4丁目交差点から6丁目へ向けて車を転がし数年前まで松坂屋だった場所へ向かうと…そこには今年4月 オープン予定の巨大な建物「GINZA SIX」が。しかし本当にデカい。
最後にいつもの汐留シオサイト5区「イタリア街」、久々に車を円形広場ド真ん中へ置いて撮りました。 (2017. 1.) |
ここぞとばかりに都内あちこちを自由に走り回った後、お台場の先にある青海の突端へ。ここには 海に面して「暁ふ頭公園」という小さな公園と無料の駐車場があるので気軽に車を停めトイレ休憩 や飲み物の補充等が出来ます。 いらっしゃいます。自販機でコーラを買って戻ったら車の中がサウナの様になってました。 お台場のランドマーク的存在とも言えるフジテレビが見えます。 そして日が暮れてきた頃これも恒例?となった都内の珍名所へ。今年前半ペットとして猫が注目される 猫ブームがありましたが、それに因んでって事ではないものの「建物の壁面がそのまんま猫」の通称 「ネコビル」へ初訪問。 文京区小石川にあるこのネコビル、実は作家やジャーナリストとして著名な立花隆氏の事務所&資料庫 です。壁の猫は25年前にビルが建てられた時から描かれてて、猫好きの方やコアな隠れ名所好きファン が時々訪れては写真を撮ってく (一部で)有名な場所となってます。 (2016. 8.) |
車を受け取った後そのまま都内をしばらくドライブ。とりあえず無目的なまま車をころがしながら、そう言えば 年末の12カ月点検後はドラマ「傷だらけの天使」ロケ地のエンジェルビルへ行ったなと思い出し今回も都内 の珍名所へ寄ってみるかと向かったのが… 目黒から恵比寿へ抜ける道の途中にある「日の丸自動車教習所」です。一見普通のビルですが、実はこの 建物には「ある秘密」が。 目の前に現れるのは…"日の丸" 飛び出した状態で貼り付いてます。ビル前の道路側からはこの球体が殆んど見えませんが山手線の車窓や 近くの陸橋からはよく見えるので、初めて視界に飛び込んできた時に何だか判らず驚いた方は結構いるかも しれませんね。実際近くで目の当たりにするとかなり凄い光景です。 (2016. 5.) |
こちらはセンターコンソール前方の「ノースモーカーボックス」、車の購入後に追加で買った「灰皿を小銭入れ にする」ディーラーオプションです。 一箱440円に値上がりした事を聞いてビックリ。 以前も同じ事をしましたが1日2箱吸うとすると1年で440×2 =880円の365日で32万1200円…とタバコにかかる ランニングコストをまた計算してしまい数十年前吸うのをやめた事に再び安堵。(喫煙者の方には本当に恐縮 ながら年間32万は金額的にやっぱデカいです) 折りしも納税時期が絶賛到来中の自動車税ですけど数年前上記の友人から登録13年超で増税になった愛車 の税金を「維持費、高!」と言われ、「これは趣味車だから同じ遊行・娯楽にかかる経費として考えた場合タバコ の年間コスト (4年前だった当時は一箱410円×2で年29万9300円)のほうが不経済だよ」と言い返し、ちょっと 微妙な空気が流れた事がありました。 (2016. 5.) |
そしてこちらはガチで19年前の1997年1月3日に撮った写真。シャッター付のガレージという環境や純正フッ素 コーティング施工車だった事もあったと思いますが外装の劣化がまったくありません。因みに横に立ってる自分 は約20年の歳月により外装がおっさんになりました。 (2016. 4.) |
現行所有の愛車「日産・180SX」や昔乗ってた「三菱・スタリオン」の他… 教習所通いしてる時に一番欲しかったA60型「トヨタ・セリカXX」、保存状態の良好なフルノーマル車があれば今でも欲しい同じく トヨタのA70型「スープラ」。 そして「日産・S13型シルビア」の登場までデートカーの王者だった「ホンダ・プレリュード」、登場した時「行きつくところまで行った 究極のデザイン」だと思った「スバル・アルシオーネ」等、最初から最後までリトラ三昧の一冊。この他にも日本車、外国車問わず 沢山のリトラクタブルランプ搭載車が特集されてるので興味を持たれた方はぜひ買ってみて下さい。 余談ですがこの本で特集されてない (輸入車特集の冒頭に小さく写真だけ載ってます)リトラクタブルヘッドランプ車を1台、かつて BMWのラインナップに存在してた「8シリーズ」です。昔はBMWもリトラ車を作ってたんですね。(写真は4.4リッターV8エンジン搭載 の「840Ci」1996年版カタログ) (2016. 4.) |
約60キロ走ると走行距離が14万キロに到達。今のところ至って元気です。 タイヤブランドの王者とも言えるミシュランを今現在夏冬の両タイヤで愛車に履かせてますが、実は昔乗ってた スタリオンもミシュランを履いてたので (スタリオンはミシュランXVSを標準装備)初めて買った愛車でミシュラン デビューしていました。 (2016. 4.) |
そのランキングで3位のホンダ・インテグラ、2位のクライスラー・ジープ・ワゴニアを抑えた第1位が、 昨年8月に国内のサイトで「レストアしてお金をかけても乗りたい旧車」の1台に選ばれた時よりも驚きました。 ワイルドスピードその他の車をテーマにした洋画で主役を務めた事もなく、さすがに海外でそこまでの人気 があるとは思ってなかったので… (2016. 2.) |
夏タイヤと同様にタイヤ側面では「ミシュランマン (ビバンダム)」が手を振ってます。 (2016. 1.) |
まずは渋谷、代官山、恵比寿方面を回ったあと代々木へ抜け、昨年出向いた日が曇りだった為、晴れた日 にもう一度行こうと考えてたTVドラマ「傷だらけの天使」ロケ地、代々木会館ビル (エンジェルビル)へ。本当に いつ来ても時間が止まったような独自の雰囲気を漂わせてる場所です。 余談ですが後ろの高層ビルはNTTドコモの通称「ドコモタワー」。実はこのビルが作られてる頃は代々木方面 にまったく出向いてなく建ててるという情報も知らず、竣工して間もなく何の予備情報も無いまま初めてその 全体像を見たのは池袋サンシャイン60の展望台から。 突如その姿が都心に出現したように見えた自分はつい当時の彼女に、「何で東京にエンパイアステートビル があるんだよ?」と言ってしまったのはマジな話。 代々木のガード下と踏切 (ここもまた風情あるんですナ)を抜けたあと環状5号(明治通り)から246(青山通り) に入り赤坂を通って銀座も抜け、汐留イタリア街で愛車の写真を初撮り。自画自賛ですけど愛車のスタイル は直線基調過ぎず曲線基調過ぎる事もなく、また保守的過ぎず前衛過ぎるわけでもないハッチバッククーペ の王道なデザインだと思ってます。乗っちゃうと自分では見えないですけど買い物から戻って来た時その他、 駐車場にこの車の姿があると本当にワクワクするんですね。 (2016. 1.) |
「我が青春のリトラクタブル」って見出しはリトラクタブルヘッドランプが流行った時代ド真ん中の世代には たまりません。付録で2016年度のカレンダーが付いてます。 もしこれが実施されれば開閉式ヘッドライトのリトラが作られる可能性は殆んどゼロになり (現時点でも北米の 法体系でほぼゼロですけど)、ますます現行所有の既得権が大きくなって手放せなくなります。今の若い方は 1980年代にどんな感じでリトラクタブルヘッドランプが流行ったのかまず想像がつかないかもしれません。 一番わかりやすいのはバブル前夜の1987年秋に公開された映画「私をスキーに連れてって」かもです。 「スキー」に「クーペ車」という当時のトレンドを体現した代表的な作品。今なら「スノボ」に「SUV」ってところで、 例えばトヨタの「ハリアー」や日産「エクストレイル」が活躍するような場面もすべてリトラクタブルヘッドランプ 搭載の「クーペ型スペシャリティカー」なのです。 気分になります。 先日ネットニュースでカセットデッキを搭載した旧車に若い方を乗せたらカセット挿入口を「iPod」のドック と間違えて突っこみiPodを壊してしまったという話を読み、真偽は不明ながら「今ならあるかもなあ…」と 思いました。 セリカGT-FOURも売れました。 ついでに余談ですが「私をスキーに連れてって」を制作したのは後に「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」 を作ったホイチョイプロダクション。そしてそのホイチョイ作品の中に以前も何度か書いてますけど自分が一番 好きな「波の数だけ抱きしめて」という映画があります。 の男が脇役で出てくるんですが… しまったという…ミーハー加減がハンパない話でスミマセン。 ベストセラーになった「見栄講座」という本 (実はこれもホイチョイプロダクション)の洗礼を10代後半で受けた バブル世代の名残り的な行動でありました。 そしてテキトーな性格から今風に変節を遂げた所がありながら名残りもあり…ゴールドの上にプラチナや センチュリオンとステータスが高いカードが存在する中、とりあえずプラチナのinvitationが何度も来たにも かかわらず、「年会費が上がるのに白金は金より目立たない」というある意味での費用対効果、いわゆる コスパが悪いので作りませんでした。 (2015.12.) |
それは新宿の隣、代々木駅すぐ横の代々木会館ビル。1974年放送の名作ドラマ「傷だらけの天使」 のエンジェルビルと書くと解る人出てくるかな…? 何と2015年の今も現存してるんですね。 何度も通ってる場所ながらビルを写真に収めるのは初めて。天気があまり良くなかったので晴れた日 に改めて行こうと思います。
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大きかったのです。免許を取得してからずっと無事故無違反を24年間 (現在も「無事故」は歴31年で継続中) 維持してたのでゴールド免許が途中に3枚はさまってます。 をかけてしまいました。 言えないような走り方をしてた頃も。 あの時代を思えば人間てのはちゃんと落ち着く (運転に関してだけですが)ものなんですね。 (2015.10.) |
EV= 電気自動車が予め充電した「蓄電池」で走るのに対し、FCV= 燃料電池車は充填した水素と走行中取り込んだ 空気中の酸素を化学反応させ「燃料電池」で常時発電しながらそれを動力源として走ります。 1回の水素充填にかかる時間は約3分で航続距離は600キロ以上、ただ肝心の水素充填ステーションがまだ殆んど 無いというのがネック。
前回トヨタのFCV「MIRAI」が映画バック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンにあやかって10月21日にアメリカ進出を 遂げた事を書きましたが、来年春にはホンダもトヨタの上を行く継続距離700キロを謳うFCVを市場投入します。 実は日本の自動車メーカーが揃ってFCVの導入をアメリカで急いでる背景にはかつてのリトラクタブル・ヘッドランプ と同じく北米の法体系が大きく関係してます。それはカリフォルニア州が施行してるZEV法 (販売する車の何割かを EVやFCV等のゼロ・エミッション・ビークルにする事を義務付ける法律)の2018年度改定で環境適合に関する定義が 大きく変わる事。(正確には優遇クレジット変更による100マイルの壁と、他州で売れたZEV車を販売数割合に合算 してもいい「トラベル条項」という特例基準の変更)。 まず2018年改定で航続距離が100マイル(160キロ)以上の車とそれ以下の車で優遇処置に違いが出てくるんですね。 これによりアメリカでZEV車を売る際には航続距離が長い車のほうが有利という方向へ流れが出来つつあります。
そしてもう一つの「トラベル条項」優遇についてですが2018年以降は優遇を受けられるのがFCVのみになり基準から 外れるEVは売上総数がカリフォルニア州だけで計算され、更にFCVの数割しか優遇されないというある意味不利な 条件になります。(とりあえずこの変更がZEV情勢にどう影響するかは今の所わかりませんが) 深読みをするなら中国が国策レベルで中国製EVを世界標準にすべく動いてる事に起因する米中の規格争奪、経済 戦争の余波を受けたような状況なのかもしれません。そう言えば1980年代、日米貿易摩擦が過熱してた頃はアメ車 の日本輸入時に実施される厳しい審査基準が「非関税障壁」だと揶揄されてた事もありました。 (2015.10.) |
180SX愛車歴約20年、ただしフルノーマルAT車乗り (教習所へ通ってる時、教官に一番褒められたのは「サイド ブレーキを使わない坂道発進」だったのに実際の運転ではギアチェンジが面倒くさいダメ人間です)の自分としては CMの中で180がリーフとの競争で負けても何も感じず反響の方向に驚いてるところ。それどころか発進時の特徴 あるテールランプやゴールする際の流麗なシルエットが多くの人の目に焼き付けば180SXという車に再び関心を 持ってもらえるとリーフ主役のCMなのに「焼け太り」的な事を考えてたりでして… てか当時発売されてたすべての車の中で自分が「一番カッコいい」と思い買った価値観が2015年の今でも通用する 結果に大満足な上、渋谷で歩道の女の子から「乗りた~い」と言われたというオイシイ出来事も。(一応ですがCMと 関連あるかはわかりません) とりあえず20数年の時を経てこの車の姿を人々の中に呼び起こすCMが登場したのは少なくとも現行でフルノーマル に乗ってる自分にとってはある意味メリットのほうが多い感じです。 なってるのかもしれません。 時効だから書いちゃいますけど三菱スタリオンに乗ってた20歳前後の頃、都内の自宅から江の島まで45分で到着 する走り方 (今は若気の至りとしか言えませんけど、まあでも本物の走り屋からすれば45分で東京から江の島は そんなにスピードを出していない方でしょう)をしてた頃だったら速さに拘わってCM内容に憤りとか感じたのかな… とは書いてみたものの、そのスタリオンも「見た目で選んだAT車」でした。 (2015.10.) |
見事に自分の車が映ってるのを確認、愛車がGoogleマップデビューしました。 (2015. 8.) |
D1等の競技も登場して今の車好きには走り屋ドリフト系の象徴みたいな立ち位置に置かれてる180SXですが、 デザインに惚れて購入したので昔からいじる気まったくなし。FRかどうかも購入の条件じゃなくギアチェンジも 面倒だったのでAT車を選んだという、「この車のオーナーとしては」かなりの変わり者です。 フルノーマル故に与えられた悪友からの「クーペの箱を載せたSUV」「音が静かになるよういじった車」等の 称号に先日「こだわらないのがこだわり」という新しいキャッチフレーズが加わりました。 今回車を撮影したポイントは以前も訪れた場所ですが望遠レンズ付きのちゃんとしたカメラを持ってくれば 羽田に着陸する飛行機の撮影に好条件な場所かも。 前にここで愛車の写真を撮ったのは2008年8月。引退したANAのB747「ピカチュウジャンボ」の姿が。 (2015. 5.) |
この日は工場がフル稼働中だったらしく煙突の煙と共に非常に"ケミカル"な匂いが全体に漂ってました。 そしてもう一つの工場夜景名所、「夜光」へ初の訪問。寒い上に風が凄く強くてスマホを持つ手が煽られ 撮った写真が全部ピンぼけ。 とりあえずちゃんとしたカメラを持って天候が穏やかな日にリベンジしたい感じです。 (2015. 2.) |
プラントマニア (なんじゃそりゃ)や工場夜景好きの間でかなり有名な場所、神奈川県川崎市の千鳥町 「日本触媒 千鳥工場」前です。 まるで近未来都市…。ターミネーターでも出てきそうな浮世離れした光景が目の前いっぱいに広がる この空間を遂に体感。 NISMOショールームからの帰り道に思いつきで立ち寄ったので防寒対策をしてなかった為、あまりに 寒過ぎてゆっくり出来なかったのが残念。 余談ですがこの場所の他にも住所名が「夜光」というそのまんまな工場夜景スポットも今回の場所の 近くにあるので、ちゃんと防寒準備をしてからまた行こうと考えてます。 (2015. 1.) |
まずは汐留へ。汐留シティセンター向かいの駐車場へ車を停め、昭和通り方向へ歩いてポルシェ 販売店近くの脇道に入ると… 古めかしい建造物が突然目の前に現れます。 実はここは日本の「鉄道発祥の地」。 この建物は1872年(明治5年)日本初の鉄道が東京~横浜間に開通した当時この場所にあった 「旧新橋停車場」の復元駅舎です。 1914(大正3年)まで東京からの始発駅でしたが同年「東京」駅が丸の内に開業し旅客ターミナル がそちらへ移動した時に駅名を「新橋」から「汐留」へ改名、それ以降は貨物専用駅になりました。 その後1923(大正12年)に起きた関東大震災で焼失したあと駅の存在は殆ど忘れ去られてしまい、 近年になってから汐留再開発に伴う遺跡調査で当時のホームと共に土台部分が見つかりました。 そしてちょうど建物が失われてから80年後となる2003年に復元が完了し現在に至ります。 建物の裏手に回るとホームの一部も復元されてます。奥には当時のレールを使った線路も。 思う東京の「隠れ名所」ですね。そして今のところ鉄道関連には強い趣きを置いてない自分が何故 ここを訪れたのかと言うと… 同じ汐留シオサイト敷地内の「イタリア街」広場で愛車の写真を何度か撮ったのがきっかけです。 この広場の由来を知った流れから日本「鉄道発祥の地」のモニュメントとして復元された旧新橋 停車場も観ておこうと考えました。 実はこの広場の円形部は、上記の新橋停車場と同じく汐留再開発時の発掘調査で見つかった 機関車を回す転車台 (ターンテーブル)を記念して作られました。円の輪郭部分には発掘された 本物の切石が一部使用され、広場の真ん中には由来が解説されたプレートが埋め込まれてます。 ここから余談ですけど広場の「この作り」で、「このプレート」を何気なく大雑把に読んでしまうと 当然のように「転車台」がここにあったと思ってしまいますが…実際に転車台があったのはこの 場所じゃないわけですね。(プレートの説明をちゃんと読めば「転車台があった元の場所はここ じゃない」という趣旨の解説になってます)。 首都高速八重洲線を目印にして今の地図とイタリア街広場のプレート写真を照合すると判りますが、 転車台が位置してたのはシオサイトの「C街区」と呼ばれる場所。 現在の「ロイヤルパークホテル・ザ・汐留」エントランス付近となります。
汐留シオサイトを後にして新橋方面へ向かい、年中通ってるものの撮影は初めての「築地虎の門トンネル」へ。 路肩に車を停めて交通量が殆んど無いこの時期にしか撮るのが難しいトンネル入り口を撮影。 余談ですがこの道路が終戦直後、GHQのダグラス・マッカーサーによりアメリカ大使館と竹芝桟橋を直でつなぐ 為に計画された事で「マッカーサー道路」と呼ばれるようになったという話は「デマ」です。 ここは自動車専用トンネルの地下部とその真上を通る歩道も備えた地上部があって、今回は地上部の通称 「新虎通り」を走行。名古屋に有名な道幅「100m道路」がありますが、この道も昭和25年(1950年)に40mへ変更 されるまで100mで計画されてました。 虎の門へ抜けたあと一旦迂回して今度は「虎の門ヒルズ」側からトンネル入り口を撮影。そして左の側道へ 入り「新虎通り」を新橋方面へ戻ります。その後旧盆の時も写真を撮った銀座松坂屋 (工事中)の前を抜けて… ちょっと端折りますけどお台場方面へ。写真の道路 (地図での赤い線)は昨年3月豊洲埠頭に開通した 「補助都道315号線」。この新道ですが数ヶ月間この周辺の道を通らない間にいきなり完成してたので、 自分的には「突如として現れた」という感じのとてもインパクトが強かった道です。 そして東京ゲートブリッジ…を渡らずに側道へ入り橋の下で記念撮影、ゲートブリッジのの高さが凄い。 豊洲埠頭へ戻ってきました。 こちらは地図の「青い矢印」方向へ向けて撮った写真ですけど、「赤い線」 (写真では赤い丸の中)は 2008年に完成後ずっと放置されてた豊洲大橋。2020年の東京オリンピック開催地決定の効果もあって 半年ほど前から工事が少しづつ再開しました。 (2015. 1.) |
まずは今年初めにスマホ更新後のテスト撮影で出向いた汐留シオサイト5区「イタリア街」、初の昼間撮りです。 この日は朝から出て現地到着が午前8時前、何故この時期のこの時間帯に出向いたのかというと… 次に向かったのは「タクシー提灯殺し」の別名を持つ都内屈指の天井が低いガード下の「高輪橋架道橋」。 品川と田町の間に新しい駅が出来るのに合わせて広い新道が出来る計画なので、見物したり通ったり 出来るのもあと数年かもしれません。 にある「トンネルの天井に車が引っかかったのを見つけた人は知らせて」の趣旨看板を今回やっと撮影。 次は銀座中央通り。1年前閉店した銀座松坂屋跡地を含む銀座6丁目の広大な土地が現在再開発で更地状態 の為「銀座の空」が広い… 為に無くなり普段見る事が出来ない「隣のビル壁面」が露出してます。 次は東京駅周辺へ。上記「イタリア街」と同じく何気にヨーロッパ的な感じで写真が撮れる (と勝手に考えてる) 場所としてピンポイントで狙ってた丸の内2丁目の丸ビル脇の道にて初の撮影。共通なのは石畳風の道路? そしてもうひとつの何気にヨーロッパ風な雰囲気で写真が撮れる (と勝手に考えてる)場所、渋谷区広尾1丁目 「恵比寿プライムスクエア」。 最後に代官山の東急東横線「渋谷1号踏切」跡地へ。 いまだにここを通ると「踏切一時停止」をしそう (しませんけど)な気持ちになります。そして時間が10時をまわり、 御盆とはいえ人や車の往来がそこそこ増えてきたので撮影ドライブは終了。 (2014. 8.) |
買ってから約20年どこもいじってないフルノーマル。現存する同型車は車高を大きく下げてる」個体が大半 を占める故に、その股下の高さで友人から「クーペの箱を載せたSUV」と意味不明な事を言われてます。 それに加えマフラーも変えてる個体が多い為もちろん冗談ですが「音が静かになるよういじった車」とも… とりあえず (床下の)車高も排気音もこっちが元々です。 そして余談ですけど180SXに乗り換える前…若かったので「極めて不純な動機」にて兄弟車のS13シルビアに 約5年乗ってました。今Googleで「S13」を検索するとヒットするのは殆んどが後の峠を攻める車としての話や 改造パーツのデータですが、「S13デートカー」と検索すれば元々の違う歴史を知る事ができる「一粒で二度 おいしい」とても面白い車です。
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タイヤ側面でミシュランのイメージキャラクター「ミシュランマン (ビバンダム)」が手を振ってます。 そして走行距離が12万キロ超え。1万キロの走行に約1年、以前よりはゆったりしたペースに走行距離の増加が 落ち着いてます。ただ1ヶ月1000キロ以上走ってた頃があるものの海外へよく出向いてた時期は年間5000キロに 満たない事もあったりで年式からすれば走ってない部類になるかもですね。 トラブルも無かった」と言われ「いや、本気で惚れればオネーチャンに対しても一途 (いやマジですって…)だから」 と応戦。 (2014. 9.) |
納車された日に近所の道路で撮った最初の写真。愛車は1994年型ですが180SXが新車として販売開始された のは1989年4月1日。ガチで来年25年目を迎えます。 同じ場所にて以前の愛車、兄弟車のS13シルビアも撮ってます。S13の新車販売開始は1988年5月17日なので 180SX (RS13)は約1年遅れて登場。 (2013.12.) |
田町と品川の間にあるこの場所、愛車の後ろに写ってる大きな通りが国道15号です。 低いガード下」として知る人ぞ知る「高輪橋架道橋」という珍名所。 別名があったりします。 いよいよ通過、後続車がいなかったので時々停車しながらの撮影。高架下の高さ制限驚異の「1.5m」、クリアランス をとっても車高が1.6m以上ある車はここを通るのは危険。(一番天井の低い所は1.64mだそうです) このカード下は山手線、京浜東北線、東海道線、東海道新幹線を潜るだけじゃなく車輌基地 (田町車両センター)の 真下でもあるので地底気分のまま200m以上の距離を突き進みます。 場所はここです、青い線が国道15号で赤が高輪橋架道橋。広い鉄道敷地の下を見事に横断してます。 (2013.11.) |
歴代の愛車S13シルビアと180SX、近年では車好きの方々からガチガチの走り屋仕様の扱いを受ける 事の多い小型FRの兄弟車です…が昔を知る者としては若干違和感もあったりします。 「流行のデートカー市場を奪う」という目的で市場投入された (目的も達成)事実がもちろん書かれてます けど…後の辿った経緯を考えれば「走り屋御用達車」というのが今は大半のイメージなんでしょうね。 |
それがコレ、リクルート発行の中古車情報専門誌「カーセンサー」1985年1月号です。 |
記事には書いてないですけどプレリュードがデートカーとして人気が出た理由の一つに「助手席を倒す リクライニングレバーが運転席側についてる」という他車に無かった特徴が…(どういうシチュエーション でその実力が発揮されたかは敢えて説明しません) 「運転席側から助手席を倒すレバー」はついてません。 実はあまり知られてませんけど「運転席側から助手席~」レバー、2004年に日産から発売されたティーダ (2012年8月販売終了)という車についてたりします。 遥か昔に流行も去り最初からデートカーを「売り」にしてる車じゃないですけど、一時期「ちょいワルオヤジ」 の流行語を生んだ「LEON」という雑誌とコラボしてイメージキャラクターにジローラモさんが起用された事が あるのは暗に何かをアピールしてたのかも… |
完全フルノーマルAT車、カーナビ取付とカップホルダー以外購入時からどこもいじってません。小型FR (後輪駆動) で 特にスポーツユースやチューニング用素材の原型で使われる例が多い車の為、まったくいじらない事で知人から以前 「車種の選択にこだわりが有るのか無いのかわからない」と言われた事が。 クーペでスポーツカー的な外観ながら元々「デートカー」という乗り心地重視のコンセプトで登場したS13型シルビアの 兄弟車 (輸出用モデル)なので走りに振ったいじり方をしなければ足回りもやわらかいしエンジンも静か。 その上タイヤ溝が無くなって交換必須となった定期点検の際にお店で薦められた中から二番目にソフトなタイヤを選択 し履かせた為、更に見た目にそぐわないミドルセダン並みの静かな乗り心地となりました。
当時のカタログから。アルミホイールやマフラーを含め現在もまんま「吊るし」の状態。そしてリアシートが乗りづらい等 クーペゆえに出る友人・知人からの静かな「クレーム & 乗り換え圧力」を跳ね除け維持し続けた結果、手放すと確実に 入手困難となる「アンティーク家具」みたいな存在になりました。
そしてつい先日発売されたホンダCR-Zの先祖にあたるバラードCR-X。
180SXと並び自分が欲しかったトヨタスープラと友人の親父さんが所有してた三菱ディアマンテ。 後輩が乗ってたダットサントラック。撮る対象はやっぱり普段の交友関係と関連付けしてた車が中心。 そして自分のオヤジが昔乗ってたコロナマークⅡ、これは1997年当時でも希少車でしょう。 番外編、オーストラリア原生林ツアーで乗った軍用車輛出身のハマーH1。 ケアンズ市内の「エルビスプレスリーミュージアム&カフェ」内に展示されてたエルビスの愛車キャデラック。 渡し車とツーショットで写してもらいました。しっかしオレも若かったなぁ…(といっても33才になってたけど) |
何度か書いてますが180SXはデートカーとしてデビューした兄弟車「S13型シルビア」と同じく スポーツ走行に適した小型のFR車だった為、後に長期に亘って走りに徹したスポーツカー的 な扱いを受けていく事になります。 それ故、市場へ出回った車の殆んどがチューンナップやドレスアップを施したMT車となり 自分の愛車のようなATでしかもフルノーマルな個体は極めて希少な存在。
そこで180SXの歴代カタログを集合させ、ある事柄を調べてみたら予想通りの発見が。 まず搭載エンジンが車名の由来となったCA18系の前期型 (Ⅰ型)1989年カタログ。 エンジンがSR20系に変更された後は中期型 (Ⅱ~Ⅴ型)と後期型 (Ⅵ型)に大きく分類されます。 その中で1995年の中期最終型 (Ⅴ型)モデルカタログ。余談として自分の車は中期 (Ⅳ型)です。 そして1996年登場の後期型 (Ⅵ型)カタログ。 画像のとおり車の内装紹介やバリエーションラインナップ最上級グレード等、筆頭にくるモデル写真 が後期型カタログで初めて「ATからMT仕様中心に」変更されています。 シルビアと同じく当初の「デートカー」から走りに特化した「スポーツカー」の扱いへと…90年代後半 以降のユーザー層変化に伴い販売方針も含めた車の路線が途中から大きく変わった事をこうした カタログの変化からもあらためて再認識しました。 オマケでS13型シルビアの1988年カタログ。写真はまるまるAT車中心でスポーツ色は無し。 デビュー当時は優雅な雰囲気優先、正真正銘アートフォースな車だったのです。 |
あと余談ですが180SXの「180」は初期型が載せてたCA18系エンジンの排気量1800ccが由来。 その後のマイナーチェンジで排気量2000ccのSR20系エンジンに換装されましたが名前は200SX にならずに180SXのままでした。 CA18とSR20は共にDOHC (ツインカム)でバリエーションにターボチャージャー設定を持つエンジン。 これが小型FRで車体が軽量な「シルビア & 180SX」のS13系に積まれた事によって走りが好きな 人にとっても魅力ある車となり、当初のデートカー市場枠を超え購買層が広がってく事となりました。 ここから北米で販売されてた同型車の「240SX」に話を移します。 240SXに積まれてたエンジンは排気量2400ccのKA24DE (初期型はSOHCシングルカムのKA24E)。 当時W30「ラルゴ」他、主にワンボックスに搭載されてたファミリーカーユースのおとなしいエンジン でターボチャージャーのバリエーション設定もありません。 その為SR20エンジン単体を日本から個人輸入し240SXに載せ換える北米オーナーも居たそうです。 S13型のような「箱」に積まれたエンジンとしてKA24はさすがに刺激が少な過ぎたんでしょうね。 シリーズ映画「ワイルドスピード」の1作目に出てくる盗品屋のこのセリフがすべてを語ってました。 |
内部の発泡ウレタンが硬化しあちこち隆起しまくってるためなんですけど近くで見たらかなり波うって ウネウネしてますね。幸い純正ウイング手に入るそうで状態の維持できそうです。更に同じく写真の ウイング下側、経年変化による硬化で一部剥がれてるNISSANのロゴシールも元通りになる予定。
180SXは2012年現在まだ旧車ではなく、完全なクラシックカーではないが新しくもない「ネオヒストリックカー」 と呼ばれる位置にいるそうです。ただどのネオヒストリックカーにも言えますがこの時期を越えないと完全な クラシックカーにはならないんですよね。そしてハコスカやダルマセリカのような今では正真正銘の旧車にも この時期があったわけで、途中で廃車にさえしなければ車にも「いつか来た道、いつか行く道」が存在します。 |
ランボルギーニ・カウンタックに代表された当時の「スーパーカー」に搭載され、そのスーパーカーブーム に直接ぶつかった自分の世代が免許取得年齢に達したタイミングで市販車が続々登場したんですから 当然のように大流行しました。 ライト昇降VTRです |
日本初のリトラクタブルは1960年代に限定生産された「トヨタ2000GT」ですが量産車の初登場はマツダ 初代サバンナRX-7でした。 含め好きな人は好きだったんですね。 |
車のエンジンをかけようとキーを回したらバッテリーが完全放電しててウンともスンとも動かずまったく 自走不能状態に。出発時間が迫ってたため自転車で近所のガソリンスタンドへ出向いてバッテリーを 単体で買ってきました。とりあえず自分で交換するのは約25年ぶり。 (2008.12.) |
まずこちらは高級住宅街として有名な白金のとある場所。億ションの脇からすれ違いが出来ないくらいの 細い路地を入るとこのような閑静な場所が残ってるんですね。(追記. 現在この場所には建物が建ってます) そしてこちらは芝浦。自分的に下から見上げるレインボーブリッジが一番サマになると思ってる場所。 最後に昔のデータから豊海水産埠頭、地元の後輩とツルんでバカやってた頃の写真です。 (2009. 8.) |
180SXにキーレスエントリーを装着、思わず"かっけー"と心の中で叫び…てのはウソですがハザードコールが 無かった時代の車なので感激。何度も止めて試したくて、いつも一回で済ましてる買い出しを三回くらいに分け 数件の店にハシゴしながら遠回り。 |
(2008.10.) |
USBメモリーからの音楽読込みやステレオミニジャック端子付でMDウォークマン、iPodも接続可能。 音楽CDを録音してディスク交換することなく連続再生が出来ます。 常時入ってるのは80年代洋楽の集大成「MEGA HITS'80s」11枚組。これをノンストップでかけると MTV全盛時代へタイムスリップします。 (2008. 3.) |
オーストラリアで撮った写真を車内で整理中にいきなりカメラを向けられてガン飛ばし |
この角度からの写真が好きでこれとシルエットがオーバーラップ、CMのキャッチコピーじゃないですが昔から車を 「見た目」で選んでます。 85'第26回東京モーターショーの会場。MID4のブースは凄い人気で押し合いへし合い、写真もまともに撮れない状態。
安価な後輪駆動(FR)車の宿命でほとんどノーマル車が現存しないらしいです。手放さなくてよかったなと思うものの 車としては老体になりつつあるのでこれから先も良好な状態のまま維持するには費用がかさんでいきそう。なにしろ 先日見つけた特集本のキャッチコピーには既にJAPANESE VINTAGE」の一文が… |
どこもいじらず手放すまでフルノーマルの状態でしたがある日帰ってくるとプラスチック製のホイールカバーが1個無い。 過激な走り方はしてないにもかかわらず途中で外れて落としてきたらしく、走った道を明け方まで捜すハメになりました。 結局見つからず後にホイールだけ社外アルミホイールへ。
20代最後の年、ちと遊んでしまえとばかりに自分の車を公共の電波に乗せようと早起きして友人と待ち合わせ家のビデオ もタイマーセットして出発。車を止めた後、道路を歩いて何度も往復してたので動画では自分も友人も何回か見切れてます。 |
スタイルに惚れて3年落ち中古の1982型AT車を新車価格の半額以下で購入しましたが電気系統が殆んどダメ、 格安故に修理保障も無い為バッテリー交換を自分でする事になりました。 そしてそれをきっかけにスパークプラグやハイテンションコード、ディストリビューター(写真の赤い部品)交換等、 自分でエンジン周りをこねくりまわし少しだけ遊んでました (本格的にいじるというレベルではないですけど)。 その後約5年乗りましたが大きなトラブルは無く、結果としては運が良い買い物だったようです。 そしてこの車はドアミラー仕様になってますが国産車のドアミラー許認可は1983年3月、1982年型なのになぜ ドアミラー車なのでしょう…? 実は買った時に店の店長が「兄ちゃん若いからしばらく乗るのにフェンダーミラーじゃかっこ悪いよね」と1983年以降 の同型車から純正ドアミラーを引っぱってきてパテ埋め交換 (無料でした)してくれたから。
こういう車なのになぜMT車買わんのよ? と友人に聞かれる度に「アメリカではカマロやコルベットもほとんどATなんだぜ」と ひき合いに出しイージードライブ志向を強調。実は親父から借りてたMTのシビックでギアチェンジが面倒になってしまった という本音をオブラートに包みカッコよくまとめてました。
先日ガレージの倉庫を掃除してたらスタリオンから外した部品等の一部が出てきました。スタリオン現役の頃は 恐いもんなしでやっつけ仕事のように車をいじってましたが、整備要領書(その車の分解と修理用の取説みたい なもんです) も無いまま勝手にやってたので室内パネルなど脱着時に接合部を結構壊していました。後に車の 整備に詳しい知人に多少知識を学んだら (電装系の配線不備が車輌火災につながる等)いろいろと恐くなって あまりいじれなくなったのは皮肉…よかったのかもしれませんけど。 24年前買った自動車のメカに関する本。インジェクション(電子制御燃料噴射)がまだ普及してなくてエンジンの イラストにキャブレターが。日常点検レベルの知識で車を所々いじってたのですから今考えると恐ろしい。 |
今は疎遠になってしまってますが幼なじみだった友人の親父さんが所有してた車です。その方は先方の家族旅行が ある度に家族の縁が薄かった自分の為それに組み込んでくれて子供時代いろんな場所へ連れてっていただきました。 このレパードも自分が免許を取った直後だったにもかかわらず運転を任せてくださり高速道路のデビュー (当時は 教習所の高速教習が必修じゃなかったので自分は受けませんでした)もこの車。 その後も事あるごとにハンドルを握らせていただき自分の車以上にこの車であちこちへ遠征しました。
そして約20年…久々にこの車と対面したのは2007年5月の日産ギャラリー「Heritage Cars Collection」でした。もう完全な歴史の一部に。 |
正直言って以前はお世辞にも模範的な運転をしてなかった頃もあるので運も大きく関係してましたが(今現在は正真正銘、 安全運転を心がけてます)、自分1984年の免許取得時から違反歴無く無事故無違反を24年間維持し続けてきました…が 先日急ぎの用で魔がさし交差点でイエローライン(車線変更禁止線)をまたいでしまった事から履歴に終止符。 しかし無事故無違反24年の履歴が終わって次の更新で最低5年は免許の帯もブルーに戻るのに落胆は無く逆にある種 の安堵と高揚があった自分、なぜなのかと自己分析してみたら…要はせっかくゴールド免許を持ったのに、というかゴールド になってからは一度も検問などにぶつかった事も無く、長い間鬱積してた「運転中一度はおまわりさんに免許証を見せたい」 という機会とその願望が遂にかなったという満足感だった事が判明。とりあえず「なんじゃそりゃ」という話で失礼しました。 (2008.11.)
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自分が乗ってる車が走るって事での思い入れも加わり録画した「1985インターTEC」のビデオ。ベータマックス から現在はすべてブルーレイにコピー。ノーカットあえてCM入り (各自動車メーカーがスポンサーだったので 当時の新車CMてんこ盛り)。 日産スカイラインGTS-R等がエントリーしてくるとスタりオンは段々勝てなくなっていきました。自動車の性能 が進化するスピードは物凄かったです。 |